喫茶『児童』をご贔屓に
お久しぶりでございます。小説の投稿はいつぶりですかね、忘れてしまいました。あんまりにも久しぶりなものですから練習として単語を書いた紙を大量に用意して適当に選んだ3つを三題噺として物語を書きました。
「喫茶」「児童」「硝子」
です。
二時間半ほどで作ったものですがどうぞ。
阿呆のような太陽がジリジリとアスファルトを灼く。靴底が溶けるような錯覚を感じながらも私は前方の「喫茶」の看板を目指していた。暦の上では夏も終わろうというのに、一丁前にセミが鳴き叫び、精神的にも暑さに追い打ちをかけている。暦と季節はもう繋がっていないのだろう。
たかだか数百メートルではあったが、古めかしい店の前に立つ頃にはスーツのしたが汗でじっとりと濡れていた。だが、店内に入ってしまえばこんな熱気ともおさらばだろう。そう思って「ジドウ」の文字が書かれた硝子戸へと歩み寄った。しかし、いっこうに開く気配はない。壊れているのだろうか。
中を覗きこむとカウンターに客が数人腰掛け、マスターらしき人が陶磁器のコップを磨いている。どこか懐かしい雰囲気を醸し出す店内だ。見覚えが有るような気がするのは気のせいだろうか。なにはともあれ営業はしているらしい。いつまでもこうしているのも気が引ける。私はその硝子へと手を伸ばした。
ガタガタガタ――カラン。
調子の悪そうな音と共に硝子戸が道を開ける。一歩足を踏み入れると冷たい空気が私を包んだ。思わず目を閉じて気の抜けた声を出してしまったのもしかたのないことだろう。ふわりと豆の焼けるいい香りが鼻腔をくすぐった。心なしか香りがきつく感じられるのは久しぶりに嗅いだからなのだろうか。
「いらっしゃい――」
マスターのものと思われる声が聞える。目を開く。
「お坊ちゃん」
随分と背の高い老紳士がそこに居た。
¶
胸ほどの高さもあるだろう椅子に腰掛けると、心なしか落ち着いたような気がする。改めて店内を見渡すと目に映る全てが一回り大きい。カウンターも観葉植物も、店のマスターも。
「それで、オーダーはいつものでよいですかな、お坊ちゃん」
「え、えぇ」
優しく微笑んだ老紳士は背を向けて珈琲を入れ始めた。つい肯定してしまったが私はこの店に来たことは無いはずだ。それに「お坊ちゃん」といい、この店と言い、まるで――。
「子供に戻ったよう、ですか」
老紳士は私の頭の中の言葉をついだ。
「あぁ、驚くのも無理は無いでしょう。初めていらっしゃる方は皆困惑いたします。そして、考えることも皆同じでございます」
何を言っているんだ。まるで心を読まれているようなざわつきを覚える。無意識にまゆを顰めていた。ことり、と目の前にミルクティーが置かれる。ふわりと良い香りがするが、やはり匂いが強く感じてしまう。しかしこれは初めて珈琲に出会った時のような感覚。懐かしさを越えて、既視感を感じてしまう。
「申し遅れました。私、喫茶「児童」のマスター、渡と申します。この度は貴方に『自分を懐古』する時間を提供させて頂きます」
「あぁ、そうか――」
ここは、地元の珈琲店だ。
――カラン。
溶けて小さくなった氷がガラスコップの中でくるくると回っている。少し暗い店内に、私は一人カウンターに座っていた。外の明かりが差し込んでコップを、氷を、キラキラと煌めかせている。目の前のオレンジジュースと店内のジャズがどこか自然に溶け込んでいるような気がする。老紳士はどこに消えたのだろうか。振り返ってドアをみると「OPEN」の札がかかっていた。外から見れば「CLOSE」、今は営業時間ではないのだろう。
「おまたせ」
店の奥からエプロンをつけた少女が現れた。と言ってもとても大人びて見える。私が子供に還っているからだろうか。エプロンの下の制服は地元の高校のものだ。
「マスターには内緒よ。ホントはまだ料理させてもらえないんだから」
そう言って一皿のナポリタンを出してくれた。不揃いなピーマンや少しゴロッとしたウインナーがケチャップで麺に絡み合っている。ごくり、と唾を飲み込むと胃がきゅうっと少しうねったような気がする。
「い、頂きます」
「どうぞ」
優しく微笑む彼女の顔に少しドキッとする。早く食べたいけれど、なんだか少し緊張してフォークを持つ手がこわばっているのがわかった。ナポリタンにフォークを突き刺すと、カツンと音がして冷や汗が出た。ちらと彼女を覗き見ると相変わらずの笑顔で私を見ていた。気分を害しては居ないようでほっとする。
ぎこちなくくるくると巻きとって、口に運ぶとちょっと味の薄いケチャップの風味が口の中に広がった。お店のそれとは程遠い。それでも気がつくと「おいしい」と口にしていた。
「そう? ふふ、良かった」
あぁ、これが思いの味なんだ。二口、三口と口に運び、あっという間に平らげてしまった。彼女が私のために作ってくれたナポリタン。幸せな気持ちでいっぱいにしてくれた。
「ごちそうさまでした」
「ご粗末様でした」
食べ終わった私を彼女はじっと見ていた。私も彼女をじっと見ていた。何を話したらいいか判らなかったのもある。けれど、控えめなジャズだけが響くこの沈黙が心地よく感じられた。
「あのね」
どれほどこうしていたか、ふと、彼女が沈黙を破った。
「私さ、ここのバイトやめるんだ」
私はどう返したらいいか判らなくて、彼女をじっと見つめ返す。
「引っ越しでさ。だから、もう逢えないんだよね」
「そう、なんだ……」
まるでずっと一緒に居た人が離れてしまうような胸の痛みを感じる。それでも、私は彼女のことを知らない。掛ける言葉が見つからなかった。
「これ、あげるね」
彼女は、私に小さくて硬い何かを握らせた。カウンター越しに手が触れ合ってドキッとする。
「私のお気に入りだからさ、大事にしててね」
そう言うと、彼女は足早に店の奥に消えていってしまった。カロン、とオレンジジュースの氷がまた回っていた。
¶
「ん……」
体がビキビキと悲鳴を上げる。どうやらカウンターに臥してしまっていたようだ。低いカウンターなこともあり、腰が悲鳴を上げている。それだけでなく自分の腕に額を乗せて居たせいか腕がしびれている。どれほど眠っていたのだろう。
「お目覚めでございますか」
目の前のカウンターの向こう、やけに年季の入った作業場に、小さな老紳士は立っていた。
「貴方は……」
「随分と背の高い方ですね。覚えているでしょうか、渡でございます」
私の記憶の渡氏は背の高い老紳士だったはずだ。が、違和感はない。むしろカウンターや椅子、天井に至るまで全てが小さくなっている。
「おかえりなさいませ、今へ。遠い昔の時間旅行はいかがでしたか?」
「時間旅行?」
「えぇ、懐古する時間を旅していただいたでしょう? お土産もしっかりと」
眠りにつく前の事を思い出す。くるくると回るオレンジジュースの氷、年上の少女が作ってくれたナポリタン、最後くれた、何か。それは今も握りしめた手の中にある。少しずつその手を開いてみると、犬のストラップだった。硝子の本体からは根付がはずれ、耳が片方欠けている。かなりぼろぼろだ。
「長い時間を越えましたから。傷つき、壊れもしております」
いつの間にか空になったコーヒーカップに黒々とした液体が注ぎ込まれる。芳醇な香りが漂って、店に入った時より嗅ぎ慣れた香りに安堵する。
「しかしそれは失くなりはしませんでした。思いは、まだ有るのでしょう。あの喫茶店に」
幼い頃の思い出が思い出されていく。背伸びして入った喫茶店。厳しそうなマスターに苦味の強い珈琲の香り。高くて買えなかったナポリタン。ためた小遣いでやっと買ったオレンジジュース。
大好きだったウェイトレスの少女。
「思いというものは、美しいものです。美化もされれば風化もします。それゆえ、当時を旅したくなった時には。喫茶『児童』をご贔屓に――」
今後活動を再開するかは未定ですが、思い立って書いて。完結した暁にはふらっと投稿していきたいと思っています。それではまた。機会があれば。