表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐
40/109

第4章 寝ぐせ姫と夏の嵐(3)

 夏休みに入るとみつきは学校があるときよりも慌しい毎日を過ごすはめに陥っていた。週5日はマイスナのバイトの終わりや部活の後に一成の補習を受ける代わりに、休みの日は元や千秋と目いっぱい遊ぶ予定を入れてしまっていたからだ。そして毎日ぎゅうぎゅうに詰め込まれた予定に加え、今週は部活の合宿のために前倒しで補習を組まれ、みつきはそれこそ目の回るような日々を過ごしていた。そんな夏休みも半ばを迎え一成はたった3泊の合宿のために山のような荷物を詰め込んだみつきのカバンを見つめてため息をついていた。



 夏場の合宿に着替えは大量に必要だがそれ以上にみつきのカバンの中には余計なものが多すぎた。一成はみつきが合宿の合間に食べるんだと大量のお菓子を詰めこんで、みんなでやるんだとカードゲームと花火を懸命に詰め込んでいるのを見ながら、その時も思ったことをまたこの場で口に出した。

「お前ほんとにそれ持てんのか?」

「だいじょぶだいじょぶ、昨日は持てたもん」

「ほんとかよ…」


 ぱんぱんにつまったカバンのほかにみつきはさらにリュックを背負っていくようだ。一成はよろよろと荷物を持ち上げたみつきを不安げに見守りながら眉根をしかめた。


「だいじょぶだもん。じゃあカズ、いってくるね」

「あぁ…怪我すんなよ」


 みつきがどっこいしょっと掛け声をかけながら持ち上げたカバンに重心が傾くと、みつきはおぼつかない足取りで歩き出した。みつきは宣言どおりにカバンを持つことは出来ている、けれどそれを持ち歩いていると表現するにはかなりひいき目に見る必要があった。一成はマイスナの敷地からも出て行けそうにないみつきの姿に呆れてものも言えなかった。


「まったくお前は…ほら、カバンかせ」


 一成は海に行こうと手にしていたサーフボードを壁に立てかけなおし、ラッシュガードを羽織ってみつきを追いかけた。


「えへへ…カズ、ありがと」


 一成はみつきの手からカバンを奪うように受け取ると、不安げに見送っていた良太のほっとしたそぶりに小さく頭を下げた。みつきはそんな良太に手を振るとリュックを背負いなおして、一成の左手をきゅっと握り締めた。一成は子供の遠足に引率する親のような複雑な面持ちで、カバンを肩にかけなおすとその重みに顔をしかめた。最初から無理だとわかっていたはずだ、みつきははなから一成か良太が見かねて手伝うことを計算に入れていたのではないか、一成はそんな憶測を働かせたくなるほどの重みにため息をついた。


「学校まではいかねぇぞ、この恰好だからな」

「うん、だいじょぶだよ。元ちゃんと待ち合わせしてるんだ」

「元と…?」


 一成はみつきが楽しげにつないだ手を振りながら口にした言葉にこれまで以上に顔をしかめた。みつきの軽やかな足取りに反して、一成の右肩にかけたカバンの重みが増した気がした。


「うん、サッカー部も同じ日取りだから、元ちゃんとここで待ち合わせて、途中で慶太君と千秋ちゃんと合流するんだよ」

「一緒…だったのか…?」

「そだよ?あれ?言わなかった?」

「きいてねぇ」

「そだっけ?」

 みつきは一成のしかめた眉の矛先に何があるかなどお構い無しに盛んに首をひねっている。けれど一成自身もなぜこんなにもいらいらとした感情がこみ上げてくるのかわからない。右肩に感じるカバンの重みとみつきの軽々しい言葉、まだ朝も早いと言うのに照りつける太陽の暑さが一成の感情を弄んでいるようだった。




 気の早い海水浴客がちらほらとビーチに足を進め、サーフボードをのせた車が一台脇を通り過ぎていく。一成はバス停の人影に目を凝らしながらその人影が立ち尽くしたままみつきを見つめている事に気がついていた。

「元ちゃんっ、おっはよぉ」


 バス停の傍らで小さく手をあげた元にみつきは殊更大きく手を振ると、今にも一成の手を放して駆け出して行きそうになる。けれど一成はラッシュガードの内側に滲む汗と元の気の抜けるような笑みに舌打ちして、みつきとつないだその手に力を込めた。


「みつき、転ぶだろ。ちゃんと前見て歩け」

「だいじょぶだよぉ」


 一成の手がみつきの足を引きとめた事に口を尖らせてみつきが一成を見上げていると、一成はこみ上げる不満をそのままにみつきを睨みつけた。


「お前じゃねよ、俺だ、俺。お前の異常に重い荷物持ってやってんのは俺だろ」

「あ、そか…ごめんね、カズ。もういいよ、あとは元ちゃんにお願いするね」


 みつきは一成の嫌味に屈託なく微笑むとその場に荷物を下ろさせようとカバンに手をかけたけれど、一成はなぜか大人しくカバンを下ろす事ができない。


「別に…バス停までは行ってやる。最初からそのつもりだったからな」


 一成の口調は知らずと尖り、その不満げな響きにみつきは首をかしげるばかりだ。一成は右肩に食い込むようなカバンを抱えなおすとまたみつきの手を取り足を踏みだした。


「そお…?」

 みつきはあと少しの道のりを元を目指してまっすぐに歩きながら、鼻歌まじりに一成の手を楽しげに振りはじめた。一成はそのみつきのそぶりを苦々しく思いながら、目指す場所に佇む元の姿へ挑むように瞳を眇めた。




「みつきちゃんのお兄さん今週来るんだってね」

 LIvRAリブラのボックス席を陣取って口元を意味ありげな具合にゆがめた洋平に、一成は何で知ってるんだと言いかけて、すぐにそんな愚問を押し込んだ。けれど、洋平は一成が何も言わなくてもその一成の問いかけに勝手に答えをもたらした。


「みつきちゃんが言ってたんだよ。それで?妹さんを僕にくださいってやるわけ?」

「誰がっ?」

「カズに決まってんじゃん」

「冗談言うな」


 一成は洋平の言葉を一蹴すると、乱暴にグラスを手にとりまだ半分以上も残っていた液体を一気に喉に流し込んだ。ボックス席から眺めるLIvRAは、以前となんら変わりがなく、人混みと喧騒と煙草の煙にまぎれ、ただ変わらぬ怠惰な空気に満ち溢れていた。

 以前から通い詰めていたといっても、そこに一成の心が満たされることは一度もなかった。ただの時間つぶし、憂さ晴らしに足を運んでいただけだった。そして今は洋平の執拗な攻め口に終止符を打つべくLIvRAの扉をくぐったに過ぎない。空虚な時間は遅々として進まず、時計の針が壊れているのだと一成は確信していた。



 一成がLIvRAに頻繁に通うようになったのは勇次の紹介で洋平と知り合ってからだった。春先までの一成はまさに手当たり次第、洋平の言うように鬼畜だったと言われればそれを強く否定は出来ない。特別LIvRAというこの場所が好きという事もなく、ただ惰性で通っていた頃と今もその気持ちになんら変わりはない。けれど今夜は格別に気分が乗らず、何杯目かも数えられなくなるほどグラスを無言で煽っていると、洋平が人ごみの中を歩く一人の女を指し示した。


「カズ、あのお姉さん、春先に会った人じゃない?僕、声かけてこようか?」


 洋平の指の先、一成の興味の湧かない視線でたどったところに女が一人立っていた。あっさり男をかわしそうな雰囲気にほっそりとしながらも女らしい曲線を惜しげもなくさらして歩くその女は、囁かれる気配を察したのか洋平と一成を振り向いた。


「あ…気付いたよ。やっぱりあの人じゃん」


 そう言われても一成には思い出せなかったけれど、女はそんな風に頭を悩ませている一成をまっすぐその視界に捉えながら髪を思わせぶりにかきあげた。


「カズ君、久しぶりね」


 女は広く開いた胸元を一成に見せ付けるようにかがみこみ一成の黒い瞳を覗き込んだ。男を誘う怪しげな微笑みが赤いルージュによく映えて、揺れるゴールドのネックレスの向こうのふくよかな谷間が男を惑わせる。以前ならば食指も動いただろう女のそぶりを捕らえても、一成の心が全く騒がない。自分は一体どうしてしまったのか、一成がどうにも気乗りしないまま無言で女を見つめていると、それを女はどう取ったのか一成の腕に悩ましげにその腕を絡ませた。


「また忘れちゃったの?私は響子」


 思い出してよ、そんなそぶりで親しげに一成の左腕に伸ばした指が、一成のシルバーのブレスレットを弄んだ。すると、一成は無言のままに女の腕を引き剥がしそのまま人ごみに向かって足を踏み出した。


「カズ?どこ行くのさ、トイレ?」


 一成は洋平の気の抜けるような問いかけを無視して足を速めた。後ろを振り返りもせずLIvRAの喧騒に消えていく一成の後ろ姿に響子はため息をつき、細いタバコに火をつけた。煌びやかに飾り立てられた形の良い爪が紫煙をくゆらせると、洋平はそんな物憂げな響子を覗き込んで無邪気を装った微笑みをうかべた。


「おね~さん、カズ、最近趣味変わったんだよね。すっごい、ラブラブな彼女もいるし、あきらめてよ」

「彼女…?本気なの…?」

「マジだよ。大マジ」

「まさか」

 響子が洋平の言葉に顔色をわずかに変えながら、まだ半分以上も残っているタバコをもみ消すと、洋平はそれを不敵に笑いながら、自分の目の前に置いたままのグラスを口に含んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ