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【1】平成の大雪 その1 1

うわーーん!



尾上裕おがみ ゆうは、泣いていた。


辺りは真っ白、雪景色。


細かい白い雪は勢い良く降り続き、風も強く吹き付け、時々目の前を白いベールで隠してしまう。


高校の制服を隠した紺色のコートの上にも、長い髪の毛にも雪は容赦なく降り積もり、彼女をどんどん白く染めていく。



バチがあたったんだ。



素足を雪にくぐらせたまま、へたり込んでも寒さを感じない。


ぱたぱたと落ちる涙の上にも雪が降り積む。



私がわがまま通したから、おばあちゃんが怒ってる。


おばあちゃん、ごめんなさい!



音をことごとく吸い込んでしまう雪と風は彼女の泣き声ごと取り込んでいった。



◇ ◇ ◇



「私、大学は白鳳に行くんだからね」


高校に入って間もなく、進路指導のプリントを前に、裕は両親に宣言した。


「お前がかあ??」


裕の父であるつかさは飲んでいた茶を吹き出しそうになり、そして、わははと大笑いした。


「無理無理。お前のおつむじゃ絶対無理だあ」


さらにカラカラと笑いこける。


「そっ……そんなことないもん!」娘はムキになった。


裕の両親が居を構えるところは東京都、地域は奥多摩地方。大変のどかで、風光明媚、自然に恵まれた人間らしい生活ができるところと両親は手放しで気に入っているが、娘にはお腹いっぱい。もっと華やかで人が一杯いて刺激的な市街地や都心部に惹かれるのは当然のこと。


普段から、ここは私が暮らす場所じゃない! と言い続けていた。


今は叔父・慎一郎が暮らす都内は青山の家屋が本籍地であり本来の住まいだったと聞いてからは尚更、若者はいきり立つ。


失われた何年かを取り戻したい! と根拠なく主張するようになっていた。


「うちの高校、偏差値悪くないし! 国公立とか私大の進学率も悪くないんだし! それに先生に聞いたんだよ、私、入学の時の順位は2桁台だったって。それも20位より上だって言ってたよ! 今はそれより上がってるし! 今後もそれキープできれば充分狙えるって! ホントは中学とか高校とか。ううん、幼稚園の頃から行きたかったのに! こんな辺鄙なところから都心まで通えないんだもん! それに!」


裕は机をどんと叩く。


「お父さんだってお母さんだって行ってた大学じゃん! 叔父さんも、そうそう、おじいちゃんもなんでしょ??? 私だって通いたい!」


「動機がそれだけかあ? 血縁者なら誰でもいける学校じゃないぞー」父は呆れ声を上げた。


「知ってるか? 白鳳っていやあ、日本でも有数の私立大だぞ」


「だって、父さんだって出れたじゃん」


「だって、たあ何だ、だって、とは!」


「そうねえ、お父さんは幼稚舎からの持ち上がりだから、あんまりおつむの良し悪しは関係ないわね」


父と娘の間に割り込んで、母・加奈江は「はい、お茶」と言いつつ二人に入れ直した茶托を差し出した。


「母さんー」政は情けなさそうな声を上げる。


「でしょ?」


裕は、それ見たことか、と父を睨む。


「俺はいいんだ」政はぼそり。


「けどなあ、母さんは違うぞ! 女子の首席だったんだからな!」


「女子学生少なかったですからねえ」ずずっと茶をすすりながら母は言う。


「首席と言ってもどれほどのものでも」ほほほと笑う。全然助け船になってなく、夫に向かい風を送りまくっている。


「だがなあ!」ここぞとばかりに父は力説した。


「母さんは中学から編入したからな! 編入組は賢いんだ、簡単に入れないんだぞ!」


「らしいねー」娘は気のなさそうにスルーする。


「つまりだ! お前の普段の成績では白鳳だろうがどこの大学だろうが進学できるわけがない、ちゅーわけだ!」


「わけだ、って何で!」


「見てみろ!」


父はびしっと指差す。そこには、一学期からの定期試験の点数がずらりと並んでいた。


「たしかに平均点は上位にある。けど、その平均点が一定しないのは何故だ」


「そ、それはね、その時々の気分とかテストの難易度が左右するのよ」


「気分屋の言い訳だな。特に英語の点数が悪すぎる!」


これにはぐうの音も出ない。


そう、裕は理数系に強く、歴史にも明るく、読解力も芸術点も、体育も総じて優れていたが、どういうわけか英語の点数が悪かった。


面談でどの先生にも言われ続けた、あなたは英語の成績にむらがあるわね、と。


「……だって苦手なんだもん」裕は口ごもった。


書道家である父の仕事のマネージメントを担っている母・加奈江は、時たま発生する海外とのやりとりをも手紙や電話で普通にこなせるぐらいの語学力の持ち主だ。もちろん、ビジネスレターもお手の物だ。


父の弟である叔父は大学院生の時に海外留学していた。母方の従姉は国際線の客室乗務員。当たり前の話、どちらも英語には困る余地がない。


そして、くやしいかな、日本語以外理解できなさそうな父ですら、発音がめちゃくちゃでカタカナをそのまま語っているように聞こえるのに相手とのコミュニケーションには不自由していない。


つまり、父方母方双方の親族の中で、裕ひとりだけが英語劣等生のレッテルを貼られてしまっているのである。


濡れ衣ではなくその通りなのだから仕方がない。


「言っとくけどな」政は娘を指差す。


「白鳳は、英語には厳しい。弱点を直せないなら、どこだろうと受け入れてくれる学校があるわけがないだろうが。気合いで世の中渡って行けると思うな」



むかつくー!

なんだよう、クソ親父!



裕は奮起した。


苦手な学科は残念なことに苦手なまま残ってしまったが、それでも点数は底上げされて安定した。


高校三年になって志望校を決定するにあたって、再度彼女は訴えた。


「白鳳行くからね」


今度ばかりは父も笑い飛ばすことができない。


けれど、限りなく合否のボーダーラインに近く、当たるも八卦、当たらぬも八卦の成績だった。


「一度だけ、受けさせてやる」政は言う。


「一般入試で合格したら、考えてやろう」


「ここから通え、なんて言わないよね?」


「もちろんだ、二言はない。ただし! 一般入試に受かったらの話だ!」


「お父さん」母が二人の会話に割って入る。


「推薦枠もあるんですから、合格できるならどちらでもいいんじゃありません?」


「だめー」政は断言した。


あー。意地悪い! 父さん、意固地!


裕はムッとした。


「保険をかけてどうこう、って生き方は好きじゃない! 受かる奴はどんな状況でも必ず成果に繋がる。ダメな奴はいくら条件が揃ってても落ちるんだ。裕」


「何」


「お前、絶対、白鳳へ行きたいって言ったな」


「うん、言った」


うん、言った、とリピートするように、彼女の脇に侍っていた猫が、なーうと鳴く。


合いの手入れるな、こいつは! と政は猫の頭をわしゃわしゃ撫でる。猫はごろごろと喉を鳴らした。


「自分の力をぶつけるつもりで、一発勝負で挑んでみろ! 合格できたらお前の本気を認めてやる!」



認めさせるんだから!



父・政は頑固だと人は言う。


その頑固さを受け継いでいると裕も言われる。


世の父親は娘には弱いという伝家の宝刀、つまりお父さんに素直に甘えればよいものの、この父娘の関係に奸計が入り込む余地はないし、裕はできない性格だ。


彼女はがんばった。


父の言葉を真に受けて、一発勝負の試験日に懸けた。


そのつもりだったが、ホントの一回こっきり、一発勝負はしなかった。


一本気の娘の性格を知り尽くしている母の助言を受けて、滑り止め受験校も探した。出願もした。


が、入試日はすべて白鳳大学の後。つまり二次試験ばかり。


「裕は一途だから。誰に似たんだろうねえ」気炎を吐く孫の憤懣を電話口で受けて、母方の祖母は笑った。


「誰にも似てないもん」裕は膨れた。


「大丈夫、おばあちゃんも神様仏様にお祈りしておくから」


正月三が日はいつもなら祖母のところを訪ねた。今年は来なくていいよ、祖母は言う。


「その分勉強して、合格したらいつでもおいで」


祖母の言葉に甘えて、自宅で過ごした。


合格したら会いに行く、は約束の言葉だった。


そのつもりだった。



だが。


入学試験の前日だった、祖母の訃報が飛び込んできたのは。


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