第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密(6)
「ったく…どうせ持てないだろ…」
一成が頭をかきながら廊下に足を踏み出したとき、その足がはたと動きを止めた。ここで自分が行かなければ、缶コーヒーを持ちきれないだろうみつきは瑠奈を連れて部室に来るはずだ。そこに思い至ると一成はゆっくりとソファへ向き直り、静かに腰を下ろした。
「なに…?迎えに行かないの?」
洋平は一成の挙動に雑誌の向こうから不思議そうに視線を投げてから、珍しいと呟いた。一成はそんな洋平のそぶりに口角を引き上げると、洋平の手にした雑誌がくしくもクリスマス前にありがちなプレゼント特集であることを指差した。
「なあ、それ、藤宮にあげんのか?」
「へ~…カズ、名前覚えたの?今日は珍しいことだらけだね」
「なんだよ…うるせぇな」
洋平は一成の問いかけを一瞥すると雑誌をぱらぱらとめくりながら、なにかいいものがないかと物色するときと同じような口調でそっけなく言い放った。
「そんな変に気遣わなくても、瑠奈ちゃんのことならもうそろそろ潮時だと思ってるよ」
「…どういう意味だ?」
洋平は手にした雑誌をパタンと閉じて胸に抱くと、一成の浅はかな企みなどお見通しだとばかりに溜め息まじりに口を開いた。
「僕はカズと違うから、好きなら好きってちゃんとアピールできるし、お土産もジュースも買ったりしてさ、ただの仲いい先輩で終わらないように頑張ってる。でもねぇ…どうも反応がうすいんだよねぇ…」
「人見知りなんだろ」
洋平の声音が力なく響くと、その覇気のない口調に浩一郎の言葉にはつい力がこもっていた。けれど洋平はそんな友人の温かな励ましにも胸に抱いた雑誌を丸めたまま遠くを見つめてため息をつくばかりだ。
「ん~…最初はそれもいいなと思ったんだよね。ちょっと話しかけると真っ赤になっちゃうとことかさ、かわいかったんだけど…いつまでたっても変わんないのはねぇ…さすがの僕も自信なくしちゃうよ」
「お前でもそういうことがあるんだな」
一成が心底驚いたような口調で浩一郎と顔を見合わせていると、洋平は勢いよく体を起こしてその口角を意味ありげにくっと引き上げた。
「ま、でももうやめようと思ってさ。やっぱり僕はまだまだいっぱい遊んで高校生活を楽しむ事にするよ。まだ手出してないし、みつきちゃんには怒られないよね?」
洋平の口調はいつものように軽薄に響きながら、その実ほんのりと肩を落としているように見えた。一成が少なからず諦めの混じった洋平のそぶりにどう声をかけようか逡巡していると、洋平はおどけたように肩をすくめ何かを含んだような瞳で一成を覗きこんだ。
「僕のことよりカズのことだよ。みつきちゃんへのプレゼント、決めたんでしょうねぇ」
「な…なんだよ…」
一成は打って変わったような洋平の口ぶりと、自分としては今触れて欲しくない話題に触れられたことに口を尖らせた。洋平はそんな一成のそぶりに全てを悟ったように瞳を眇めると、丸めた雑誌をぽんぽん叩きながら、一成に挑むような口調で口を開いた。
「で、なにあげんのさ。……まさかコクって指輪っ?…な、わけないか。カズ、早くしないと今度こそ元にとられるよ」
「は…元は関係ねぇだろ…」
「またまたぁ、カズはほんとにばかだねぇ。バカカズだ、バカカズ。さっさと言ってあげないと愛想つかされるよ」
「うるせぇなっ。言えばいいんだろっ、言えばっ」
洋平の言葉にいつも通りに煽られて、一成はやけくそ気味に声を荒げた。言わなければならない言葉も、言うべき時も分かっている。ただそれを実行に移すだけの気力と勢いがどうにも沸き立たないだけだ。
「ま、僕は元にとられて泣いてるカズを見てみたいけどね。カズ、そんなやけくそは玉砕必死だよ」
「ぎょ…玉砕…」
洋平の言葉に今まさに、一成は砕け散っていた。音を立てて崩れ去る一成を洋平は歪んだ笑みで愛でながら、ふふんと得意げな鼻息と共に再び雑誌をめくりだした。
「洋平、あんまりカズをいじめるな」
「浩…」
「なあ、カズ、あたって砕けろだ。早く言ってやれ」
見るに見かねて浩一郎は助け舟を出した。出したはずだったのに、ぽんっと励ましを込めた浩一郎の手は一成の体を粉々に打ち砕く。
「浩、そのまっすぐな毒がいいねぇ」
浩一郎のまっすぐな心根ゆえに飛び出した発言に、洋平が賞賛の拍手を送ると、浩一郎は自分の発した言葉にすっかり一成が意気消沈してしまったことに気づき、慌てて言葉を取り繕った。
「いや、そうじゃなくてだな、その…」
懸命に言い繕おうとする浩一郎の言葉が、一成にむなしくこだまする。洋平がそんな純粋な追い討ちをかけてしまう浩一郎にほくそ笑んでいると、今度は晴彦が浩一郎の肩に手を乗せた。
「…どうかな…」
晴彦の静かな、それでいて突き放すような決定打に一成が愕然とした時、やっとみつきが瑠奈の手を借り人数分のコーヒーと共に部室に姿をあらわした。
「おっまたせ~」
「遅いっ」
「ごめんねぇ…だからお詫びにコーヒー買ったんだよぉ」
一成が皆に攻めたてられ尽くしてからのみつきの登場の間の悪さに憤っていると、みつきは頬を膨らませながら一人一人にコーヒーを差し出した。洋平は瑠奈が物も言わずに顔を俯けたままおずおずと差し出すコーヒーを受け取ると、少し困ったように微笑んだ。
「瑠奈ちゃんありがと。みつきちゃんも、ごちそうさま…いろいろと」
洋平の嫌味に一成がまた色を成し、みつきは洋平の言葉に首をかしげていた。
「瑠奈ちゃん、そんなとこで立ってないでどうぞ、すわって」
洋平はソファから立ち上がると、紳士的に瑠奈をソファへ促し、自分は中庭を見下ろす窓際に体を寄せてプルトップを引き開けた。相も変らぬ言い合いをする一成とみつきの仲睦まじい姿を尻目に、ソファに腰掛けおどおどと缶コーヒーを握り締める瑠奈の姿に洋平は小さなため息をついていた。クリスマスまであと数週間、その頃自分は違う女と過ごしているだろう、洋平はそれこそが自分の自然な姿だと妙に納得できてしまった。
(―ま、僕にはその方が合ってるよ)
洋平は中庭を吹きすぎていく寒風が音を立てて吹きすぎていくのを見つめながら、窓から伝わる空気の冷たさに小さく身震いしていた。
洋平たちにやいのやいのとせっつかれ、ようやく一成は沙紀の見舞いに向かう道すがらEdgzを訪れていた。いつかは行かなければならない、いや、行くつもりではいたけれど、実際にEdgzの看板を目にし、そこに至る階段を見あげているとその足がその場で凍りついてしまったように動かなくなっていた。どのくらいの間立ち止まっていたのだろうか、一成がEdgzの木製の扉を押し開けた時にはその体の芯まで外の寒さが染み入っていた。
「勇次…久しぶり」
「よお、カズじゃないか…なんだ、ずいぶん久しぶりな気がするな」
すっかり体の芯まで冷え切った一成の声音は意図した以上に震えていた。勇次はいつもより顔色の優れない強張った一成の表情に首をかしげながら、作業途中の指輪を光にかざして瞳を細めた。
「寒かっただろ?こっちにストーブあるぞ?ついでにちょっとコーヒーでも淹れてくれないか?」
「ああ…」
一成は常と変わらない勇次の口ぶりに言いよどむ息苦しさを滲ませながら、勝手知ったる自分の家とばかりに作業場の奥の棚から慣れた手つきでカップを二つとりだした。
「そういえば沙紀が入院したんだろ?だいじょうぶなのか?」
「ああ…母さんか?」
「まあな、この間そこであった」
勇次はかざしていた指輪を作業台にもどすと、片目に当てていたルーペをはずしEdgzの前の通りを目で示す。両親同士が仲のよかった勇次と一成は本当の兄弟のように育ち、勇次も沙紀のことを一成同様心の底から案じていた。
「沙紀はかなり落ち着いてきたけど、まだ夜の発作があるし、今回は最初の発作がひどかったからすこし長く入院する事になったんだ。クリスマスは無理だけど、年末には退院できるかもしれない」
一成は窓から見える沙紀の入院している病院を見つめて、淹れたてのコーヒーを勇次に一つ差し出した。
「そうか…俺も近いうちに見舞いにいけるといいんだが、どうも急ぎの仕事ってのがはけなくてな」
勇次は壁に張られた数枚の伝票に肩をすくめて一成に渡されたコーヒーを冷ましてから口をつけた。インスタントコーヒーはさほどおいしいものでもないけれど、慣れ親しんだ安定感がある。勇次は作業の合間の息抜きをしながら、コートを着たままやけに神妙な面持ちを見せる一成に口を開いた。
「で?お前はどうしたんだ?まさか沙紀の報告だけに来たわけじゃないよな?」
「え…?いや…まあ…」
一成は手にしたコーヒーカップから伝わる熱気の中に呈のいい言葉を探しながら、勇次の問いかけに言葉を濁して佇んだ。一成はしばらくそのまま逡巡し、何度も口を開きかけては押し黙り、ようやく意を決して発したその言葉に勇次がかなり申し訳なさそうに口を開くのを見つめていた。
「腕時計…?悪いなカズ、今注文が立て込んでてな、急いでもクリスマス明けになっちまう」
「ああ、いいんだ…別に急がない」
心が決まりきっていないのだからそのほうがむしろ一成にはありがたく思え、勇次の謝罪に少しほっとするそぶりすら見せていた。勇次はそんな一成の様子に首をかしげ、瞳を眇めて一成を見た。
「いいけどお前…腕時計なんかしないだろ?」
「いや…実は…」
言いよどむ一成の言葉を聞き進むうち、勇次は一成を見つめる視線に明らかな驚愕を載せ始めた。




