表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

自分の高校に卒論がなくてがっかりしたけど、とりまここに置いて事故満足(誤植にあらず)をするだけの害悪

お知り合いのかた

→作者の人格および評価に著しい下降補正が加わる危険がございます。ご注意下さい。


初めましてのかた

→内輪というか自己簡潔なのでおすすめしません。

大人になるなどという概念が在るとして、この場はこれから先殆ど無い本音を語るとても貴重な機会だと思う。

おいそれと話せなくなる今後を考えてそれこそ最後といっていいほどの。こういう場に限らず今まで必要とされることを煙に巻いて適当にやり過ごしてきたのだけれど、珍しくそんな気分になった。自分で開示してんじゃねーか露出狂かてめーとかそういうのは置いておく。

八年前、二つの確信をしていた。とある人に敗北を喫するということと、自分がどうにもならないということ。自分でさえ根拠の無い妄想だと笑ったけど、今ではどちらも填まっているのが堪らなく不愉快で、途轍もなく面白い。

この学校で奇怪な言動をとったり、当たり前のことをしなかったり。総括して頭のおかしい振舞いをしてきた。そしてその事を全く悪びれもしていない。それでも比較的真面目な時期と行動以外は何も変われていないのだ。

そしてそれ故に、変わることが出来ない故に、生涯あのひとを愛し続けることも容易かっただろう。なにせ、あるがままにあればよかっただけなのだから。

小学生にして似非虚無主義者だった自分は、それがいつでも隣にあって、当たり前の普通に感じられるくらいには、自分を含めた…いや、自分を筆頭にした世界の全てが大嫌いだった。ニヒリストの癖に。それでも今よりかはまともだった自分は、その嫌悪感に素直に従って、目付きや態度や口などを悪くしていた。成績や教師うけ以外は。対する周囲の対応は、言わずもがな。

神格化する訳じゃなく、あの頃の自分には、嫌悪の対峙としてあの人がいたのだと分析する。全てが存在しているという事実そのものを嫌っているのと同じように、あの人の存在そのものが好きだった。しかし、そんなことはあの人には関係無い。あの人には、これから先無数の選択肢があるけれど、自分の方にはなかったというだけだ。

虚無が実存の対峙で、無対峙が有対峙の対義でしかないということに気付くのにすら五年もかかるくらいに阿呆な自分だけど、そんな自分から大切なものを遠ざける程度は出来たのは、僥倖だろう。負け惜しみにしか聞こえないか。

過去は絶対だ。時間遡行が人間に可能な所業になっても、ここにある存在にとって過去は不変で、だからこそ現在も未来すらも噛み合った歯車のように因果に雁字搦めだ。だから反省はしても後悔はしない。意味論者じゃあるまいし、意味というものに依存するまいとしているけれど、それはどうしようもない無意義だから。

だったら自分のルーツなど要らないだろう。例えそれが基礎基盤の無い宙ぶらりんでも、自分というツールさえあれば。量産品だろうが一点物だろうが失敗作だろうが欠陥製品だろうが、自分は自分という、完成品でさえあればよかろう。

完結は未来だとか、全盛期は過去だとか、そんなことは下らない。この瞬間に、全身全霊完全なる自分であろう。

どれだけ不幸に彩られようと幸福に汚されようと、自分の運命は自分だけのモノだ。誰にも渡しはしない。だからちょーっと気にくわないあいつにも、大好きなあの人にも、自分のせいだとか、申し訳ないとか、そんな顔をされるのはまったくの筋違いで、完全にお門違いだ。とくに前者、ムカつくからヤメレ。そんなだからあんなことを言わざるを得なかった。とってもスカッとした。

自分は惚れっぽい。幼稚園からいままで好きな人が居なかった期間が存在しないくらいには惚れっぽい。だから案外、少し経ったらいままでのことを忘れて、懲りもせず別の人を好きになるかも知れない。その時はいろいろな人を不幸にすることだろう。関わるべきではない。自分の幸不幸すらどうでもいいのだから……他人の不幸も、同じだけれど。

さいわい、という言葉は不適切だが、この全ての元凶たる自分の思考回路は、自分の強さでもあるから、雑踏のなかの孤独でも、無人島においての孤独と同じように、自分の生存を許諾してくれることだろう。

なぜか教師陣は自分に会社勤めの給料男になることをひどく推してくる。サラリーマンを批判するわけでは断じてないが、そうなったら自分は成立しない。その価値観を自分の生き様と出来るくらいに中途半端に回復…というより蘇生、あるいは修繕?してしまったら、首を縊らざるを得なくなっているだろう。自分にそれが勤まるとも、その前に就職できるとも思えないし。

そんなこんなで、人は独りでは生きられないというならば、物言わぬモノならぬ、物を捲し立てるモノと成り下がることで生き長らえよう。生き汚い。

十年二十年後、自分はエリート自宅警備員だろうか、(じき)を乞うているだろうか、千の風になっているだろうか。ここにいるのは結構嫌だし、真ん中がベストだろうが、大差ないかもしれない。

あーあの人とあいつの卒論とか読みたかったなーかといって読んでもあんまりたのしくねーんだよなーせめてよんでほしかったなーとか、過剰で華美な恥を黴のごとく延々と蔓延させた、ブレブレでぐだぐだな毒吐く(えぴろーぐ)はこの辺で終わろう。とりあえずいまこのスマホの隣の課題をやらんと、自分は留年らしい。楽しすぎる。






卒論に原稿用紙五枚もあるまいという批判は受け付けません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ