第5章 寝ぐせ姫の恋愛事情(14)
チャポン、みつきが腫れてしまった右足を氷水の中でもて遊び、水音を静まり返った保健室に響かせていた。保健医は相変わらず退屈をもてあまし、みつきに隠そうともせずエロ本を広げていた。
「せんせ~、しっつも~ん」
「なんだよ」
「さっきのはいったいなんだったんでしょ…?」
「はあ…?そんなん俺がお前に聞きたいよ」
「う~ん、わかんないから聞いてんのにぃ…何でカズ、殴られちゃったのかなぁ?やっぱ喧嘩してたのかな…?」
それまでみつきの間抜けな声音に一瞬たりともエロ本から目を離さなかった保健医も、この質問にはさすがに眉をしかめてみつきを振り向いた。見れば見るほどガキくさい、ミルクの匂いが漂いそうなみつきの雰囲気に、保健医はますます顔をしかめた。
「お前ほんとにわかんねぇの?」
「え~、せんせはわかるのぉ?」
瞳を丸めて見つめるみつきの瞳には、保健医を純粋に尊敬する気持ちが込められていた。保健医はこんな分かりやすい事実に、まったく気がつかないみつきの根性のすごさに深いため息をついた。
「あのな、早瀬、お前はにぶちんすぎる」
「む~、そんなことないもん、ちゃんとチアだってやってるよ?」
「そういう意味じゃねぇよ、ばか」
「ばかじゃないよぉ、最近はべんきょだってがんばってるもん」
みつきは甘えた口ぶりで上目遣いに保健医を見たけれど、そうされてもまったく男心が騒がなかった。保健医は自分の規格外の女のどこがいいのか一成と元の心情をいぶかしみながら、大きなため息の後に手にしていたエロ本をみつきに突きつけた。
「なあ、早瀬、男というものはこういうものが好きなんだ、それは分かるか?俺はな、これなら取り合う気持ちがよく分かる」
「取り合うって…エロ本を?」
みつきの口調はあくまで真剣だった、真剣がゆえに保健医は一瞬そのあまりの無邪気さに取り込まれそうになって声を荒げた。
「お前なぁ、それは天然かっ、天然で言ってんのかっ?」
「う~ん、本気…かな?」
彼のお宝コレクションが彼の背後のキャビネットに詰め込まれているのをみつきは知っていた。あれだけある蔵書をこれ以上取り合おうとする保健医の心情はみつきには分かりかね、そうして首をかしげるみつきの声音の頼りなさに、保健医はまた憤りを露わにエロ本をばんばんと叩きながらみつきに卑猥なページを開いて見せ付けた。
「あのなぁ早瀬、お前高校生だろっ?俺が言いたいのはこの中身っ、こんないい女だったら俺は取り合ってもいいっ」
わけが分からないとばかりに保健医の剣幕に押されているみつきに、保健医は強い口調で言い切った。
「けどな、俺はお前を取り合いたいとは思わないっ」
どうだわかったか、そんな風に保健医は反り返りながら息を切らしていたけれど、みつきはそんな保健医の熱心な指導にますます眉をしかめてしょぼくれた声を出した。
「水着ギャルと比べられても勝てないよ…せんせ」
保健医はみつきの間抜けな声にますます怒りをヒートアップさせ、エロ本を突きつける手に力をこめた。
「いいか早瀬、これをみろ」
「きゃっ、せんせのえっちっ」
一成は中庭から保健室に向かうその廊下で、保健室からもれ聞こえた声に顔色を失い、みつきの貞操の危機を悟ると保健室に飛び込んだ。
「みつきっ」
保健医がエロ本片手にみつきに迫っている、一成はその光景の意味を考える間もなく怒りにまかせて保健医の胸倉を掴みあげた。
「こんのエロ保健医、なにやってんだっ」
「だ~、待て、待てっ、降参、降参っ、これあげるから、ね?」
「こんなのいるかっ」
保健医が交渉に差し出したエロ本を一成は床にたたきつけ、すぐにみつきを振り向いた。
「大丈夫だったか?こいつに何もされなかったか?」
保健医という立場がなかったら一成に早々に殴られていたかもしれない、保健医はそういう冷や汗を拭いながら、一成がみつきの無事を確かめるのを苦々しげに睨んだ。
「こんなお子ちゃまに手ぇだすかぼ~け」
保健医がふんっと毒づくのを一成が冷たい瞳で睨み付ける中、みつきは楽しげな声をあげた。
「いまね、せんせとエロ本競争の話してたんだよ」
氷入りのたらいの中でみつきが足をちゃぽちゃぽさせながら話す内容は、エロ本と水着ギャルで埋め尽くされていて、一成はみつきの口を途中で押さえた。
「みつきはそんなことを覚えなくていいっ」
「え~、だって、せんせは高校生ならこのくらい知らなきゃダメだって」
むすっと一成に口答えするみつきを尻目に、一成は保健医の胸倉を掴みあげた。
「何の話をしてんだっ、なんのっ」
「ぐえ~、そういうことは言っちゃだめでしょ~、早瀬ちゃん」
保健医は一成の怒りのままに首元を絞められ、諸手を挙げて小さく無抵抗を示しながらみつきに向かって抗議の声をあげた。
「う~ん、でも、カズ。男の人はこういうの好きなんじゃん?」
みつきがエロ本をぱらぱらと事も無げにめくっていくのを一成は勢いよく取り上げると、小さな子供をしかりつけるように顔をしかめた。
「みつきは見なくていいっ」
「え~、いいじゃん、興味あるんだもん」
「そんなことに興味を持つなっ」
「む~」
みつきは取り上げられたエロ本を恨めしげに眺めながら、子供扱いをやめない一成に頬を膨らませた。
「まあまあ、ほら。森、これはお前にやるから、な、気を静めて」
保健医が新しいエロ本を手に一成に再び交渉を仕掛けると、一成はそれを振り払い保健医に鋭く詰め寄った。
「誰のせいだよ、誰のっ?」
「あ、そんなこと言っていいのかな?あのこと言っちゃうけど…」
「あのこと…?」
一成が声を荒げて詰め寄っているというのにこれまでと打って変わった余裕を浮かべる保健医の不穏な囁きに一成は眉根を寄せた。一成としては思い当たる節のない事柄に眉をしかめていると、保健医はそんな一成をじらすようにわざと時間を置いてから、得意げな声音で一成の耳に囁いた。
「お前が早瀬を好きだって事だ」
「なっ…」
一成の顔色が瞬時に真っ赤に染め上がった、目覚しいほどのその変化に保健医はようやく一成より優位に立った余裕を見せつけると口元を歪ませた。
「ふふん、千里眼なんだよ、俺は」
一成の顔に浮いてしまった肯定はどんな否定の言葉を駆使してももうどうしようもない、一成は胸に広がる虚脱感と保健医にしてやられた敗北感にただその場に打ちひしがれた。
「なになに~、ね~ね~」
みつきがいつものように一成のシャツを引っ張る手も子供のようにねだる声も、一成の虚空にむなしく響いていくだけで一成はただただその場に立ち尽くすしか出来なかった。




