第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐(4)
LIvRAに足を運びながら一成がいつも以上に乗り気でない理由、それはほんの数時間前の洋平との会話が大きな原因だった。今日は珍しく課題をやろうと洋平の呼びかけに四人が集まることになったけれど、8月始めの猛暑の中、学校に足を運んだ4人を待っていたのは空調の壊れた校舎だった。
クーラーが壊れた室内は蒸し風呂状態で、図書室も部室もじっとしているだけで汗が噴き出してくる。何事にも忍耐という二文字の欠落している洋平は早々に音を上げ一人部室に引き上げていた。図書室よりは辛うじて風の入る部室で、洋平はソファに体を放り投げるとこれなら脱いだ方が早いのではないかというほどシャツを全開にし、だらしなく団扇で風を送っていた。するとそこに汗だくになった一成がシャツのボタンをはずしながら扉をひき開けた。
「あちぃ…溶ける…」
さすがの一成もこの蒸し暑さには辟易したのか、おもむろにロッカーから新しいTシャツを引っ張り出しながら、よく日に焼けた引き締まった体を惜しげもなく太陽にさらした。すると洋平はその一成の体をしげしげと眺め、感心したように溜息交じりに声を出した。
「カズ、またなんかいい体になったねぇ。フェロモン全開、鬼畜の再来?ね、もしかして、それってみつきちゃんに毎日見せてんの?」
「ま…毎日じゃねぇよ」
一成は洋平の言葉にわずかに赤らんだ頬を隠すようにTシャツを慌てて着込んだ。そんな風に自分の体も心も隠そうとする一成に、洋平は面白そうに目を細めると団扇で顔を隠しながら呟いた。
「ふ~ん、じゃあ、毎日のようにってとこ?」
「うるせぇなっ」
「カズが怒ると室温上がる…勘弁して…」
洋平は一成の怒声に自分勝手な言い分を当然のように言いきり、溶け切った頭ではもう限界とばかりにソファへぼすっと横たわった。
「洋平っ」
「だってぇ、カズ、夏休みに行くって言ってたのに、毎日、毎日、波乗りとみつきちゃんばっかで、LIvRA行かないじゃ~ん。うまくいってんだったら別にいいんだけどねぇ…みつきちゃんと」
「うまくいくもなにもあるかっ」
「あるでしょ~、カズが一人の女の子にこんなに惚れこむなんか信じらんないよ」
「ほれてねぇっ」
洋平のあおり文句に悉く怒りを表す一成が面白くてたまらないとばかりに洋平は小さく微笑むと、しれっとした口調を心がけて口を開いた。
「あ、そっか…みつきちゃんは別にカズの事好きっていったわけじゃないもんねぇ。そういえば今日までだっけ?元とみつきちゃんの恋の合宿。いいなぁ、合宿先で盛り上がる恋、あっという間に火がついちゃうよねぇ…あ~あ、なんだかんだでやっぱ、本命元かぁ…」
洋平は一成の顔色を伺いながら、とどめを刺すようにしみじみとした口調をわざとらしく作った。
「カズ…ご愁傷様」
ち~ん、と音がしそうなしぐさを絶妙に挟み込みながら青ざめた一成を洋平が拝んでいた。
別にみつきと元が付き合おうがどうしようが一成には関係のない話だ、相手が洋平でないのなら一成に口を挟む権利はない。一成は両手を合わせて南無南無と読経の真似事をし続ける洋平を睨み付けると、外から吹き込む熱風のごとき暑苦しい風を振り払うように頭をぶんぶんと大きく動かした。すると洋平は何かを必死に振り払おうとしている一成のそぶりに、なにやってんだかと呆れたように溜め息を洩らした。
「やっぱカズにはLIvRAで適当に見繕って遊ぶのが似合ってるよ。それとも、ホントに好きな子以外とはしない主義になったわけ?最近やってないでしょ?いらいらしてんのもそのせいじゃん」
「俺がイライラしてんのは、この暑さとお前にだ」
「ひっどいなぁ、カズ…僕はカズのこと心配してやってんのに…だいたいねぇ、健全な男子高校生が好きな子を抱きしめながらその子にキスもできないなんてかわいそすぎ…」
「かわいそうって…」
洋平に哀れまれたことのほうこそかわいそうな気がする、一成はそんな風に思いながら言葉を続けようとしたけれど、それは洋平の言葉に遮られた。
「ね、みつきちゃん抱いててちゅうしたいなぁとか、このままやっちゃおうかなぁとか思わないわけ?」
一成は洋平の犯罪まがいの思想に、哀れまれたことへの抗議より先に大きく溜息をつくと、洋平を諭すように静かに口を開いた。
「何度も言うけどな、洋平。みつきはそういうんじゃない。だからやるとかやらないとか、そういうのは関係ねぇ。だいたいな、みつきのどこにそんなやりたくなるような要素があんだよ?確かに俺はお前のいうようにやりたい放題やってきたけどな、俺にだって選ぶ権利はあるんだ」
「またまたぁ、そんな意地はっちゃって…カズの目そんな感じじゃないよ?どうせかわいいなぁとか思ってんじゃん?」
「おっ、思ってねぇっ」
「図星…だね」
確かに、一成は洋平の言うようにみつきをかわいいと思っていたけれど、その意味合いは洋平の言うものとは大きく異なり、あくまで沙紀に対するのと同じ種類のものだった。しかし、それを言ったところで洋平が素直に聞き入れるとは思えない、一成はいちいち核心を突いているようで微妙に的を外れている洋平の言葉にむっと顔をしかめた。
「言っとくけどね、沙紀ちゃんとみつきちゃんは別人だからね。妹みたいなんて理由は僕には通じないよ。まったく…カズには恋愛なんて似合わないんだから、無駄に頭悩ませないほうがいいよ」
まるで一成の心の中を覗き見たかのような洋平の言葉に、一成は二の句を告げなかった。確かに、自分が恋愛にむいていない自覚はあったけれどそれを改めて口に出されると、一成は自分が人として何かが欠けていることを白日のもとに晒されたようで苦しくなった。
「だいたいそんな純粋なカズなんてつまんない、人として最低でも鬼畜の方がカズには合ってる。誰に義理立てする必要も無いんだし、遊べるうちに遊んでおけばいいのに…カズは一体誰に操たててんのさ」
洋平は団扇で送られるもわっとした空気に気持ちばかりの涼しさを求め続けながら一成の耳に届くように呟いた。黙って聞いてれば言いたい放題に自分を煽り、痛いところをついて追い討ちをかけてくる洋平に、一成はむっと顔をしかめずにはいられなかった。
「いつ…行くんだ」
「どこに~?」
洋平は、一成のうめくような声音に、返事をするのも億劫だとばかりに、やけに間延びした声を出した。
「…LIvRA」
「ふ~ん、何?行くんだ?」
「なんだよ、別にいいだろ。休みの間は自分の時間が出来るから行くだけだ」
「LIvRAねぇ……カズの気が向いたら電話しな。そしたら行く」
自分から誘っておいていざその誘いに乗ろうとするとすっと離れていく、そんな洋平の態度に一成がいぶかしんだ瞳を向けると、洋平はそれを冷たく一瞥しソファの上で必要以上に大きく体を伸ばしながら口を開いた。
「ほんとに行く気があるならだけどね。僕はひま人だからいつでも平気だよ」
洋平は一成を試すように言い切ると、すまし顔で瞳を閉じ再び団扇で風を送り始めた。けれどその手は洋平に煽られるままに沸騰しきった一成に捕まれ、洋平は一成から伝わる体温が不愉快極まりないとばかりに目を開いた。
「洋平、俺を怒らせて楽しいか?いい加減にしろっ、なにが言いてぇんだっ」
洋平は一成の強い口調に浮かぶ冷笑を隠さず、気をもませるようなゆっくりとした動作で体を起こした。くりっと開いた瞳と裏腹に歪んだ色を浮かべた瞳は、一成をまっすぐ捉えていた。
「別に…言いたい事はいつも言ってる、カズが気付いてないだけだ。僕は僕のしたいようにする、したくないことはやんない主義だしね、知ってるでしょ?」
洋平の声はこの暑さの中で聞いても冷え切っていた。思わずぞくりとする声に一成は言葉を失い、友人の冷ややかな口調に目を凝らした。暑さの中だらけた空気が一瞬凍りつき、ひんやりと二人を取り巻いていた。
「カズが遊びに行きたいなら付き合うよ、そう言ってるじゃん。なに怒ってんのさ」
最後の言葉だけいつもの洋平に戻り洋平はそのままパタンと後ろに倒れると、仕切りなおしとばかりにごろ寝を再開した。そんな人を食ったような洋平の挙動の一つ一つが、一成の中から冷静という言葉を悉く剥ぎ取っていた。
「今日だ。洋平付き合え」
一成は洋平にそう投げつけると、暑さの中の不自然な空気の形を打ち壊した。それでも洋平は相槌とも返事ともつかない適当な言葉を発して、惰眠をむさぼり続けた。




