第3章 寝ぐせ姫と鬼王子(12)
「なるほど…それで、これとこれか…」
元は昨日のことを思い出して悔しいのか、ぽたぽたと涙をこぼしながら語るみつきの前におかれた白紙の答案用紙と一成の参考書に視線を移した。元の見る限りみつきがすでに一成との約束を一つ破ってきたのが明らかだ。
「で、みつき、今日の分はやってないんだよな…?」
「…できなかったの…」
みつきは小さく鼻をすすりあげて口を尖らせた。その唇は元の言葉にではなく一成に向けて尖っているのだ。
「わかんなくて…カズに電話しようと思ったけど、こわくて…できなかったの…」
「みつき…」
元はみつきが一成の物言いの辛辣さにふてくされ、素直に一成を頼れなくなっているのがよく分かった。わかったけれど、じゃあ自分に力になれることがあるかといわれても、みつきと似たり寄ったりな出来の自分には無理な相談だ。元は口を尖らせたまま過去問の束を睨みつけるみつきに、殊更明るい口調で声をかけた。
「もうさ、やめちゃえば?カズ先輩の補習」
元は驚いて顔を上向けたみつきに向かって、チケットらしき紙切れを数枚示すと、みつきを試すような口ぶりで話し出した。
「実は俺、今遊園地の優待券もってんだ。期末前だけど、有効期限が今度の日曜までだからさ、日曜に慶太と千秋と4人で遊園地行かないかってお前を誘おうと思ってたわけ」
どうする?そう元にチケットをちらちらと見せ付けられて、みつきは口を尖らせたままかなり困ったように顔をふせてしまった。元はそうして伏せたみつきの視線を追いかけて、苦笑しながらみつきの肩を何度も叩いた。
「ごめん、ごめん、みつき。冗談、冗談。無理だって分かってたんだって。でもさ、何にも言わずに行くよりいいかなって…なあ、みつき、次は一緒に行けるように、今はカズ先輩の補習がんばれよっ、な?」
元の口調はとても明るく、その言葉の明るさと不器用に励ます元の気持ちの優しさにみつきはやっと元の顔を見つめることが出来た。
「…ありがと…元ちゃん…あたし、次は一緒に行けるようにがんばるね」
元の優しさに浮かぶ涙を拭いながら、みつきが泣き笑いのくしゃっとした笑顔の向こうから小さくつぶやいた。
「カズが元ちゃんくらい優しかったらよかったのにな…」
「そ…そんなことないだろ…?カズ先輩だって優しいさ…」
元は儀礼的な褒め言葉を口にしながらみつきの言葉に含まれたみつきの気持ちに、ぎこちなく笑う以外できなくなっていた。
帰宅を急ぐ生徒の波が落ち着きを取り戻した校舎を元はグラウンドに、みつきは一成のもとへと向かいながら、その分かれ道までゆっくりと歩いていた。みつきはこの道行きの向こうに一成の怒声が待ち構えていると思うとその足取りが殊更重みを増していくのをどうにもしようがなかった。
「みつき、元気出せって」
元はことさら勢いよく高めた声音で頼りなげに背中を丸めたみつきを軽くたたいた。そうされるとみつきはそれだけで涙がこぼれそうになるのか、すっかり潤んだ瞳で力なく微笑んだ。
「うん…がんばる…」
「期末終わったら一緒に遊ぼうぜっ。俺、お前が興味ありそうなチケットとか用意してやるからさ、な?」
「うん…」
元が今出来る目いっぱいの励まし、みつきはそれをありがたく思いながら気持ちが余計に沈みこんでいく。元は自分の励ましが功を奏していないのは分かっていながらもう後には引けず、気まずさの残るまま頭をかいて口を開いた。
「じゃあ、俺、部活行くから…」
「うん…元ちゃんは部活がんばってね…」
「あ…あのさっ、みつきっ…」
元は立ち去るそぶりを見せたみつきを呼び止めると、その体をグランドに向けたまま肩越しにみつきを振り向いた。
「俺…みつきは笑ってるのが一番いいと思うぞ…」
「元ちゃん…?」
みつきは背中越しの元の呟きに首をかしげ、その元の耳が真っ赤に染め上っていくことをいぶかしんでいた。
「とっ、とにかくいまは補習がんばれっ」
元は耳も首も赤くなっているのを自覚しながら、もうみつきを振り返ることも出来ずそのままグラウンドに向けて走り出した。
「元ちゃんっ?」
なんて気障なことを言ってしまったのか、強い後悔に勝手に早まる足、高鳴る鼓動を振り切るように元は一目散に駆けていく。みつきはその背中があっという間に見えなくなっていくのを見つめながら、また首をかしげてその瞳を瞬いた。
(―元ちゃんなんて言ってたんだろ…)
みつきは聞きそびれた元の言葉にしばらく首をかしげてから、参考書の束を抱え直して一成の待つ部室へとぼとぼと歩き出した。
部室にたどり着いたみつきは荷物を降ろすより先に、部室の片隅でみつきを待ち構えていた一成に頼りなげな声を絞り出す。
「あのね…カズ…今度の日曜…元ちゃんと遊園地…行っちゃだめだよね…?」
みつきの声はかき消えてしまいそうに小さく震え、一縷の儚い望みにすがるような面持ちをしていた。一成はあまりにみつきが思いつめた様子で口を開いたことに、一瞬揺れ動きそうになった己を律して言い放った。
「ダメに決まってんだろ」
一成の有無を言わさぬ物言いに、みつきはだよねと小さくつぶやきながら意外と大人しく席に着いた。一成は思いつめている割にあっけないみつきの了承に少し拍子抜けしていた。これまでのみつきの言動から察するに、一成はここで後一押し二押しされると思っていた。これも何かの作戦なのか、一成が大人しく参考書に向かうみつきの姿を疑心暗鬼に駆られるまま複雑な表情で見守ってると、洋平が面白そうに口を開いた。
「みつきちゃんかわいそ。遊園地行きたいんだよ、元と」
「行かせるわけねぇだろ、今が大事な時期なんだ」
「遊園地じゃなくて元と行くのがダメだったりして」
くすっと一成に漏れ聞こえた洋平の笑みに一成は洋平の座ったソファの足をガツンと蹴飛ばした。
「洋平、お前だってそんなんじゃねぇってわかってんだろ」
「だって、かわいそうなんだもん。部室に閉じ込められたお姫様だよあれじゃ」
「うるせぇ、どこが姫だ」
洋平の囁きに込められた非難に、一成は同意するわけには行かない。酷に見えるこの拒絶もひいてはみつきのためなのだ。それでもいつになくしょぼくれた様子で机に向かうみつきを見ていると洋平の囁きは案外と的を得ているように思えてくる。半強制的に毎日部室に通わされ問題が解けるまで外に出さない。
(―王子様の救出を心待ちにするお姫様…ってことか…?)
姫というにはみつきには多少難があるだろうけれど、そういわれてそう見れば見えなくもない。
(―ってことはなんだ、俺が悪者かよ)
一成がようやくその事に思い当たり、雑誌に顔を埋めて一成を伺い見ていた洋平を睨みつけた。
「やっとわかった?」
くすっと一成に向けられた笑顔はとても友達に向けるようなものではないだろう。一成がどういう意味だと洋平に掴みかかりそうになったとき、みつきの沸騰しきった声が部室に響いた。
「カズ…もうわかんない」
みつきの手がほとんど動かず一成に助けを求めると、一成は洋平に軽く舌打して立ち上がった。
(―俺が悪者になって成績上がるんなら、いくらでもなってやるよ)
相も変らぬみつきの寝ぐせと頼りなげに眉尻を下げた姿にため息をつきながら、一成は妙な決意を固めていた。




