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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密
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第6章 寝ぐせ姫のほんとの秘密(5)

 12月に入り、中庭の植木のほとんどが茶色く染まり、空は低い雲に覆われてどんよりと沈んでいた。そしていつものジュースを一成に開けてもらったみつきの様子もその空模様と同じくらい落胆していた。


「沙紀ちゃん…入院しちゃったんだ…」

「ああ、前から喘息が結構重くてな。ここんとこの寒さで発作がひどくなって、昨夜入院したんだ」

「そか…それは心配だね」


 みつきは一成以上に肩を落として沙紀の身を案じているようだ。いつもは軽薄に跳ねている寝癖も今日はちょっぴり勢いがない。


「まあそんなわけで、俺これから毎日沙紀の見舞いに行くから、お前さ、補習の後一人で帰れるよな?」

「うん…でも、あたしもお見舞い行きたいな」

「ああ…ありがとな。でもまだしばらくは無理そうなんだ…落ち着くまでもう少し待ってくれるか?」

「うん…わかった。カズ、沙紀ちゃん心配しすぎて倒れないでね?」


 みつきが少し寝不足な一成の瞳を覗きこみながらきゅっとその体を抱きしめると、一成は案外と細やかに人を気遣うみつきの優しさに愛おしさを込めて抱きしめ返した。


「みつき…ありがとな」


 もう年も押し迫っていくこの季節、中庭で語り合うには寒さがこたえる。けれど、一成はこの腕を緩めることなくいつまでもこうしていたい思いに駆られていた。


「カズ…くるし…」


 あまりに強く思いすぎて抱きしめすぎたのだろう、一成の腕の中でみつきがあぷあぷと溺れそうになっていた。


「ああ…悪い、悪い」

「ぷはっ…あ~苦しかった。でもカズ、カズってあったかいね」


 一成の腕の力が緩み息継ぎをしてから、みつきは再びその胸元に顔をうずめると一成の温もりを楽しむように瞳を閉じた。


「眠くなっちゃう…」

「寝んなよ?」

「うん…だいじょぶ…でも、眠い…」


 ふわぁ…と小さく欠伸を洩らしたみつきの髪、ぴょこんと跳ねた寝癖を撫でながら一成も知らずと欠伸を洩らして瞳を閉じた。


「あたしの欠伸がうつった?」

 一成は自分の欠伸にみつきがいたずらっぽく微笑んだのに笑みを返すと、またその髪をくしゃりと撫で上げた。



「ラブ度急上昇…体育祭からここ最近の盛り上がりは、なかなかみものだねぇ」


 季節は冬の始まりを告げているというのに、二人を取り巻く空気のうららかさがあたりを春色に染め上げている。洋平は中庭に繰り広げられる甘い光景に瞳を眇め、そして傍らの元は絶妙に囁かれた洋平の言葉にピクリと体を強張らせた。


「…洋平先輩…俺のこと嫌いですよね…」

「いやぁ、僕は誰のことも大好きだよ」

「…歪んだ愛情なんですね…」

「失礼だな、愛あるが故に厳しさも伴うんでしょ?ね、元?」


 洋平の何気なく元に触れる手に、毎度のことながら込められたとげとげしさが元を深々と貫いていく。元は一成に向けられたみつきの笑顔に心を締め付けられながら、目をそらせない自分の未練がましさを叱咤するように吐き出した。


「早くくっついて欲しいっす…」

「あれ?元はもうリタイアすんの?」

「はじめっから勝負になってないじゃないですか…」

「ふ~ん、僕は結構イイ線行ってたと思うのにな」

「え…」


 深海の底、光の届かない場所に沈没していた元の心が、洋平の言葉にわずかに揺らめいた。

 海流すらも遠慮がちに流れるよどみの中で、洋平の言葉がやけに穏やかな声音を持って元に反響し、洋平のいつにないやさしさが元の乾いた心に染み渡った。


「カズに微笑むみつきちゃんってかわいいよねぇ」


 ぽんっと軽い音を立てて元の肩に置かれた手は、元を一気に奈落の底へと突き落とした。


「安心しな、元。君の死刑執行は近いから」

 容赦ない洋平の追い討ちは岩肌にしがみつく元の手をにこやかに踏みつけて、元を完膚なきまでに打ちのめした。



 その日の放課後になっても雲は一向に切れる気配を見せず、どんよりと澱んだ冬の冷たさを湛えつづけている。中庭を吹きすぎていく風が茶色く変色した小さな葉っぱを舞い上げて渦を巻きながら儚い乾いた音を立てていた。その木枯らしの中、中庭の片隅でみつきと瑠奈がなにか雑誌のようなものを手に囁きあっている。


「あんな寒いとこで話すなら、ここにくればいいのにねぇ」


 洋平は窓の向こうに切なげに呟きながらアルミのサッシに両腕を乗せて物憂げに結露を指先で弾いた。一成はいつにない洋平のため息の重さに思わずその横顔へ驚愕のまなざしを向けていた。


「洋平…?どうした…?」

「ん~…べつにぃ…」


 洋平は一成の問いかけに心ここにあらずな返事を返すと、手近な雑誌を拾い上げてソファへぼすっと体を沈めた。一成がその洋平の挙動を目で追いながら首をかしげると、その向こうから浩一郎が中庭を無言で指差していた。


「カズ…あれだ、あれ」

 ふてくされたそぶりを見せる洋平の向こうで浩一郎の唇がそう動いていた。一成がいぶかしむように視線を向けた中庭では寒風吹きすさぶ中で一冊の本を挟み、体を寄せ合い微笑み合うみつきと瑠奈の姿があった。


(―あいつ…遅いと思ったらあんなとこにいたのか…)


 一成は期末前の大事な時期にみつきに放課後を楽しむ権利はないと考えていた。それでもみつきはいつもクラスメイトとの放課後を楽しんでから部室に現れ、毎日一成に小言を言われながら補習を受けるはめに陥っていた。一成は今日も変わらぬみつきののんきなそぶりに肩をすくめると同時に、その隣で微笑む瑠奈の姿に驚いてた。


(―へ~…あの子も笑えるんだな…)


 ようやく瑠奈の名前を覚えるに至った一成ですらその微笑みがかなり貴重なものであることを知っていた。まるで人形のように均整の取れた顔立ちはいつも強張り、ほんの一瞬でもみつき以外の人間と目が合うとその顔を真っ赤に染め上げ押し黙ってしまう。およそ笑うという表情とは程遠いしぐさばかりの彼女に、洋平はしばらく前までめげずに声をかけては逃げられていた。


「笑うとかわいいんだよねぇ…」


 洋平は一成が瑠奈の笑顔に感嘆しながら中庭を見下ろしている背中に声をかけると、また重みのある溜め息をついた。一成はその洋平の声に納得しながら、みつきの視線が自分を捕らえたのを認めると薄く窓を引き開けた。


「カズっ…ああっ、もうこんな時間っ…」


 みつきは一成に見られている事に気付くと慌ててベンチから立ち上がり、瑠奈の手にした本を閉じると一成に向かってぎこちなく微笑んだ。瑠奈の手にした本は雑誌でもなく、ましてや参考書でもなく、どうやら手芸の類の本のように見えた。


「カズっ、ごめんっ。すぐ行くね」

「みつきっ…走るなっ、転ぶぞっ」


 みつきは瑠奈を促して走り出そうとしてから足を止めると、スカートをふわりと翻しながらその声を振り仰いだ。


「もう…だいじょぶだよぉ。そんなにいつも転んでないもんっ」


 一成はみつきのスカートが中庭の風に煽られ舞い上がったことに一瞬焦りながら、瞬時にその周囲に視線を走らせ誰の目もないことを確認してからほっと息をついた。けれどみつきは一成の懸念などに頓着するそぶりは欠片も見せず口を尖らせむくれて抗議の声を昇らせていた。


「お前はほんとに…気をつけろっていつも言ってんだろっ」

「むぅ…カズのおこりんぼぉ。まだ転んでないじゃん」


 みつきは一成の小言の意味合いを微妙に取り違えながら腰に手をあてむくれてみせると、溜め息交じりの一成の視界の中でまたくるりと向きを変え肩越しに一成を振り仰いだ。


「だからっ…」

「カズっ、コーヒーでい?みんなもそこにいる?」


 脱力しそうなほどみつきの警戒心のない挙動に一成がまた深い溜め息をつくと、みつきが小銭入れを片手に首をかしげていることにうなずいた。


「あ…ああ…」

「ん、じゃあ買ってくね~」

 みつきは一成の返事に満面の笑みを浮かべると今度は自動販売機に向かって一直線に駆け出した。



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