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寝ぐせ姫~いつも一緒に~  作者: 蟻屋紋吉
第1章 眠りの森の寝ぐせ姫
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第1章 眠りの森の寝ぐせ姫(11)

「カズ、できたよ~。マイスナ特製ハンバーグカレー、みつきのチーズトッピングだよ」


 海から上がった疲労にまどろみ始めていた一成の目がその声にふっと開いた。頬杖をついていた腕はいつのまにか外れていて、一成は凝り固まった首筋を回しながら目をしばたいた。


「ハンバーグ…?チーズ…?」


 一成の頼んだのはただのカレーのはずだった。それがいつのまにかハンバーグとチーズがトッピングされ、皿の大きさはいつもより一回り大きくなっていた。その皿を持ったみつきが一歩踏み出すごとにその足取りの危うさに一成は椅子から立ち上がりそうになる。


「お、おい、気をつけろよ?」

「だいじょぶだよぉ」


 みつきは一成の不安げな声に足を止めるとむっと頬を膨らませた。いつもなら軽くあしらうみつきの子供じみたそぶりも、今だけはそんな風にできそうもない。


「いや、ほんと無理だって。おい、俺が運ぶからそこで待ってろ」


 みつきのおぼつかない足取りにとうとう一成は我慢しきれず席をたった。その時、マイスナの前を爆音を響かせて一台の車が近づいてきた。窓の向こうを通り過ぎる車高の低いオープンカー、左ハンドルのエンジン音は思わず耳を塞ぎたくなるほど不快だった


 ―パァンッ…


 それはたった一度、耳をつんざくように辺りに響いた。心臓が飛び上がりそうなバックファイアの破裂音に一瞬体が強張った。一成が強烈な破裂音に目をしばたいた時、みつきの小さな悲鳴と同時に食器の割れる音が爆音にかき消されながら一成の耳に届いた。


「やっ…」

 予想通りにみつきが皿を割った気配に、一成は先ほどの不安が現実になったと呆れるばかりだ。やっぱりやったか、と諦めにも似た思いの一成が目に留めた光景は、いつもといささか状況が違うように見えた。



 厨房の床に叩きつけられた皿は二つに割れていたけれど、いつもならばつが悪そうに照れ笑いを浮かべるはずのみつきの姿はそこになかった。みつきは割れてしまった皿のすぐそばで殊更小さくうずくまり、両耳を塞いで震えているように見えた。少し奥まった場所でフライパンを洗っていた良太も、そんなみつきの様子に顔を強張らせている。


「みつき…?どうした?大丈夫だ、ただの車のバックファイアだぞ?」


 一成もびくりと体を強張らせたほどの大きな音だったけれど、それでもたかが車の騒音だ、一成は少し大げさではないかと口元を緩めながら、かたかたと震えるみつきの背中に手を添えていた。けれどみつきの体は一成の声も届かないのか、震えは一層ましていくようだ。一成は常とは違うみつきの過剰とも言える反応に眉をひそめた。


「みつき…大丈夫だ、もう車は行った。大丈夫だ。大丈夫」


 何度か繰り返し囁き、みつきの小さな肩を抱き寄せるとみつきは血の気のうせた顔をようやく上向けた。けれど一成を見つめるみつきの瞳の焦点は合わず、その顔色はいまにも気を失いそうなほど青ざめていた。


「カズ…?」

「ああ、俺だ」


 ようやく自分に焦点を合わせたみつきの声が震えていた。一成はみつきの震えを支えるように、ゆっくりとみつきに語りかけた。


「みつき?大丈夫か?やけどしてないか?」

「あ……うん…だいじょぶ…た…ぶん…」


 一成に促されてみつきはようやく皿を持っていたはずの両手を閉じたり開いたりして無事を確かめた。けれど、一成の昼食はものの見事に厨房に飛び散り、みつきの足首にカレーのルーが降りかかっていた。


「あ…あつい…かも…」

「あついかもじゃねぇっ、あついだろっ。ばかっ」

 みつきの鈍感さに呆れながら、一成は慌てて不安げに見つめる良太を振り仰いだ。みつきの異変に言葉なく表情を強張らせていた良太も、一成の視線を受け止めるとようやく心得たとばかりに製氷機に近づき、同時に裏庭の春香を大声で呼ばわった。



「悪かったなカズ…驚いただろ…」

 良太は一成にあらためて盛りなおしたカレーを差し出しながら、気まずそうに切り出した。まだ顔色の戻りきらないみつきには春香が付き添い、自宅をかねた店の2階に休ませる事にした。


「いや…まあ、少し…」

「そうだよな…実はな、みつきは小さいころからだめなんだ。ああいうふうに突然大きな音がなったり、ほら、運動会なんかのスタートのピストルの音あるだろ?ああいうのとか急に鳴るとな…びっくりしすぎてああなっちまうんだ」

「…まぁ…分からなくはないですよ…」


 口では一応の理解を見せた一成だったが、良太の説明で全てを納得するには至らない。あんなみつきを見るのは初めてだったということもあるけれど、良太の強張った表情もただ事ではなかった。


「だろ?俺もさっきはあんまりでかい音だったんで、びっくりしてフライパン落としそうだったな…」


 ははと笑う良太の笑みはあまりにぎこちなさ過ぎて、一成はカレーと白米の中間をスプーンでいじりながら、その口元を固く引き結んでいた。一成に愛想がないのは誰もが知るところだ、けれどいまは殊更笑う気になどなれない。一成の思いつめたような表情に、良太は自分の軽口がうまく行かなかったことを悟ると、浮かべていた笑顔を引っ込めて今朝剃り上げたばかりの頭をつるりと撫でた。


「親父の事故があった頃からなんだ…」


 良太の不意の告白に一成は驚いたように顔を上げた。良太の顔はかなり困ったように、その視線は一成を通り越して窓の向こうの海を見つめていた。


「あいつがあんな風に音に敏感になったのは…」


 一成は良太の思いつめたような声音に何も言えなかった。父親の死、それも突然の事故。それを思えばあの反応も納得してしまえる。けれど、それがなんだか理不尽な気がして一成は仇のように目の前のカレーを掬い上げた。



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