第5章 寝ぐせ姫の恋愛事情(7)
昼休みも半ばを過ぎ、学食で昼食を取る学生の姿がまばらになってきた頃、みつきが空になったトレーにむかって両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
ぴょこりと頭を下げるといつもの寝ぐせもぴょこんっと跳ね上がる。みつきは黄色いプラスチックのトレーを手に立ち上がると、同じように立ち上がった元に向かって口を開いた。
「元ちゃん、先に教室戻ってて。あたしカズのとこ行ってくる」
「カズ先輩の…?でも…みつき英語の宿題写すんだろ?」
「あっ…そか…そだった」
みつきを一成のもとへ行かせないための元の誘導にみつきは一瞬乗りかけながら、すぐにきびすを返すと微笑んだ。
「でも…やっぱり行ってくる」
「あっ…みつきっ」
みつきは元の制止など聞かず、一成が座っていたはずのテーブルのそばに小走りで近づいていく。4人掛けのテーブルには一成の姿も浩一郎の姿も見えなかった。元は挑発し続けている手前そのテーブルに近づくことも、みつきを呼び寄せることもできない。食器返却口の傍らに立ちつくし、元は握り締めた拳に力をこめた。
浩一郎と二人きりの部室、いつもならばお互い思い思いに過ごすその場所が今日は少し重い空気に包まれている。一成は浩一郎に問いかけられた己の気持ちを探してみるけれど、それはなかなか見つかりそうにない。探したところで本当にそんな人並みの感情を自分が持ち合わせているかすら分からなかった。
「浩…俺には分からない…沙紀とみつきの違いが見えないんだ…」
一成が体に感じる不思議な温度は、熱いようでいてその一部はやけにひんやりとしていた。はっきりしないぬめるような感覚は、一成の頭と心をぐちゃぐちゃにかき乱し気味の悪い色に染めあげていた。
「カズ、自分の気持ちをしっかり見てみろ。そうしたらきっと答えは見える。ただ焦るな。元のことに振り回されて自分を見失うな」
「分かってる…」
浩一郎のもっともな言葉も一成の内側で複雑に交錯する想いの前では、ただむなしく素通りしていくばかりだった。
「洋ちゃん、カズどこ行っちゃったの?」
学食の雑踏にまぎれ、みつきが洋平に小首をかしげていた。洋平は昼食の最後の一口を飲み込むと、みつきと同じように首をかしげて微笑んだ。
「カズなら浩と先に出て行ったよ。何?どうしたの?」
「んと…ちょとお願いがあるの」
「ふ~ん…たぶん部室だと思うけど…行くなら、僕も上に行くから行こうか」
「うん」
立ち上がった洋平に従いながら、みつきは気軽なそぶりで鼻歌を歌い始めた。みつきは元と一成の緊迫した状況が何によってもたらされているのか自覚がないようだ。しかもその事自体感じているかどうかすらも危ういように思えた。洋平はみつきの見事なまでの天然ぶりを観察しながら、うっすらと青あざの残るその膝頭を目に留めた。
(―みつきちゃんの作る痣は派手だねぇ…)
洋平はふんふんと自作の鼻歌に盛り上がるみつきを横目に、一成のいるだろう部室の扉を勢いよくひき開けた。
「カズ~、みつきちゃんが話、あるらしいよ」
がらりと開いた扉の向こうに、洋平がみつきと連れ立ってやって来ていた。計ったようなタイミングの悪さに浩一郎も一成も同時に顔を上げると、すぐに洋平のすまし顔を睨みつけた。けれどみつきは目指す一成を目にとめると、いつものようにまっすぐに一成に向かって駆けていく。
「カズっ、よかった、いた」
ぽすっと一成の胸元に飛び込んで微笑むみつきの無邪気な笑顔は、いつもとなんら変わりなかった。しかしそれを受け止める一成の心は千々に乱れ、その腕はみつきをあたたかく包むことも出来ない。
「みつき…」
元の気持ちに気付いた今、一成は自分の気持ちに向き合わねばならないときを迎えていた。しかし元のいけ好かない視線に煽られて毛羽立った一成の心では、その奥底を見通すことなどできるはずもない。
「洋平っ、ちょっと来いっ」
浩一郎はなす術を失いうつろな瞳をみつきに向ける一成の心を目にすると、密やかに洋平を廊下へ連れ出した。そしてそのまま浩一郎は、目に余る洋平の計算高い行動に憤りを顕わにしながら、洋平に詰め寄った。
「なんで早瀬を連れてきたっ?」
「別に?みつきちゃんがカズに会いに来ただけじゃん、いつものことだよ。僕が無理やり連れてきたわけじゃない」
「洋平…今のカズを見たら分かるだろうっ?カズをこれ以上無駄に刺激するな」
「カズは自分の気持ちも分からない馬鹿だからね。これぐらいしたってわかんないよ」
「洋平っ」
「浩、いい加減カズも気付いていい頃だよ。いつまでも甘やかすのはよくないよ」
洋平の瞳に浮かんだ闇が、やけに冷たく浩一郎を捕らえていた。洋平も一成と同じように何かが欠落している、浩一郎は背筋の冷える思いで洋平の言葉を耳にしていた。
「あのね、カズ、明日の体育祭でお昼にチアの衣装着るんだよ。だから終わったら一緒に写真撮ってくれる?」
「ああ…エキシビジョン…?」
屈託のないいつものみつきの表情、迷うことなく自分を見つめる瞳を見て、一成はどうにか言葉をつむいでいた。
「うん。ねっ、いっぱい練習したから、絶対見てねっ」
「ああ…」
「んじゃ、約束~」
みつきは指きりげんまんしながら一成に微笑んだ。節をつけながら嬉しそうに歌うみつきの子供っぽさがどうしても沙紀に重なるのを拭いきれない。いつものみつきの浮かれた口調が一成の微笑を誘うけれど、一成はそれを素直に受け入れることも出来なかった。
(―俺がみつきを好き…?)
好きと言う感情を暗闇の中に探しても、光の届かないその中で見つけることが出来るかも分からない。例え懸命に腕を伸ばしたとしても、果たしてそこにそんな感情があるのかさえ一成には危うかった。けれど、みつきが自分以外に同じように微笑み、同じように触れることを考えると一成の心がざわつくのを抑えられないことだけは分かった。もがけばもがくほどにはまり込む泥沼で、一成は頭上にきらめく小さな光にただ希望を見い出すしかなかった。




