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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密
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第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密(8)

 自動販売機の片隅に置かれたくたびれたソファに腰掛けて、一成はため息をついていた。沙紀が世話になっている病棟の看護師に手を出せるわけもないし、出すつもりなど毛頭ない。けれど、今後も続くだろう沙紀の入院生活を思うと、一成は怒鳴りつけることも邪険にしすぎることも出来ない。ナースステーションの看護師の中で先ほどの看護師が誰だったか区別することも出来ない一成が、こんな紙切れを相手にすること自体が無理な話だ。一成は意を決したように立ち上がると、4人分の飲み物を買い込んでまた病室に立ち戻った。


「母さん、ちょっと…」


 一成は病室に立ち戻ると沙紀にジュースを飲ませながら、母親を廊下に手招いた。母は珍しい息子のそぶりにきょとんとしながらかなりの角度で見上げなければならない息子と向き合った。


「どうしたの?」

「あのさ…これさ…」


 一成に差し出された携帯電話の番号に見知らぬ名前、母はそれだけで息子の意図を察するとナースステーションに困ったような視線を投げた。


「ああ…一成が来るといつも看護師さんたちざわざわしてたものねぇ」


 母はしかたないと諦めたそぶりで首を傾げてから、事を荒立てずに事態を収める妙案を思い浮かべて微笑んだ。


「みつきちゃんが彼女だって言っちゃえばいいんじゃないかしら?」

「なっ…」

「みつきちゃんが一成の彼女なら、看護師さんたちも牽制できるし、お母さんも沙紀も喜ぶし、ね?」

「勝手なこと言ってんなよっ」


 まんざらでもないくせに懸命に眉根をしかめてみせる息子に向かって、母は小さくため息をついた。


「一成、お母さん心配なのよ?」

「なんの心配してんだよっ」

「もちろんあなたのよ」

「俺の…?」


 母の不安を湛えた瞳に一成の憤っていた言葉が失速し、母の柔らかな手の温もりで頬を包まれる感触の心地よさに一成はそっと瞳を閉じた。


「こんなに綺麗な顔してるのに、誰も愛せず誰にも本気で愛してもらえないんじゃないかってこと」

「母さん…」

「ごめんね、こんなに綺麗に生んじゃって」


 申し訳なさに押しつぶされそうな母の口調は、殊更一成の心の底に響き渡った。誰が悪いのでもない、それは何度も何度も考えていた。すべてが完璧であるということはいい事ばかりではない、それを身をもって体験してきた一成は、母の手が罪悪感にかられたままゆっくりと離れていくことを名残惜しげに追いかけた。


「なんだよ…それ…俺は別に…」

「カズ~?」


 一成と母の戻りが遅いことを懸念し、廊下に顔を覗かせたみつきに母は柔らかく微笑んで息子の体を反転させた。


「あら、みつきちゃんお待たせしちゃったかしら。ほら、一成、廊下は冷えるわ、入りましょう」


 すっかりいつも通りの明るい口調の母親に背中を押され、一成は言われるままに病室に足を進めた。母親の申し訳なさそうなしみじみとした口調、あんな風に言われたのはこれが初めての事だった。一成は母に似つかわしくないような謝罪の言葉に、自分が課せられたこれまでの苦労が拭い去られていくような気持ちでいた。


(―みつきが彼女になったらうれしい…か)

 一成は沙紀のベットの脇でまるでほんとの親子のように談笑する三人を入り口から見つめながら、自分が言わねばならない言葉をゆっくりと反芻していた。



 一成は窓際に腰掛けながら参考書を広げ、みつきが子供達に次々にリクエストされる絵本を順番に受け取り丁寧に読み聞かせているのを見つめていた。子供達の瞳にはみつきがころころと声音を変えて演じ分ける登場人物の動きが見えているようだ。一成はそのほのぼのとした光景にふと笑みがこぼれた。


「…そうしてジャックはお姫様とずっとずっと幸せに暮らしましたとさ」


 みつきの物語の締めくくりに子供達からは絶賛の拍手と同時に、次の本のリクエストが差し伸ばされる。けれど、一成は物語の終わりと同時に帰り支度をしながら、みつきの帰宅を促すために子供達の輪の向こうからみつきに向かって声をかけた。


「おい、みつき、そろそろ帰るぞ。今日は早く帰るんだろ?」

「あ…そか。みんなごめんね、そろそろばいばいの時間なんだ」

「え~~~」


 ごめんねと言いながら手を振るみつきに名残を惜しむ抗議の声があがり、みつきを掠め取るような一成に子供達から非難がましい視線が一斉にそそがれていた。そしてその中から一際舌足らずな悪態をついて、悔しそうに一成をにらんだのは世羅だった。


「おまえだけかえればいいだろ」

「なんだよ…」


 一成は世羅の言葉に思わずむっと顔をしかめていた。それは帰れと言われた事ではなく、まるでみつきから一成を遠ざけ自分のものにしようと算段するかのような世羅のそぶりが癇にさわったからだ。


「みつきはおれのよめにする。おまえだけかえれ」


 一成はものの一秒もあればねじ伏せられるだろう小さな子供の挑戦に、青筋立てて怒鳴りつけそうになっていた。世羅に煽られ意味も分からず帰れコールに参加している子供達の勢いに、一成が面倒くさそうに一息に蹴散らしてしまおうかと頭を悩ませていると、みつきがたまりかねたようにきゅっと一成に抱きついた。


「みんな、カズをいじめないで」

「みつきっ、そんなやつからはなれろよっ」


 みつきが一成を抱きしめた事に世羅が色を成して叫び上げた。その口調も声音も、みつきをとられてたまるもんかと必死に食い下がっていた。子供ながらの素直な感情、けれどみつきに惚れ込んだその言葉に、今度こそ一成は世羅の首根っこを捕まえてやろうと腕を伸ばした。けれど、その腕が世羅を捉える前に世羅は空に向かって高く声を搾り出した。


「おれはみつきにほれたんだっ」


 世羅が叫びあげた声にみな一瞬虚をつかれていると、一成の母が微笑みながら世羅の髪を優しく撫でた。


「あらあら、世羅君、この間は沙紀が好きって言ってくれてたじゃないの?」

「う…」


 フタマタかよ、一成は小さいなりに意外と手の早い世羅の顔が真っ赤に染まっていくのを見つめながら、肩をすくめてため息をついた。


「あっちもこっちも手ぇだすと、どっちも手にはいんなくなるぞ」


 一成は世羅が息をするのを忘れているんじゃないかと思うほど押し黙っているのに呟くと、世羅はぷいっとそっぽをむいてしまった。


「まあ俺は、沙紀もみつきもどっちもやらねぇけどな」


 一成が意地悪くにやりと笑うと世羅はその一成の脛に軽い蹴りを入れて自分の病室に走り去って行った。


「いてぇな…」


 ちっと舌打ちしながら、どうにも煮えきらず言わねばならないことを言えない自分を思うと、例え小さな子供でもはっきりと思いを口に出来る世羅が少しうらやましい。一成が小さなライバルの出現に頭をかいていると、みつきがその一成のコートをくいっと引き下げていた。


「カズ…あたし、ちょっと世羅君とこ行って来るね」


 みつきはしそこねたさよならを世羅に伝えに、にこりと微笑んで病室を後にしていく。一成は残されたみつきのコートとカバンを手に吐息をつくと、母親と沙紀を振り向いた。


「じゃあみつき送って、俺は先に帰るから」

「ええ、気をつけてね。それと…がんばりなさい」


 母親が意味深な微笑みを一成に向けながら小さく手を振ると、沙紀はその隣で首を傾げてから兄にばいばいと手を振っていた。


「なんっ…」

 なんで分かったんだよ、いつもながらに勘のいい母親のそぶりに一成は頬を赤らめたまま、ぷいっと体を翻した。



 世羅はもっと早く生まれなかった自分を呪いながらベットに飛び込んだ。負けた悔しさよりもそこにはまだまだ小さな自分の存在が力ないことを嘆く色が強かった。

「世羅くん…あたしね世羅くんもカズのこともどっちも大好きだよ?」


 頭からかけ布団をかぶった世羅は、みつきにぽんぽんと背中を軽く叩かれながらぐすりと鼻をすすり上げた。


「だから、世羅くんもカズと仲良くしてほしいな…だめかな?」


 みつきが優しく語りかけると、世羅が布団の隙間からそのみつきの様子を伺いながら口を尖らせた。


「みつきがいうなら…なかよくしてやってもいい」

「ほんとっ?ありがと。世羅君、大好きだよ」


 世羅と一成の好きの意味、そこに違いがあるのだろうか、一成はみつきの言葉の意味合いを不安げに見守りながら、泣き顔の世羅がみつきに抱きしめられて笑ったことに安堵していた。


(―みつき、お前すごいな…)


 一成はみつきの子供の扱いのうまさにすっかり感嘆していた。子供と同じ目線で語り合うことの出来るみつきの純粋さ、それが子供達の無垢な瞳に嘘偽りなく届くのだろう。一成にはそれが褒め言葉になるかは分からないけれど、間違いのないみつきの才能だと思えていた。


「好き…か…」


(―世羅、俺もちゃんと言わないとな)


 一成は世羅がまたみつきの絵本の読み聞かせをおねだりし始めたのに肩をすくめて病室に足を踏み入れた。


「みつき、いいのか?明日出発だろ?」

「え…そか…でも、カズ、ごめん。一冊だけ、ね?」


 みつきは一成に差し出された手と涙がひいた世羅を交互に見つめて、手渡された絵本を盾に一成に首をかしげた。一成がみつきのおねだりに少し長めに吐息をつくと、みつきはそれがどんな意味を持っているか知っていてぱっと顔を輝かせた。


「一冊だけだぞ。いいか、世羅」

「おう、いいぞ」


 世羅が一成の真似をしたことに一成は世羅の髪をくしゃっと崩すと、真似すんなと笑って軽く小突いた。みつきは明日終業式が終わったらアメリカに旅立つ。クリスマスから正月までをアメリカの母と総一郎のもとで過ごさなければならないと口を尖らせていたのは先日のことだ。


(―チャンスは今日しかないか…)

 一成は世羅とみつきを見つめながらコートのポケットの内側の存在に思いを馳せていた。



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