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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐
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第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐(15)

 窓から響いた一成の声に部屋の内側から聞き耳を立てていた洋平はニヤニヤ笑っていた。けれど、洋平たちに食堂で釘をさしたこともすっかり忘れて一成はバルコニーの片隅で虚空を睨みつけていた。

「あんのヤロ…」


 一成が何度となく舌打ちをもらしながらつぶやく視線の先には、明らかに元の気の抜けるような笑い顔があった。一成は怒りのままに携帯を握り締め、ともすれば唯一のみつきとのつながりである携帯を投げつけてしまいそうだった。そんな風にやきもきしながらじりじりとみつきからの連絡を待っていた一成だったけれど、みつきから連絡が入ったのはそれからかなり時間が経ってからだった。一成は待たされた憤りとみつきに問いただしたい事の多さに、握り締めたままの携帯にむかって何を言うより先に怒鳴りつけていた。


「元なんかと何やってんだっ」


 みつきが電話の向こうで小さく縮こまっているのなどお構いなしで、一成は怒りに任せて声を荒げた。


『カズ…ごめん…ちょと電池が…』

「電池の話なんかしてねぇっ、元と何してたんだっ」

『えっと…その、元ちゃんが、たんじょびのお祝いで…』


 洋平に煽られ、浩一郎と晴彦に追い討ちをかけられ、元にとどめを刺された一成の怒りはもはや誰にも止められなかった。


「誕生日だかなんだかしらねぇけどな、課題もちゃんとやらねぇで、なに遊んでんだっ、お前にそんな余裕はないだろっ、総一郎さんに連れ戻されたいのかっ」

『だってせっかくお祝いしてくれるっていうから…』


 みつきの口が尖った口調、一成は見えなくても分かってしまうそのあからさまなすねたそぶりに殊更口調が冷たさをましていく。


「誕生日より大事なこともあるんじゃねぇのか」


 一成の声音はもう怒鳴りつけるようなものとは違っていた。その声音は冷たくみつきに響き、一成の言葉の正当性の前にみつきはなす術もないはずだ。けれどそんな思惑はやがては折れるだろうと思ったみつきの口調が一転したことで打ち崩れ、一成は引くに引けなくなってしまった。


『たんじょびくらいいいじゃん。カズのばかっ』

「なんだとっ」

『カズにはあたしのたんじょびなんか、どうでもいいんだっ』

「言われたことをやらねぇ奴の誕生日なんかしるかっ」


 これでは何のために電話をかけたのかわからない、まったくもって本末転倒なながれに、一成は言い放ってしまった自分の言葉に自分で顔をしかめていた。けれどみつきにそんな変化は伝わらない。一成の言葉をそのまままっすぐに受け止めて、みつきはあきらかに頬を膨らませた。その瞳は涙に濡れながら、一成への憤りを湛えているはずだ。


『カズ…ひどいよ…』

「みつき…?」

『もうカズなんか知らないっ』


 一成はみつきの消え入るような声とともに一方的に電話を切られた気配を感じながら、ダイアルトーンだけが響く電話に向かって呼びかけていた。


「みつきっ」


 一成はみつきに切られた電話をそのままにこうべをたれて座り込んだ。バルコニーを渡る湿気を含んだ南風が一成の黒髪を巻き上げていく。


「なにやってんだ…俺は…」

 一成は憤りのままに自ら招いた失態に舌打ちしながら、鳴らない携帯を握り締めて呟いた。静かな波音が規則的に響く暗闇、南の海の最後の夜は一成の溜め息に彩られ、重苦しいままその幕を下ろし始めていた。



「みつき、カズ先輩のおめでとコール終わった?もぅ、うらやましいなぁ、って…みつ…き…?」

 カラオケからでたビルの片隅、充電を終えて足早に静寂を確保したみつきが身を潜めた場所、一足遅れて降り立った千秋が顔を覗かせると、みつきが零れ落ちた涙を拭いながら携帯を握り締めていた。千秋はそのみつきのそぶりに軽口で冷やかした自分の舌を軽く噛み締めた。


「みつき…」

「え…あ…千秋ちゃん、ごめんね、ここ電波悪いみたい。また切れちゃった」


 みつきは電波がしっかり届いている表示が出ている画面を隠すことなく、あからさまな嘘をついていた。届いてないのは電波ではなく互いの思いやりであることはあきらかだ。千秋はぎこちないみつきの笑顔になんと声をかけたらよいのかわからないまま静かに口を開いた。


「みつき…何があったかわかんないけど…元気出して…ね?」

「え~、千秋ちゃん、あたしは元気だよぉ。いつもと変わんないよ?」


 みつきは殊更明るい口調を心がけ、下手な嘘を上塗りしていく。みつきは悲しげに眉根を寄せた千秋の瞳を見つめながら、まだ涙の残る瞳をほころばせた。


「そだ、千秋ちゃん、ケーキ一緒に食べよ。春香さんがおっきいの焼いてくれたんだって」


 今度は良太からのメールを千秋に見せながら、みつきは声音を高めて千秋に飛びついた。そうして千秋をビルの出口に向かって押しやりながら、みつきがそっと携帯の電源を落としたのを千秋は見つめていた。


「みつき…電話…」

「元ちゃんも慶太君も春香さんのケーキ一緒に食べにいこ」


 カラオケの入っている繁華街のビルは、かなり古ぼけた外観を隠すことなくひっそりと佇んでいる。もう少し時が経てば酔いの回った大人の街に様変わりするこの通りも、今は制服姿の中高生が帰宅を急ぐ姿がそこかしこに見受けられる。


「さっき叔父さんがメールくれたの。みんなで食べにおいでって、いいでしょ?」


 みつきは先ほどよりはすこし機嫌の戻った元と、その傍らでガードレールに腰掛けながら携帯をいじる慶太に微笑み小首をかしげた。みつきの瞳は薄闇の広がり始めた繁華街のざわめきの中でも分かるほど涙の跡が見て取れる。けれど慶太はそのみつきの涙には気付かなかったふりを通して、携帯をしまうと立ち上がった。


「俺はいいぞ。マイスナの飯うまいもんな」


 慶太はみつきの声音の明るさに同調しながら、元の強張った背中をぽんっと叩いた。その手は元を励ますようで、同時に元の内側にたぎる思いを諌めるような温かさを持っていた。


「元も行くだろ?」

「あ…あぁ…」

「よかった。じゃ、行こっ」


 春香の手作りケーキ、みつきはそれを本当に楽しみにしているのだろう。けれど、その浮かれた口調と踊るような足取りはいつもよりずっとぎこちない。誰もがその事に気付いていながら、誰もそれを口に出来ない。互いに互いを思いながら、言えない言葉が積み重ねっていく。


(―なんでいつも泣かせるんだ)


 元はマイスナに向かう足を緩めて、夜の闇の中に輝き始めた月を眺めながら自分の歪んだ心に月が形を変えていくのを見つめていた。不吉な揺らめきは元の心に冷たく輝き、心に広がる闇の深さに元は自らその闇に溺れる道を選んでいた。



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