第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐(16)
修学旅行から帰宅した一成の顔色も機嫌もかなり悪く、みつきはこそこそと物陰から一成の動向を見つめて溜め息をついていた。あの電話から翌日の朝まで悲しみのまま電源を落としていた携帯には、一成からの留守電もメールも入っていなかった。ほんの少し期待していた一成からの連絡がないことに、みつきは自分がしでかしてしまったつけをどう支払おうか、一成の背中を追いながら試行錯誤していた。
「み~つきちゃん」
洋平は柱の影から一成を見つめるみつきの視線に合わせて屈みながら、みつきの耳元に囁いた。一成の眉間のしわの本数ばかり数えていたみつきは、降って湧いたような洋平の囁きにびくりと体を強張らせた。
「どしたの?カズのストーカー?」
「よ…洋ちゃん…びっくりしたよぅ…心臓とまったよぅ…」
「ごめんごめん、びっくりした?」
みつきはイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべる洋平にほっと安堵の吐息を洩らしながら、胸をなでおろす。洋平はそんなみつきのそぶりを見ながら、その瞳が一成に負けないくらい長いこと悩んだ跡を覗かせている事に口元を緩めた。
(―カズも罪作りだよねぇ…)
洋平は一成の不機嫌さを隠さない足取りに目をやってから、後ろ手に隠していた紙袋をさっとみつきに差し出した。
「じゃあ、これお詫びにどうぞ」
「え…?」
「カズが渡せないみたいだから、僕が代わりにね」
洋平はだいぶくたびれてしまった紙袋から、しっかりと包まれた例のTシャツを覗かせていた。
「これ…」
「うん、カズからのお土産。ちなみに瑠奈ちゃんとおそろいね」
洋平はもうひとつ同じ包みの紙袋をイタズラっぽく掲げて片目を閉じた。みつきは洋平の手にした紙袋と自分に渡された紙袋を交互に見つめてから、やっとその瞳をほころばせた。
「ありがとっ、洋ちゃん」
「それはあそこでむくれてるお兄さんに言ってあげて」
洋平は眉間のしわが深まっていく一成を柱の影から指差して微笑んだ。みつきは洋平から受け取った包みを抱きしめて、洋平に大きくうなずくとあとはもう振り返らずに一成を目指して走り出した。
「一日一膳。僕、僧侶にでもなろうかな」
その手にぶら下がる紙袋を渡すのは二人が仲直りしてからだ、洋平はみつきの背中を見つめながら、頭の上で両手を組みそう呟いていた。
沖縄旅行から週が開けて、一成はどうしたらよいのかずっと思案に暮れていた。みつきにごめんといえばそれで済むのは分かっている。何度も通話ボタンを押そうとしながら指が迷い、何度もメールを打ったけれど、送信ボタンは押せなかった。洋平にも浩一郎にも晴彦にも、詳しく言わずとも何度も諭された。けれどそうして諭されれば諭されるほど、一成は頑なになる自分がもどかしかった。
そして同時にやいやいとつつかれることがわずらわしくて、一成は部室にいることも出来ず校内を当てもなく彷徨うはめになっていた。あと何周すれば答えが出るのか、一成があてのない道行に溜め息をつきながら中庭を見つめた時、そこからみつきが一成の前に転がり出てきた。
「カズっ、あのっ…こっ…」
「みつきっ…」
みつきはまさに文字通りに転がり出てきた。一成ばかりに気をとられたみつきは、中庭と校舎の段差に足をとられて廊下を2回転ほどもんどりうちながら転がっていく。
「なっ、なんだよ、どうした…大丈夫か」
一成はあまりに突然の出現にみつきが廊下に両膝を打ちつけながら転がる様を驚きのまま見つめるしかできなかった。
「みつき…?」
いつもならば盛大に泣き出しそうなみつきの泣き声もなく、すこし恥ずかしそうに浮かべる照れ笑いもない。ここ最近で一番派手な転がり方だったにもかかわらず、みつきはしっかりと包みを抱きしめたまま、その痛みをぐっと堪えていた。助け起こす一成の腕がみつきが何も言わずにじっと動かないことをいぶかしんでいた。
「頭でも打ったか…?」
一成が不安げにみつきの頭の瘤を確認しようと伸ばした腕は、みつきが強くかぶりを振った勢いで空で動きを止めていた。みつきは洋平から間接的に受け取った一成のお土産を胸に、気まずそうに一成を見上げてようやく口を開いた。
「カ…カズ…これ、ありがと…ごめんね」
「みつき…」
それは部室の片隅に置かれたまま一成の頭を悩ませていたあの包みだった。一成はそれがどうしてみつきの手に渡ったのか、一瞬訳が分からなかった。
「ありがと…ごめんね…」
みつきはそれだけを繰り返し、またぎゅと包みを抱きしめた。一成はその包みがなぜみつきの手にあるか、そんなことより何より目の前のみつきの涙に自然と体が動いていた。
「みつき…」
みつきの包みごと小さな体を抱きしめて一成が囁くと、みつきは一成の腕に包まれ鼻をすすり上げ髪を乱しながら必死に言葉を重ねていた。
「洋ちゃんがこれ、さっきくれたの…カズ…カズ、ごめんね、ごめんね」
「もういいんだ…俺も言いすぎた」
「カズ…」
みつきのうれし涙はもう留まるところを知らず、一成の胸元に擦りつけた髪はまた盛大に跳ね上がっていた。一成は泣き止む様子のないみつきを抱きしめたまましばらくその髪を撫でていた。
ようやく落ち着きを取り戻したみつきを中庭のベンチに座らせていつものジュースを差し出すと、みつきの抱えた包みを一成が指差した。
「みつき…洋平がそれ、持ってきたのか?」
「うん…洋ちゃんがね、ストーカーだって」
みつきが一成に開けてもらったジュースに口をつけながら呟いた言葉は、一成には意味不明だった。なぜお土産を持ってきた洋平がストーカーになるのか、みつきの言葉に一成は意味が分からず眉根をしかめた。
「ストーカー…?洋平が…?」
「ううん、あたしが」
「お前が…?」
みつきが口を開くたびに一成の眉間のしわがどんどんと深くなっていく、みつきはそれに慌てたように言葉を探すとおずおずと口を開いた。
「んと…んと…今日ね、ずっとカズの事つけてたからかも」
「ああ…そうか…っていつからつけてたんだよ」
「んと…ずっと…?」
一成はみつきの言葉に納得しかけてそしてその罰の悪さに顔をしかめるしかない。意外なほど気配を感じさせなかったみつきの存在に一成は驚きを隠せなかった。
「なんだよ…」
それならそうと早く言えばいいのに、そう言いそうになってそうできなくさせたのは誰かと一成は自分で自分を攻め立てたくなった。けれど、一成はその罰の悪さに顔をしかめて自らを戒めながら今度はみつきの髪をくしゃりと崩した。
「ば~か」
「あぁ、やめてよぉ、もう髪の毛ぐちゃぐちゃだよぉ」
「いつもだろ」
みつきが崩された髪を手ぐしで必死に直す姿は相変わらず子猿の毛づくろいにしか見えない。一成はまたいつものようにみつきが傍らにいることに安堵しながら、スカートから覗く両膝の赤みに目を留めた。
「またあざになるな、それ」
まったくどじすぎる、一成はそんなあからさまな溜め息をつきながらコーヒーの残りを飲み干した。みつきは一成に言われて初めて両膝の赤みに目を留め、寝ぐせとともにしゅんと肩を落とした。
「あぁ…体育祭でチアの衣装着るからあんまりアザを作らないようにってせんせにいわれてたのにな…」
みつきはぶつぶつ呟きながら、それでよくなるわけでもないだろうに膝の赤みを両手で覆い隠した。
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