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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第2章 寝ぐせ姫と桜の木
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第2章 寝ぐせ姫と桜の木(1)

 新学期が始まり一成はまた見世物のようになることへの深い嫌悪感に、眉間にしわを深く刻みながら登校していた。長い休みの後はいつもより色めき立つのがまた一成の気持ちを深く沈みこませる。一成が重い溜め息とともに中庭前の廊下を足早に通り過ぎようとしたその時、そこにみつきの姿を見つけてしまった。みつきはクラス分けが張り出された掲示板の人垣の外側で何度も飛び跳ねたり回り込んだりしていた。


「何やってんだあいつは…」


 きっとどんくさいみつきのことだ、出遅れて自分のクラスの確認が出来なくなったに違いない、一成はぴょこぴょこ跳ね続けるみつきの小さな背中に溜め息をついた。


「まったくしょうがねぇやつだ…」


 一成は呆れた吐息交じりに首を振ると、みつきには気付かなかった振りを決め込んでいつものように部室に向かって足を踏みだそうとした。けれど、視界の端でちょろちょろと蠢くみつきの姿をどうしても振り払うことが出来ない、部室に向かったはずの一成の足は次の瞬間には中庭に向かって歩みだしていた。


「う~…見えない…見・え・な・い・よぉ…」


 みつきが飛び上がると人垣の向こうにちらりと白い紙が見える。見えるけれどそこに書かれている文字の中に自分の名前を見つけるのは至難の業だ、みつきは何度目かの跳躍が無駄に終わると小さく鼻をすすりあげた。一成がみつきに気付いたのはまさにそんな折だった。なかなか打開策の見えない掲示板前のむなしい跳躍、ぴょこぴょこと飛び跳ねるといつも以上に盛大に跳ねた寝癖がそれにあわせて跳ねるのがおかしくて、一成はみつきの精一杯の努力のかたわらで小さく吹き出した。


「みつき、何やってんだお前は…まだ寝癖ついてるぞ?それぐらい直して来いよ。入学式だろ、今日」


 みつきのぴょこりと跳ねた寝癖を抑えながら一成がため息混じりに声をかけると、みつきは驚いたように一成を振り仰いだ。すると、見知らぬものばかりの群集のなかで見知った顔を見つけた安堵からか、みつきの潤み始めていた瞳から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。


「カズ…」


 そのみつきのすがるような瞳を見れば、みつきが口を開かなくてもいったい何を言いたいか一成は察してしまえた。それが自分としても情けない限りで、一成はこれ見よがしに眉をひそめることでささやかな抵抗を試みた。


「な…なんだよ」


 しかし一成がそんな風に抵抗を示せたのはほんの一瞬だった。みつきは一成がほんの少しためらったその間隙に、畳み掛けるように小さく鼻をすすり上げ零れ落ちた涙を拭いあげた。


「見えないの…名前…」


 頼りなく悲しみを湛えるみつきの声、それを耳にしてしまっては一成になす術はもうない。一成はみつきが二度目の涙を拭いあげる前に、沙紀にねだられた時と同じ口調で仕方ねぇなと呟くと、みつきの小さな体を軽々と抱き上げた。


「見えるか?」

「ん~…見えない」


 出来るだけ高さが出るように掲げた一成の努力のかいも無く、みつきはふるふると頭を振りしょぼくれた声を出した。その声に一成は溜め息混じりにみつきを地面に下ろすと、うなだれきったその頭に励ますようにぽんっと軽く手を乗せた。


「しょうがねぇ、お前はここでちょっと待ってろ」


 一成はそう言うと少し戸惑いを見せるみつきをその場に残し、人混みの最後列で友人達とクラスが離れたことを嘆く男子学生の肩に手をかけた。


「おい、ちょっとそこどいてくれ」

「え…?」


 短く整えた髪を天に向かってたたせた彼は、振り向いた先に一成の姿を認めるとその表情を一気に驚愕へと変貌させ言葉を失い立ちすくんだ。彼が驚くのも無理はない、一成が見知らぬ学生に声をかけること自体が稀なことであるし、無関係なはずのこの場所にいることすら彼らには予想できるはずのないことだった。


「カ…カ…」


 カズ先輩とでも言いたいのだろう。けれど彼は驚きのあまり一成のしかめた顔を指差しながら、口をパクパクさせてばかりいる。言葉の続かないその姿に人を指差す礼を失した態度、一成はそれを冷たい瞳で睨みつけると、震えるその指先を払いのけて言い放った。


「人を指で指すんじゃねぇっ。まだ見てないやつもいるんだ、自分のクラス見たんだったらさっさとそこをどけっ、じゃまなんだよっ」

「カ…カズ先輩っ」


 彼が数秒かかってようやく絞り出した声は裏返りかすれて、一成の言葉のどの部分にも答えをもたらしていなかった。けれど、その素っ頓狂な声音は案外と中庭に反響し、掲示板前の群集に一瞬間静寂をもたらした。しかしそれも束の間のことで、やがて彼の調子っぱずれの一声が、大きな波紋を呼んでいくのは一成にもとめようがなかった。


「え…?…あれ?…カズ先輩…?」

「ウソっ?森先輩だって、森先輩がいるよっ」

「ええ、森先輩がいるのっ?」

「きゃあ、カズ先輩っ…本物、本物だよぉっ」


 今にも気絶しそうなほど甲高い奇声に珍獣を見るような新入生達の好奇の視線、一成がもっとも苦手とし嫌悪する光景にそのいらだちが頂点に達していく。一成は知らずと握り締めた拳がわなわなと震えるのを感じながら、それが自ら覚悟の上であることを鑑みてざわめく一団にむかって口を開いた。


「うるせぇっ、騒ぐなっ」


 自分としては精一杯憤りを抑えたはずの一成の一声が中庭に轟くと、途端に中庭は水を打ったように静まり返り、今度は声を荒げなくても一成の声が中庭に響いていく。


「用が済んだらさっさと中に入れ、後がつかえてんだろ」


 静まり返った群集は一成の踏み出した方向へと道を開くのが精一杯のようで、ふてぶてしい一成の言葉に従えるものはいないようだった。一成は舌打ちしつつようやくたどり着いた掲示板に視線を走らせると、群集の向こうでたたずむみつきの元へ取って返した。


「みつき、お前A組だぞ」

「え……う、うん」

「A組は校舎の一階の端、俺の教室は2階だけど、授業以外はほとんどそこにはいないから、用があったらあっちの棟に来い」


 一成は中庭に面した部室の窓を指し示してそこまで言うと、みつきがぽけっとしたまま自分を見つめていることにようやくその時気がついた。自分の説明などちゃんと耳にしている様子の無いみつきに一成は顔をしかめてみつきの頭をはたいた。


「ちゃんと聞いてんのかっ」

「き、聞いてるよぉ」

「聞いてんならバカみたいに口開けてんなっ」

「…ちがうもん…カズってほんとお父さんみたいに頼りになるなぁって思ってたんだよぉ」

「はあ?何言ってんのお前…」

「だってさ、カズはあたしががんばってもできないことがすぐできちゃうし、困ってたら助けてくれるでしょ?そういうのすっごいかっこいいんだもん。ありがと、カズ」

「みつき…」


 みつきにとって父親が正義のヒーローのような存在なのだとしたら、一成は少し困った事になる。いつでもみつきを助けられるわけでもないし、いつもみつきを守れるわけでもない、けれどみつきの褒め言葉はいつもやけにくすぐったく、満面の笑みに湛えられた誇らしげな様子が一成の内側を不思議な気持ちで満たしていった。


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