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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐
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第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐(5)

 一成はLIvRAの人ごみを掻き分け、出口に向って歩きながら何気なく開いた携帯の不在着信に、みつきの名前を見つけて一瞬体が凍りついた。そうして気がついてしまったが最後、一成は何を思うより先にみつきの携帯を鳴らしていた。別に慌てることなど何もない、ただ洋平と話し酒を飲んでいただけだ。LIvRAにくればそんなことは当たり前の事なのにそれがやけに後ろめたい気がして、LIvRAの鉄製の扉が閉まりきるのももどかしく、一成はLIvRAの外へ飛び出した。遠くで繰り返す呼び出し音を聞き逃すまいと耳に押し付ける一成に、昼間の熱気を残した夜気がまとわりついた。それにじわりと浮いた額の汗を一成が拭ったとき、ぷつりとくぐもった音と共にみつきの寝ぼけた声が一成の耳に届いた。


「んにゃ…カズ…?なんか…うるさい…?」


 LIvRAの外には数人の若者達が大小の輪を作り、地べたに座り込みながら自分勝手に盛り上がっていた。みつきの着信からはだいぶ時間が経っていて、むにゃむにゃと話すその声は半分夢うつつだった。一成は慌ててLIvRAから距離をとると、声をひそめて話し出した。


「悪い…今ちょっと、外だから…電話、なんだったんだ?」

「電話…?あぁ…んと…んとね……」


 一成に話そうとしていたことを思い出そうとしているのか、みつきはうなりながらあくびを連発した。一成はそれに苦笑しながら、自然と浮かぶ微笑みにゆっくり瞳を閉じた。


「みつき、ごめんな。電話、遅くなって」

「う…ん…」

「明日はマイスナか?」

「…ん…」


 一成の声が聞こえているのかもあやふやなくらい、みつきは今にも眠りに落ちそうだった。そんなみつきの声音に、一成は自分でも驚くほど切ない声を絞り出していた。


「じゃあ…明日…マイスナ行くから」

「ん…ごめ……」

 みつきは一成の言葉に電話も切らずにすぐに小さく寝息を立てた。みつきの安らかな寝息が運ぶ風は一成の内側を心地よく吹き抜けて、一成は頭上に瞬く星達に心安らぐ自分を見つめていた。



 一成がいやいやながらもLIvRAのボックス席に戻った時、洋平はにやにやしながら一成が手にしたままの携帯を指差した。

「みつきちゃん?」

「なっ…」


 なんでわかるんだよ、そう言いそうになって一成はあわてて口を閉じた。


「みつきって誰ぇ?」


 一成が席を離れていた数分の間に、ボックス席にはかしましさあふれる女子大生らしき女が数人座っていて、そのうちの一人が洋平の腕をとりながら甘えた声で洋平にしなだれかかっていた。一成なら一秒たりとも我慢のならない女のそぶりに、洋平はさして嫌がるでもなくいつものようにさわやかに微笑み返した。


「カズの彼女、すっごいラブラブでさ、こっちが恥ずかしいくらいだよ」

「え~、カズ君、彼女いるのぉっ?」

「うっそ~、カズ君は彼女なんか作んないんだと思ってたぁ」


 見覚えのない女達のなれなれしいしぐさと嬌声、それに加えて洋平の大ぼら、一成にとってこの上なく不愉快な取り合わせにその瞳が冷たい色を成し、勝手に騒ぎ立てる女たちを睨み付けた。


「うるせぇっ」


 ボックス席を凍りつかせる一成の声音は、不快な音を発し続ける女達の口を一瞬にして閉じさせた。あたりでは大音量の音楽が流れているにも関わらずその場だけが切り離されたように、不自然なほどしんと静まりかえった。すると、そんな空気を察していながら洋平はくすりと小さく笑みを洩らした。


「…ごめんねぇ、カズの機嫌が悪くなるから、向こう行って」


 口角を嫌な具合に引き上げた洋平のねじれた言葉が張りつめた空気を歪ませると、女達はその歪みに走る亀裂の深さに顔を青ざめさせそそくさと席を立った。一成は女達が消え、ぽっかりと開いた空間にどかりと腰をおろすと、長い吐息をついた。


「で?何の電話?」


 洋平はからからとグラスの中で氷をもてあそびながら一成を横目で捉えたけれど、一成は前を向いたまま冷たいグラスに水を注いでそれを一気に飲み干した。


「…いいだろ、別に」


 一成は口はしを力任せに拭いながら、洋平のすかした顔を睨み付けた。けれど洋平はグラスを手にしたまま得意げに一成を指差すと、にやりと口角を引き上げた。


「ふ~ん、じゃあ、なんでそんな顔してんのさ?」

「顔…?」

「そ、カズ泣きそ」

 一成は洋平の言葉に慌てて顔に手をあてた。そしてすぐに意地の悪い角度に曲がった洋平の口元に顔をしかめると、ぷいっと顔をそらした。



 みつきの声を聞いたあと、一成はLIvRAからすぐにでも帰りたくなったけれど、洋平の存在が一成を素直にさせなかった。洋平が代わる代わる現れる顔見知りらしき女と、やけに楽しげに話す傍らで、一成はじりじりしながらその時を待つ他なかった。

「カズ、帰りたいなら帰りなよ。カズがいると僕が女の子と話せないじゃん」


 何度かそう言われたけれど、結局一成は洋平に朝まで付き合った。ばかばかしい気持ちで服にタバコの臭いをさせながら、一成は朝焼けの海を見ていた。

 寝不足に飲酒、このまま海に入るにはあまりに危険だった。一成は沖合いに浮かぶサーファーの黒い影をうらやましげに見送ると一旦自宅に引き上げて、その日の午後、寝不足の顔でマイスナの扉を押し開けた。


「カズ、やほっ、昨日ごめんねぇ、なんか電話したまま寝ちゃった」


 みつきは一成がマイスナに姿をあらわすと一目散に一成に駆け寄り微笑んだ。みつきの無邪気な笑顔に迎えられる、それだけで毛羽立った心が急に手触りよく滑らかになで上げられていた。そのことに一成が驚きにも似た不思議な思いでみつきを見返していると、みつきは不意に首をかしげて一成を覗きこんだ。


「カズ?なんか寝不足?目、赤いよ?」

「…そうか…?」


 一成は意外に侮りがたいみつきの観察眼に、あわてて目をこすった。けれどこすればこするほど赤みの増す一成の瞳に、みつきは一層いぶかしんだ瞳を向け続けた。


「う~ん、やっぱ赤いよ、だいじょぶ?」

「大丈夫だ…ほんとになんでもない、心配するな」


 一成は上目遣いに覗きこむみつきの無垢な瞳に耐えきれず、みつきの視線を遮るようにその頭に手を乗せた。


「そう?…んじゃ、コーヒー入れたげる、座ってて」


 みつきに背中を押されて一成がいつもの席に大人しく座ると、カウンターの内側で最近覚えたばかりのドリップコーヒーにみつきが悪戦苦闘し始めた。


「みつき、お湯は沸かしたか?…カズはブレンドだからこの粉だな…あぁ、違う違う、フィルターを先に置くんだ…フィルターの場所?目の前にあるだろう…」


 みつきは良太に言われるままに手足を動かしているだけでまったく成長が見られない、そんなみつきの物覚えの悪さに一成は苦笑しながら、それでもいつもとなんら変わらぬ光景に口元を緩めた。


「ほんとにバカだな…」

 一成は店内に広がるコーヒーの香りに少しまどろみながら頬杖をついた。


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