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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密
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第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密(7)

 Edgzの狭い店内は勇次の驚きで満ち溢れていた。妙な沈黙が一成と勇次を包み込み、一成は居たたまれない様子でコーヒーカップの柄の付け根を指先でひっかくようにいじっていた。


「女…物…?俺が今聞いたのは、幻聴か…?」


 勇次の声音は本気の戸惑いを載せていた。一成の本心を探ろうとでもいうのか、その視線は一成のきょどきょどと動く瞳を見つめ、照れくさそうなそぶりを見せる幼馴染をしみじみと眺め渡していた。そんな勇次の視線にしばらくは耐えていた一成だったけれど、あまりに長いことそう見つめられどうにも居たたまれなくなると吐息を洩らしてきびすを返した。


「もういい…」

「いや、待て待てっ、カズ、ちょっと待てっ」


 勇次は一成のコートの端をぎゅっと掴むと、案外と無抵抗な一成を作業場の椅子に無理やり座らせた。


「お前の口からそんなセリフが出るとは思わなかった。悪い、ちょっと意外だったからびっくりしちまったんだ、すまん」

「どういう意味だよ」

「どういうもこういうも…そのままだろ」


 勇次はあまりのことに驚きすぎて、心臓が止まるかと思ったとばかりに胸のあたりをなでおろしながら深い呼吸を繰り返していた。しばらくそうして息を整えると、勇次は口を尖らせる一成の首におもむろに腕を回しその体を引き寄せた。


「なあ、カズ。どこで会ったんだよ。LIvRAか?」

「…違う」

「なんだよ、俺とお前の仲だろ?まさか前に洋平がチラッと言ってたあの子の事か?」

「洋平が…?」

「ああ、カズが小さくてかわいい子にくびったけだって…俺は沙紀のことかと思ったけど?」


 勇次は一成に回した腕に力を込めて一成を軽く締め上げた。その親しげなそぶりに一成は顔をしかめながらも、すねた様子で腕を振りほどくとぷいっと顔をそらした。


「沙紀じゃねぇよ」


 勇次はそむけた一成の頬が薄く染まっているのを目にとめながら、今度は軽く体で一成を小突いた。


「なあなあ、ほんとはどんな子なんだよ。教えろって…写真とかねぇの?あんだろ?」

「写真…?」

「そ、写真。デザインするのにその子の雰囲気知らねぇとできねぇだろ?どこで会ったとか、あんまり詮索しねぇから、な?持ってんだろ?見せろよ」


 一成はもっともらしく迫る勇次に根負けし、ようやく携帯を開いて勇次に示した。勇次は携帯と目の前の一成を忙しく行き来しながら、ほ~ほ~と、感心とも冷やかしともつかない意味ありげな声を漏らし続けた。


「何だよっ、もういいだろっ」


 怒鳴りつけて勇次から携帯を奪い返した一成の慌てぶりとその照れたそぶりがますます面白い、勇次はそんな思いを胸にしながら、一成の幸せを喜ぶ気持ちと冷やかす気持ちがまざった複雑な表情で一成に口を開いた。


「お前趣味変わったな…彼女か?」

「彼女じゃねぇっ」


 一成は慌てたように強く否定した後、小さくつぶやいた。


「今は…」


 小さな呟きは勇次の耳にしっかり届いていたけれど、勇次はそれにふ~んというだけで、約束通り詮索はしなかった。ただ初めての恋に浮かされて頬を染める一成の姿がやけに愛おしい、勇次はしょぼくれた一成の肩にぽんっと力強く手を乗せた。


「クリスマスには間に合わせてやるよ」

「べっ、別にクリスマスじゃなくていいんだ」

「いいからいいから、気にすんな」


 勇次は頼もしげに一成の依頼を引き受けると、さっそく作業に取り掛かろうとでもいうのか、職人の顔を浮かべつつも口はしに幼馴染への冷やかしを忘れなかった。


「うまくいったら、俺にも紹介しろよ」

 勇次に背中をぽんっとたたかれた感触、じんわりと温かくなるようなその手は一成を何度となく暗闇から救い出してくれていた。勇次は一成の表情がやけに穏やかで、身にまとう雰囲気が一転した理由に納得すると、クリスマスまで徹夜覚悟で挑む事になりそうな伝票の束にも小さく微笑んだ。



 沙紀が入院したのは駅から徒歩圏内にある救急病院だった。古めかしい建物の薄汚れた壁、引き開けるときしむ窓、昔ながらの病院の臭いが染み付いた廊下の向こうに珍しく笑い声が響いていた。


「『どうしておばあさんのお耳はそんなに大きいの?』『それはね、お前の声をよく聞くためだよ』『どうしておばあさんのお口はそんなに大きいの?』『それはね、お前を取って食べるためさっ』」


 みつきは低めた声音でできるかぎり怖そうな狼を演じながら、左手にはめた狼の人形で右手にはめた赤頭巾に襲い掛かる。子供達はみつきの熱演に目を見張りながら赤頭巾の危機にきゃあきゃあと騒ぎ立てた。


「赤頭巾ちゃんあぶないっ」

「逃げてっ」


 子供達が必死に応援する声に応えて赤頭巾はテーブルの端へと逃げ出した。けれど左手の狼はあっという間に赤頭巾に追いついて赤頭巾を食べてしまった。


「ああっ」


 子供達の不安げな声が病室に響いた。そうして赤頭巾が狩人の手によって救出されるまで、子供達は固唾を飲んでみつきの芝居に見入っていて、みつきは鳴り止まないスタンディングオベーションにしばらく照れ笑いを浮かべていた。


「うまいもんだ。お前、幼稚園の先生にでもなればいいじゃねぇの?」

「えへへ、瑠奈ちゃんに人形作ってもらって、こっそり練習したんだよね」

「そうか、だから課題が遅れたのか」


 一成はチェックし終えた課題ノートでみつきを軽くたたきながら、みつきが瑠奈と連日なにやらこそこそ立ち回っていたことに思いを馳せた。けれど、さすがの一成も入院してから一番楽しそうな沙紀の笑顔を目にしてしまっては、課題の遅れを強く戒めることも出来なかった。


「みつきちゃん、すごい楽しかったぁ」

「ほんと?よかった、沙紀ちゃんに喜んでもらえて。このお人形ね、あたしのお友達が作ってくれたんだよ」

「ほんと、上手ねぇ」


 最後の感心しきった声音は一成の母親のものだった。いつからそこにいたのだろう、コートもマフラーもはずして母が病室の入り口からみつきに拍手を送っていた。


「母さん…今日は遅いんじゃなかったのか?」

「うん、でも早く来てよかったわ。一成ったらいつまで経っても会わせてくれないんだもの」

「う…」


 一成の母は気まずそうに押し黙った息子を軽くねめつけながら、その隣でにこにこと人当たりのよい笑顔を浮かべる少女に向かって微笑んだ。


「あなたがみつきちゃんね?沙紀と一成がいつもお世話になってます。いつも沙紀がみつきちゃんのこと楽しそうに話してるのよ」

「あは、そなんですか?あたし、早瀬みつきです。カズにはいっぱいお世話になってます」


 みつきはいつもよりぐっと大人しい自己紹介を終えると、勢いよく頭を下げた。そうして頭を下げるといつもの寝癖がぴょこりと跳ねて揺れ動く。


「また跳ねてんぞ…それどうにかなんねぇのか?」

「ありゃぁ…また跳ねちゃった?」


 一成がみつきの寝癖をそっと抑え、みつきがその一成の手の後に手ぐしをかける。そうしてみつきが手ぐしを入れるたびに盛大に跳ねるクセ毛を、一成はくしゃっと崩し小さく吐息をついた。


「どうにもなんねぇんだろうな」


 その吐息の中の微笑みに母は知らずと笑みがこぼれていた。みつきのしぐさの一つ一つを愛でながら、同時にその世話を焼く息子のしぐさが愛おしく見える。


「ふふ…ほんと、かわいいお嬢さんね」

「でしょ?」


 沙紀は母の囁くような感嘆の声に小さく同意をしめすとうれしそうに微笑んだ。一成のこんな顔を見たのは初めてではないだろうか、一成の母は沙紀に向けるのとは異なる一成の優しげな瞳の色に思いを馳せていた。


「おい、みつき。これよんでくれ」


 一成にくしゃくしゃにされた髪の毛に口を尖らせるみつきに、この小児科病棟のお山の大将が絵本を差し出した。幼児体型のおなかを突き出すように胸を張り、一成に対抗するように精一杯背伸びしているその子は、五木世羅いつきせらと名乗っていた。

 みつきは世羅に差し出された本を受け取ると一成を見上げてからその瞳に了承を見出し、世羅に向き直った。みつきは沙紀の隣のベットの少女や、まだ病室に残っていた子供達を呼び集めて本を開くと、小さなベットの周りには一つの本では足りないだろう程こども達が群がっていた。


「人気者ね」

「ああ…みつきはいつもあんなだな」


 一成が子供の群れからかなり距離を取って椅子に腰掛けると、母はそっとその耳元に囁いた。


「一成の彼女があんなにかわいい子で母さん安心したわ」

「かっ、彼女じゃねぇって言ってんだろっ」


 一成は母親の囁きより更に潜めた声音で否定しながら、赤らむ頬と耳の熱さにふいっと顔を背けた。


「ふふ、一成ったら照れちゃって…そんなに赤くならなくてもいいじゃないの」

「う…うるさいなっ」


 一成が母親の楽しげなそぶりを振り切るように立ち上がると、母は息子の憤りなどに萎縮することなくまたにこりと微笑んだ。


「あら、おトイレ?」

「違うっ、コーヒー買ってくるっ」

「あら、じゃあお母さんにもお願いね」


 母は息子の動揺と憤りをにこやかに一蹴すると小さく手を振りながら一成が病室を足早に立ち去る姿を見送っていた。


(―今日は来ないと思ったからみつきを呼んだのにっ、なんでくんだよっ)


 一成がエレベーターホールの自動販売機を目指し広い歩幅で歩いていくと、ナースステーションから若い看護師がさっと足早に近づいてきた。


「あの…」

「はい…?」


 沙紀のことで話でもあるのかと足を止める一成に、看護師は辺りにすばやく視線を走らせると手早く一成に小さな紙切れを握らせた。


「待ってます…」

「はぁ…?」


 一成は看護師に掴まされた紙切れの意味を一瞬分かりかねたけれど、紙片からのぞく11桁の数字に眉根を寄せた。


(―勘弁してくれよ…)

 一成はすでにナースステーションに消えた看護師の背中を軽く睨みながら、手中の紙切れを握りつぶしポケットに押し込んだ。



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