第3章 寝ぐせ姫と鬼王子(9)
生クリームにたっぷりのイチゴがこぼれそうなクレープを手にしたピンクのウサギと沙紀、両方に片方ずつ手をとられ一成はまるでお遊戯会に参加させられている気分だった。中庭では元にも沙紀と似てないとまじまじと見比べられ、不愉快な面持ちのままようやく2階に上がってきた。けれど逃げるような移動の最中も四方八方から隠し撮りされるシャッター音に一成のいらだちが限界を迎え始めていた。
「あれぇ、カズじゃん。両手に花、だね」
比較的人の流れの途絶えた2階のホールで洋平に呼びかけられた一成は、今一番会いたくない奴に会ってしまった不快感を隠さずに睨みつけた。
「うるせぇ」
両手を塞がれた一成は憎々しげに洋平の脛を軽く蹴り上げるそぶりを見せながら、制服姿の女達に囲まれている洋平を目に留めた。いつもならよくやるなと冷たく一瞥するだけの一成も、左手にピンクのウサギ、右手に沙紀を連れた状態でならほんの少しうらやましいと思うことができた。俺もまともな恋愛が出来たら、いまごろおままごとなんかしてねぇのか、そんなことすら考えてしまうほどだ。
「カズ先輩…かわいい」
洋平を囲む女生徒の中からもくすくすと含んだ笑いがもれ聞こえると一成はかなり気恥ずかしい。一成がそんな女生徒の笑みにむっと顔をしかめた時、浩一郎の驚いた声音が一成の後ろからかけられた。
「カズ…これはまた…もてもてだな?」
(―なんだってこんな時にみんな集まってくんだよ)
学園祭という浮かれた雰囲気が浩一郎の口も軽くするのか、一成はいやな思いで振り向くと、そこには浩一郎の軽口も納得の光景があった。浩一郎の傍らには高等部の制服を身につけた、少し上がり目のすらりとした少女が立っていた。
「カズ、奈緒だ。覚えてるか?」
その子に会うのは一年ぶりくらいだろうか、浩一郎の彼女になってからもう2年は経つだろう奈緒の姿が以前よりぐっと女らしくなっていることに一成は目を見張っていた。
「あ…あぁ…久しぶり…だな?」
「まあ、いつもピアノの練習練習で忙しくしてるからな」
「5月までウィーンに短期留学してたの、だから余計よね」
浩一郎は一成の伺うような視線に少し照れくさそうにしながら、その手はしっかりと奈緒の右手を握り締めている。浩一郎にしても柔道と学校の往復がほとんどの生活で、奈緒との時間が取れないのは一成もよく分かっていた。けれど、今この状況での浩一郎の幸せがねたましく感じるのは、素直な反応として許してほしいところだ。
「うん。カズ君には多分ほんとに久しぶりかも。でも噂はしっかりきいてるよ?」
浩一郎と視線を合わせ意味ありげに微笑むと、奈緒は一成の左手の先を握り締めたみつきに視線を向けて小さく頭を下げた。
「早瀬さん、だよね?私E組の水上奈緒です」
「早瀬、俺の彼女なんだ。よろしくな」
浩一郎は少し照れくさそうに、けれどかなり嬉しそうに傍らに立つ奈緒をみつきに紹介して見せた。
「ほえ…浩ちゃん彼女さんいたんだぁ」
素敵ぃ、そう微笑むとみつきは奈緒の手を取りぶんぶんと上下に振って自己紹介した。奈緒はそのみつきの自由奔放な握手に驚きながら楽しそうに微笑んだ。
「私もカズ君に彼女が出来たって聞いて早く会いたかったんだ」
「ほえ…?」
「なっ…」
みつきは奈緒に屈託なく微笑まれきょとんと瞳を見開き、一成は奈緒の口から飛び出したとんでもないセリフに驚きのあまり息を呑んだ。傍らの沙紀はめまぐるしい会話の波に圧倒されているようできょときょととせわしなく瞳を瞬いている。
「なっ、何言ってんだ」
一成は素っ頓狂な声を上げながら奈緒から飛び出した言葉の裏に、洋平の姿を見出すとにやにやと笑みを浮かべた洋平をぐっと睨みつけた。
「洋平っ、お前だな」
「ぼっ、僕ぅ?今回は僕じゃないよっ」
一成の誤解に洋平は浮かんだ笑みをかき消して、珍しく慌てたそぶりで両手を振って後ずさる。けれどその洋平の慌てぶり以上に、慌しく声を発したのは浩一郎だった。
「カズっ、待て待てっ、俺だ、俺」
「浩…?」
こういう噂の元凶が洋平以外にあるということ、それがまさに意外だとばかりに一成はつかみかけた洋平の胸倉から手を離した。振り向いた浩一郎の顔はかなり申し訳なさそうに、けれどかなり困ったそぶりで一成と奈緒の顔を行ったりきたりしていた。
「いや、違うけど、違わなくて…奈緒、だから違うって言っただろ?」
「あら…でも…?」
浩一郎に同意を求められてその時の会話を思い出してるのか、首をかしげながらしきりに浩一郎と一成を奈緒の視線が行き来する。奈緒がそうして逡巡していると、その肩にほっそりとした指がそっとかけられた。
「違うよ…奈緒ちゃん…」
「あら、ハル君…」
困惑仕切りの奈緒に振り向かれた晴彦は奈緒を励ますように微笑んでいた。そうして奈緒を安堵させてからその視線がきょとんとしたまま事態が飲み込めないでいるみつきに降り注ぐ。
「この子は僕のヨーキーだから」
「ヨーキー…?」
「うん…ぼくのだよ。ね?カズ」
「ちっ…ちがっ…」
晴彦にそう聞かれても一成には否定も肯定もできない。一成は次々と現れて勝手なことを言う友人の群れからもう逃げ出したい一心で口を開いた。
「俺がしるかっ」
一成はクレープを食べ終えたみつきと沙紀の手を掴むと、ずんずんと中庭に向けて歩き出した。




