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第1話 戦いのあと

 十一月のザクセンは厳冬期に入っていた。



 今しがた激戦を終えたばかりのリュッツェン郊外では、放置された死体は為す術もなく冷たくなっている。もう日も暮れてきたので、少なくとも明日の朝まではそのままだろう。


 十七世紀、新教・旧教間の宗教戦争はいまなお継続中だ。

 

 生き残った者達は、火事でも起これば幸いとその場で焚き火を始め、余裕のある者はそこで一夜を過すべく野営の準備を始めていた。



「怪我の具合はどうだい? ファン・ライン」


 傷を庇うようにして火にあたっていると男が一人、銃を担いでやってきた。

 激戦の勝利のためか、上手いこと作業を逃れられたからか、機嫌は良さそうだったがそれでも表情には疲労の色が浮かんでいる。ナウムブルグからの強行軍を経てからの、今日の激戦では無理からぬことだろう。


「人前ではなるべく『隊長』と呼べと言っただろう、ヘラルト」


 ファン・ラインは辺りを見回して言った。


 焚き火の周りには20人くらいの兵たちが、思い思いの表情で火を眺めている。

 彼らの所属するスウェーデン軍はほとんどが外国人傭兵であり、彼らのオランダ語を聞き取れるかどうかはともかく、それだけの人の前ではやはり見栄というものがあった。


「お前が俺の銃を持っていてくれたんだな」

 ファン・ラインが彼の手にある一丁の銃を見ながら言うと、ヘラルトは得意げな顔を見せた。


「もちろんさ、俺はあんたの補佐役だからな。あんたが分別と一緒にこいつを落っことして敵の騎兵に突っ込んで行くなら、そいつを拾うのが俺の役目だ」


 彼は隣に腰を下ろし、横目に傷を見ながら続ける。


「思ったほど深くないようだな」


 腹部に槍を受け、足にも銃創を負い、まだ血は止まっていなかったが、動けないほどの傷ではない。そうでなかったらおそらく、混戦の中で死んでいただろう。


「――パッペンハイムも、その手下共も大した事ないな、突っ込んできた挙句にあんたみたいな青ビョウタンにやられるなんて」


「負傷した青ビョウタンにくらい、もっと優しい言葉をかけてくれてもいいんじゃないか?」ファン・ラインは苦笑いを浮かべながら言った。「奴らも相当追い詰められていたんだろう、何しろあれだけの混戦だ。それに防御を捨てて攻撃をするつもりで来てたんだ、当然の結果だよ」


 話していると、焚き火にあたっていた知らない男が一人、こちらを見つめていた。

 歩兵銃を持ったフランス人で、彼もまた傭兵なのだろう。何か考え事をするような顔つきをしていたが、思いついたように男は話しかけてきた。


「お前さん、ひょっとしてあのパッペンハイムの奴を仕留めたのか?」


 ヘラルトが怪訝な顔をしている。フランス語を解さないので何を言っているか分からないのだ。


「ああ、多分ね。最後に見た時はまだ生きてたけど、あれならそう長くはもたないと思うな」

 ずいぶん昔に習い覚えたフランス語で、たどたどしく答える。


 フランス人は嬉しそうな顔をした。

「そいつはお手柄じゃないか、マクデブルグでの奴の蛮行は有名だからな。俺みたいなフランス人傭兵の中にも奴を殺してやりたかったって野郎は山程いるぜ」


「そうか、そりゃ悪い事をしたな」


 傷の痛みを堪えて立ち上がると、フランス人は不思議そうな顔でこちらを見た。ヘラルトも訳が分からないという表情で立ち上がる。

「あんたが代わりに謝っといてくれ、それじゃあ俺は行くよ」



 傷を庇いながらヨタヨタとその場を離れると、ヘラルトが銃を持って追いかけてきた。

「どうしたんだ? 一体何の話をしてたんだ?」


「何でもないさ、それよりお前はこれからどうする?」

「どうするって…… 何がだよ?」


 ヘラルトは歩きながら、疑問の表情を浮かべてこちらの顔を覗きこむ。

「まだ戦争が終わった訳じゃない、ナウムブルグで冬営する準備はできてるんだ。そこに行くしかないだろう」


「スウェーデン軍はそうするだろう。だけど俺達は傭兵だ、どこで誰と戦争するかどうかは自分達で決めなくちゃならない。 ――俺達はもう充分やったと思うんだ」


 高台から昼間の戦闘の跡を見下ろす。


 もうとっくに日は落ちているので見えないが、そこには無数の砲弾の跡や馬のひづめの跡、放棄された野戦砲があり、撃ち殺された死体や斬り殺された死体、馬や人にめちゃめちゃに踏みつけられて半ば地面にめり込んだ死体や、バラバラに吹き飛んだ手足が、敵味方の区別なく散らばっているはずだった。


 その死体をかき分けて戦場の跡を歩き回っているのはスウェーデン軍の近衛兵たちだろう。彼らは戦場で死んだ、彼ら自身の君主の遺体を探しているのだ。



 ボヘミアでの新教徒住民の反乱を端緒に広まった旧教徒と新教徒の戦争は、宗教の絡んだ戦争の常か、数多くの惨状をヨーロッパ中にばら撒いていた。

 今、眼下に広がる光景も、昨今では別段珍しいものではない。


「あんた―― 軍を抜けるつもりなのか?」

 ヘラルトは信じられないというような表情を見せた。「あんたは軍隊向きの人間じゃないが、いくら戦争が嫌になったからって、軍隊から離れて生きられるとは思えないぜ。一体どうするつもりなんだ?」


「また絵を描くさ、前みたいに」ファン・ラインは戦場跡から目を離さずに言った。「ヤン・リーフェンスを知っているだろう? 俺が工房にいた頃に一緒だった奴だ。あいつにアムステルダムで工房を開かないかと誘われているんだ」


「ああ、あいつの事なら知っているが――」ヘラルトは納得しかねるという顔で言う。「みんなには何て言うんだ?」


 振り向いて野営陣地を見渡すと作業は概ね完了していて、焚き火の近くにはさっきよりも多くの兵たちが集まっていた。

 彼らのほとんどは負傷し、仲間を失っている。そして全員が疲れ切っていた。


「ありのままを説明する、それで納得しなくても仕方がない」


「じゃあ俺達はどうするんだ? みんなあんたを信用してついてきたんだ。今更あんた以外の人間の下で傭兵なんかできっこないぜ」


「そんなことはないさ。まだ戦争を続けるつもりなら新しい指揮官を見つけるなり、故郷に帰るなりすればいい。 ――どっちにしろ、しばらくはヒマになるからな」


 厳冬期を迎え、スウェーデン軍はしばらくナウムブルグの本営に留まるはずだった。


「それにグスタフ・アドルフは死んだ。国王が死んで、スウェーデンも後釜が決まるまでは動かないはずだ。冬営に入るのは敵も同じだし、しばらく戦争はないだろう」


 

 ヘラルトはまだ難しい顔をしている。先ほどから吹きつける冷たい風も彼は、全く気にならないという様子だった。


「本気なんだな?」


 黙して頷くとヘラルトは降参だというポーズをとって表情を緩めた。


「わかったよ、特に賛成する訳じゃないが、みんなに反対された時は味方になってやる。但し条件があるぞ、工房を開くんなら俺も連れて行け」


 ヘラルトの言葉にホッと表情が緩んだ。「そう言うんじゃないかと思って、実はもう除隊の申し出はしてあるんだ。お前も、みんなの分もな」


 くるりと後ろを振り向き、ヘラルトはフンと鼻を鳴らした。

「ヒデェ野郎だ。だがいいだろう、のってやるよ。だけどそう簡単に戦争から足を洗うことができるか?」


「そのためのアムステルダムだ。あそこは今、バルト海や東インドへの玄関口だし、ヨーロッパの主要な港町との連絡拠点としても重要な場所だ。そういうところは容易に戦火に晒されたりしないものだよ。敵味方双方にとって戦時でも機能する港は必要だからな」


 ヘラルトはこちらををジッと見つめ、やがて顔を逸らすと呟いた。

「そう上手くいくかな?」


 二人の間を一陣の風が通り抜ける。


 それきり二人は黙り込んだまま、きびすを返して野営陣地へと歩いて戻った。



「そう言えば――」

 焚き火の灯りが二人の顔を照らす頃、ヘラルトが思いついたように言った。

「もう傭兵じゃなくなるんなら、みんなの前でも『隊長』って呼ぶ必要はないよな?」


 ファン・ラインはしばらく頭の中で記憶を辿り、言った。

「お前が俺を隊長と呼んだ事なんて、一度もなかっただろう?」


「そうだったかもな。だけどもう関係ない、あんたはこれからただのファン・ライン、絵描きのファン・ラインになるんだからな」



 焚き火の周りの喧騒が二人を迎えた。


 1632年11月の出来事だった。


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