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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第3章 寝ぐせ姫と鬼王子
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第3章 寝ぐせ姫と鬼王子(11)

「おはよ…」

 その日、みつきはいつにない澱んだ声音で元に声をかけた。いつもと違うみつきの挨拶に、元がいつも通りに浮かべた笑顔が瞬時に真顔に戻る。


「おはよ…って、みつき…どうした…?目が赤いぞ…?」


 元は覗きこんだみつきの両目が少し赤みを帯びていて、腫れぼったいことに首をかしげた。みつきは元にそうして覗きこまれて初めてそれを自覚したのか、元から顔を背けると両目を慌ててこすり上げた。


「え…?赤い?…なっ、なんか昨日ほら、新しいゲーム、あれやってたら寝れなかったんだぁ」


 みつきの瞳は擦ったせいで先ほどよりもずっと赤みが増していて、ますます元の不安をかきたててしまったようだ。みつきはいぶかしむ元の視線から自分の瞳を隠すように体を傾けると、わざとらしい鼻歌を歌い始め、そうしてすぐに何かを思いついたように顔を上げた。


「そだ、千秋ちゃんに英語の宿題やってあるか聞いてこなくちゃ」


 みつきはごそごそと教科書やらノートをとりだしながら、独り言のような呟きを洩らして自分のクラスより進みの速い千秋のクラスへ走り出した。


(-嘘つくの下手だよな…)


 元はみつきの残した教科書の中に、みつきにはおよそ似合わない参考書が紛れている事に目を留めた。中学2年向けの参考書はさほど厚くなく、ぱらぱらとめくるとみつきとは違う整然とした文字の書き込みが目に留まった。


(―カズ先輩のか…)


 かなり使い込まれた感じのある参考書が元にはとても貴重な品物のように思える。みつきがこのまま同じ学校に通えるかどうか、それはみつきの努力と一成の忍耐、それらが重要な要素となる。学園祭が終わってからこのところ、ようやくみつきが居眠りしないで授業を必死に受けているのを眺めながら、元は自分が何の力にもなれないことが歯がゆかった。


「やった、英語のノートげっとぉ」


 みつきが千秋の教室から立ち戻った時、元はすでに自分の机でゲーム機を起動させていた。みつきが買ったと言っていた最新の人気ゲームだ。みつきは小さく音量を絞った元のゲーム機に興味津々で近づいていった。


「おもしろい?」


 みつきが元の後ろから覗き込むように囁いたのに、元はちらりとみつきへ視線を送り、そしてすぐにそっけない口調で切り替えした。


「…?やったんだろ?」

「え…あ…うん、おもしろいよね」


 みつきはつかなくてもいい嘘をついてしまったツケを支払うために、また新たな嘘を塗り重ねるしかない。元はみつきの不自然すぎるそぶりに起動させたばかりのゲーム機を閉じて、あからさまに溜め息をもらした。


「みつきさ、そういうのはだめだって」

「だめって…?」

「嘘つくこと」


 元が悪いことをした子供を叱るような顔でみつきを軽くねめつけた。いつも一成がするそれを元にされたのは初めてで、みつきはすっかりしゅんとちぢこまった。


「みつきは嘘つくの下手なんだから無理すんなよ。ほんとは昨日何があったんだ?」

 元に指摘され、みつきがようやく観念したように口を開いた寝不足と腫れた瞼の原因はつい昨日の出来事にあった。



 昨日の放課後、みつきは部室にちょろりと顔を覗かせてから、細く開けた扉の隙間から体を滑り込ませた。

「おじゃましま~す」


 別に開けてはいけない扉ではない、けれどなんとなく遠慮がちなみつきのそぶりに洋平が微笑んだ。


「みつきちゃん、いらっしゃい。そんなコソ泥みたいにしなくても堂々と入ってきていいんだよ?」

「うん…ありがと、洋ちゃん。あの~…カズは?」


 みつきは快くみつきを迎え入れた洋平に微笑んでから、一成の姿を部室の中に探すように首を一巡りさせて口を開く。さして広い部屋でもない、一成がいないことはみつきにもすぐに分かった。


「カズなら今図書室だよ。みつきちゃんにもできそうな問題探してくるって」

「そか」

「そこ、座ってなよ。たぶんそれみつきちゃんの机と椅子だから」


 洋平は手持ち無沙汰な様子で佇むみつきに部室の片隅におかれた机を指差した。今朝方一成が用意していた机と椅子は、どこから調達してきたのかすこし薄汚れていた。みつきは洋平に言われるまま椅子にちょこんと腰掛けると雑誌に視線を落としたままの洋平を眺め、そしてすぐに窓から見える青空に心を奪われた。


「うわぁ…天気いいなぁ…」


 机の上に身を投げ出すようにして、顔を仰向けると視界いっぱいに青空が広がる。天気がいいというだけで心が昂ぶり駆け出したくなるけれど、今日からはそれもしばらくお預けだ。みつきは突き抜けるような空を眺めて、ほけーと口を開いていた。


「おい、みつき」


 一成に丸めた紙の束でぽこっと叩かれ、みつきははにゃっと体を起こした。ぼうっとしてたのがあからさまなみつきの様子に一成は少しあきれたしぐさを見せたけれど、すぐに手にした紙の束をみつきの前にばさりと広げた。


「ほら、これ。過去問だ。とりあえず3年分な」


 みつきは50枚以上はありそうな紙の束を片手でぱらぱらとめくり上げながら、不思議そうに一成を見つめた。


「過去問…?」

「そう、高校入試のだけどな」


 コピーされたばかりの紙はほんのりと熱がこもっていて、みつきは新しい紙の臭いに不思議そうに目をしばたいた。


「お前は中学校からしっかりやり直した方が良さそうだから、これを家に帰ったら今日から毎日一問以上解いて、次の日に俺に見せろ。もし分からなかったら電話して来い」


 一成が少し意地悪そうに過去問を差し出した意味にようやく合点がいくと、みつきはなるほどと小さくつぶやいていた。一成はみつきが納得したそぶりを見せた事を確認すると、次が本題だとばかりに居住まいを正してみつきに向き合った。


「で、今日からはこっちだ」


 一成は自分の参考書の一番上のものを手にとると、どさっとみつきの目の前に放り投げるようにさしだした。


「俺が中等部で使ってたやつだ。書き込みもしてあるけどな、結構分かりやすいからこれを使え」


 みつきは一成が使っていた跡を参考書の中に見出して、その文字の羅列を指で辿って微笑んだ。


「うん。ありがと、カズ」

「よし、じゃあやるぞ。学期末まであと一ヶ月ないからな」

「は~い」


 そこまでは順調だったはずだ。けれど、そこからどんどん暗雲が立ち込めたのは言うまでもない。一成はみつきの幼稚な字が殴り書きされたような答案に頭を捻って、どうしてこういう答えが出るか考えていた。答えは整数のはずなのに、みつきのノートにはなぜか分数がそこかしこに書いてある。図形の問題にいたっては問題外だ、「だいたいこのへんが3」と書かれた文字に一成はだいたいってのはなんだと笑うより先にその答えの稚拙さに落胆が隠せなかった。


「わかってたけど、お前最悪だな…これなら沙紀に教えた方がよっぽどできるぞ」

「う…」


 学園祭の準備だ部活だと走り回るみつきに、まとまった勉強時間を確保するように説得するのには骨を折った。やっと身を入れてみつきが勉強しようとしていることを評価すべきなのは一成としてもよく分かっている。けれど、それとこれとは別問題だと怒鳴りつけたくなるほど、みつきの数学の理解力は一成の予想を上回るほど低レベルなものだった。


「よくこれで俺と賭けが出来たな」

「えへへ…」

「えへへじゃないっ、しかもよく兄貴に見栄を張れたなっ」

「うぅ…」


 一成の痛烈なみつきへの評価は当たらずとも遠からずだ。みつきが一成の声がどんどんと険悪になっていくことに小さな体を更に小さく縮めて俯いた。


「みつき、お前部活やめろよ」

「…やだ」

「じゃあお前部活と勉強とちゃんと両立できるって言えんのか?」

「うぅ…」

「部活はちゃんと勉強できるようになってからやれ。でないとほんとに兄貴に連れ戻されるぞ?」


 少し潤んだ瞳で強く拒絶を示したみつきを一成がまっすぐに捉えた言葉はみつきの核心をついていたようだ。みつきは一成の言葉に一瞬反論しようと開いた口を、またぐっと閉じざるを得なかった。


「部活もしたい、今の生活も続けたい、でも遊びたい。それじゃあ一生成績なんてあがんねぇよ。あがるわけねぇ」

「でも…」

「でも?」


 一成は事ここに至ってもなお口を尖らせるみつきにその内側でぷつんと何かが切れたのが分かった。分かったけれど切れた糸をつなぐすべはない、一成は手にした参考書を机へ放り投げると、みつきを見つめる瞳を眇めて口を開いた。


「いいか、俺はお前が兄貴のとこに帰りたくないっていうから協力してんだ。それが嫌ならやめちまえ。学校辞めてさっさと兄貴のとこに戻れ」


 一成は今のみつきにとって最も辛辣しんらつな言葉を言い放ってしまった感触に顔をしかめていたけれど、みつきは一成の言葉の正しさにもう何も言えなかった。いつもなら泣き出してしまいそうな言葉の羅列にみつきは連れ戻されたくない一心で押し黙り耐えていた。


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