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17.罪深き闇の森の魔女

 オリバー・セルフリッジは焦りながら森の中を進んでいた。闇の森の魔女、アンナ・アンリが大砲で撃たれたからだ。彼女が重傷を負っているだろう事は明らかだった。彼女の傍に近寄れば近寄るほど、物体が小さくなる魔法の効果も切れている。セルフリッジの身体に異変はなかった。

 アンナさん……

 木々が邪魔をして、アンナの存在を隠していた。感知能力も、対魔法障壁の所為で正常には働かない。アンナの場所が分からない。

 “早くいって治療してあげないと、彼女が死んでしまう”

 空では彼が長年かけて準備をしてきた特大規模の魔法が発動している。正常にそれは機能し、彼の狙い通りの事が起こっていた。政府の解散… そして、次にはもっと特別な事が起こる。しかし、彼はそれにほとんど注意を向けてはいなかった。彼の頭の中は、今、アンナの事だけで埋め尽くされていたのだ。

 闇雲に進んでも、迷うだけだ。セルフリッジはできるだけ冷静になるように努めた。近くの景色よりも、もっと背後の大きな景色を目印にして森を進む。アンナが創り出した闇の森を。大きな石の壁、その中央辺りにアンナはいたはずだ。

 やがて、記憶していた場所の辺りにまで辿り着くと、彼はアンナの姿をそこに認めた。仰向けになって横たわり、腹部を手で押さえている。そこからは大量の血が流れていた。

 「アンナさん!」

 セルフリッジはそう叫ぶと、アンナに向けて駆け寄って行った。アンナの傍まで近寄ると、彼はこう言った。

 「良かった。生きていたんですね……」

 “冷静になれ、不用意に動かしては駄目だ。魔法で、治療を……”

 彼はそう祈るように思考を回転させた。アンナは明らかに衰弱している。セルフリッジに気付くと、彼女は弱々しく笑った。

 「セルフリッジさん… 無事だったんですね。フフフ。嬉しい。来てくれて、ありがとうございます」

 「当たり前です! それよりも、早く魔法で治療を……」

 しかし、医療魔法を使おうと思っても、何も発動はしなかった。アンナは言う。

 「無理です…。今、ここには対魔法障壁が張られています。セルフリッジさんでは、魔法は使えません……。

 それよりも、もっと顔を見せてください。ベヒモスの呪いが解けたんです。やっと自分の目で、セルフリッジさんを見られる…」

 セルフリッジはその言葉に慌てる。もちろん、ここで魔法が自由に使えない事は、彼にも分かっていたのだが。

 「そんな、なら、アンナさん自身が自分で治療すれば……」

 「残念ながら、それもできないんです。大砲でわたしの体内が破られました。ただの弾なら、それほど問題はありませんが、どうも呪文を攪乱する為の特別なものだったようで、わたしは今は魔法を自由に使えません。ほら、魔法が暴走して、こんな森まで勝手に創ってしまいました。お蔭で魔力をかなり消費しています。森を創る時に、弾は体外に排出されましたが、わたしの魔法は攪乱したままです。この状態では、対魔法障壁を潜り抜けて、自分を治療する事なんてできない」

 「でも、何か手はあるのでしょう? 考えてください。まだ、こんなにはっきりと意識があるじゃありませんか」

 「いいえ、わたしには思い付きません。油断していました。まさか、この闇の森システムが攻略されるなんて……」

 それからゆっくりと笑うと、アンナはこう言った。

 「セルフリッジさん… ごめんなさい。あなたの言う事を聞かなくて」

 それを聞くと、セルフリッジは首を大きく振りながらこう返した。

 「そんな事、全く気にしていません! それに、約束通り、あなたは超広範囲契約魔法を使ってくれたじゃありませんか」

 「いえ、後一歩で間に合わないところでしたから。それに、恐らく、チニックさんが手伝ってくれました。あの人がわたしとベヒモスの魔力との繋がりを強化してくれなくては、魔法は発動させられなかった。あの人に、お礼を言っておいてください。わたしは多分、もう駄目です……」

 「何を言っているんですか? 諦めないでください。まだ、何か方法はあるはずです。時間はあるんだ……」

 アンナはそれに何も応えない。力なく笑う。その笑みを見て、セルフリッジの頭はアンナを失う事の恐怖でいっぱいになった。

 「駄目です。あなたは、まだ少しも仕合せなっていない。あなたは、もっと仕合せになるべき人なんです」

 それを聞くと、アンナは「フフ」と声を出して笑った。

 「ですから、大うそをつかないでください、セルフリッジさん。わたし、仕合せですよ。セルフリッジさんと会ってからずっと。

 ……わたしの一度目の人生は、そりゃ酷いものでした。だけど、わたしの二度目の人生は……、セルフリッジさんと出会ってからの人生は……、本当に、信じられないくらいに仕合せでした。フフ……。夢みたい」

 それを聞いて、セルフリッジは目に涙を浮かべる。

 「駄目です。これくらいの事で、満足しないでください。あなたは、もっともっと仕合せにならなくちゃいけないんだ!」

 その必死なセルフリッジを見て、アンナも目に涙を浮かべた。

 「セルフリッジさん……。わたしの、やさしいセルフリッジさん。どうか、わたしの事なんかで苦しまないでください。わたしは罪深き闇の森の魔女です。見捨てられても仕方がないような。

 わたしは、あなたが救おうとしてきた人々をたくさん殺し続けてきました。あなたにやさしい言葉をかけてもらう資格はない」

 セルフリッジは首を横に振る。

 「それはあなたの意思ではありません。あなたは、人を殺しながら、絶えずその境遇に苦しんできたはずだ!」

 「それは、確かにそうかもしれません。でも、駄目です。だってわたし、本当は人間なんてどうでも良いって思っていますから。近くにいる人間を、殺したいとは思いませんが、遠くでどれだけの数の人が苦しんで死んでいっても簡単に無視できる。そういう女です。わたしは、人間なんて大嫌いなんです。

 ……わたしが大切なのは、セルフリッジさんだけ。わたしはそんな女です。罪の深い醜い女。

 人間なんて大嫌い。あいつらは、いつだってわたしを傷つける……」

 それを聞くと、セルフリッジはこう言った。

 「大丈夫です」

 それから彼は、アンナの顔を、両の掌でやさしく包み込むように支え、真っ直ぐに彼女の顔を見つめながら続けた。

 「僕だって、本当は、人間なんて大嫌いですから……」

 その言葉を聞くと、アンナは滂沱の涙を流した。

 「お願いですから、そんなやさしい言葉をかけないでください。まだ、甘えたくなります。別れたくなくなります……」

 セルフリッジも涙を流す。しかし、それと同時に自分自身に言い聞かせていた。“駄目だ。混乱するな。冷静に。考えろ考えろ考えろ。まだ、何か方法があるはずだ”

 「アンナさん」

 それから、ゆっくりと息を吐き出しながら彼は言った。

 「状況を確認します。まず、ここには対魔法障壁が張ってあって、あなたは自由に魔法を使う事ができない」

 それを聞くと、アンナは「はい」と答える。多少、戸惑った顔を見せながら。

 「次に、あなたの体内の呪文が攪乱されていて、それもまた魔法使用の妨げになっている。つまり、この二つの問題さえクリアすれば、あなたは魔法が使えるようになり、助かる。

 なら、なんとかなるかもしれません。聞いてください。この場の対魔法障壁は、直ぐに取り払えるはずです。初めは、障壁なんかなかったのですから……」

 アンナはやはり戸惑った目のまま、セルフリッジにこう返した。

 「確かにそうかもしれません。ですが、それは不可能です。わたしの内部を回復させる事は可能ですが、その為には、大量の魔力が必要になります。ですが、この場にはそんなものはありません。この森を創り出した所為で、わたし自身の魔力は大幅に失われてしまいましたし…」

 それを聞きながら、セルフリッジは目を瞑った。きつく。そして急速に頭を回転させると言う。

 「いや、大丈夫です。方法はあります」

 その返答に、アンナは不安そうな顔を見せる。

 「嫌です。何処にも行かないでください。ずっと、一緒にいて……」

 セルフリッジが自分を救うために、この場を離れるかもしれないと考え、不安になったのだ。

 「安心してください。ここにいます。動かなくても、あちらの方から、ここにくるはずですから……」

 アンナの頭を撫でながらそうセルフリッジは彼女に返すと、顔を上に向け、大声でこう言った。

 「ゼン・グッドナイト! 近くに来ているのでしょう? あなたは、何が起こったのか知りたがっているはずだ!」

 少しの間の後、声と共にその場に人影が現れた。

 「感動のシーンのようだったので、邪魔しちゃ悪いと思って隠れていたんだがな」

 ゼン・グッドナイト。ライフル銃を杖のようにして使いながら、そこに彼が現れた。銃口をセルフリッジに向けながら言う。

 「僕に何の用だ? オリバー・セルフリッジ。あのよく分からない魔法で、僕に勝った気でいるのか?」

 それには答えず、セルフリッジはこう怒鳴る。

 「この場に張ってある対魔法障壁を解くんだ、グッドナイト“元”大臣! あなたにならできるのは分かっている。断っておくが、あなたに選択の余地はない!」

 それを聞くと、グッドナイトは笑う。

 「はっ! 大きく出たな。選択の余地がない、と来た。なんで僕が、そんな事をしなくちゃならない? 敵を助けるようなものじゃないか」

 静かにセルフリッジはこう返す。

 「このままアンナさんが死ねば、あなたには殺人罪が適用される。あなたが、アンナさんを大砲で撃ったんだ。それとも、一生、刑務所の中で暮らすつもりか? あなたには、今や何の権限もない。権力で握り潰す事もできませんよ」

 それを聞いて、グッドナイトの顔は引きつる。“なんの権限もない”。それを否定したかったが、何故か彼はそれが真実である事を、直感的に理解してしまっていた。

 「殺人罪? そこの魔女は、法律の上では人として扱われていないはずだろう?」

 「それは、少し前の話です。僕の契約魔法によって、アンナさんには平等に人権が与えられた。この場で、アンナさんを見殺しにすれば、確実にあなたは殺人者になります。僕がそれを許すとでも思っているのですか? もし、アンナさんが死んだら、一生をかけてでもあなたを刑務所の中に入れます」

 “契約魔法……”

 グッドナイトはそう思う。

 「なるほどな。やはりあれは、契約魔法だったのか。しかも、国全体に適用させるほどの超特大規模の。お前が特殊科学技術局で、長年様々な地域を旅していたのは、各地にその為の魔法処置を施す事が目的だったのだな。装置は、科学技術者のチニックにでも作らせたか。エネルギー源は、ベヒモスの魔力だな。隠れて保管しておいた、といったところか」

 セルフリッジは怒鳴り声でそれに返した。

 「その通りです。それだけ聞けば、納得ができたでしょう?! 時間がない。早く、対魔法障壁を解け!」

 焦っているセルフリッジを見ながら、グッドナイトはこう言った。

 「まぁ、そう慌てるなよ、オリバー・セルフリッジ。まだ聞きたい事はある」

 彼は時間稼ぎで、できる限りセルフリッジを追い詰め、自分にとって有利な状況を作り出そうとしていたのだ。

 「以前、お前がそれまでの行動パターンを変えて、闇の森に足を踏み入れたのは、契約魔法の準備が整ったからだな? 魔法を発動させる為のエネルギー源に、闇の森の魔力が使えないかと調べに入ったのだろう?」

 セルフリッジはそれに何も答えない。グッドナイトは続ける。

 「エネルギー源は確保できなかったが、しかし、そこでお前は闇の森の魔女を手に入れ、自分の目的の為に利用し始めた。魔女を世話したのは、その為だったか…」

 一言、それにセルフリッジは返す。

 「違う」

 グッドナイトはにやりと笑う。

 「違わないだろう? お前は、その魔女をいいように利用したんだ。さっき、その魔女を庇ったのは、その魔女が魔法発動の起爆剤だったからだ。そうじゃなければ、見捨てていたんじゃないのか? 結局、その魔女はお前にとってのただの道具なんだろう?

 お前は、この契約魔法の為のエネルギーを手に入れる為に、魔女にベヒモス退治までさせた。お蔭で、魔女は呪われたんだ」

 「違う。僕がアンナさんを助けたのは、単に恩返しがしたかっただけだ! それに、アンナさんじゃなくても、後でチニック君にでも頼めば契約魔法の発動は可能だった」

 「恩返し?」

 「アンナさんは、僕が闇の森に入った時、僕を護る為に、自分の命を犠牲にしようとしたんだ。

 そんな人を見捨てられるはずがないだろう? そんな人が罪深き存在のはずがない! いや、例えそうであったとしても、僕はだからこそ、アンナさんを救う! 早く、対魔法障壁を解け!」

 その時、初めてグッドナイトはセルフリッジに気圧されていた。他人の為に、ここまで激昂できる彼を、グッドナイトは理解できない。

 そして。

 アンナはそんなセルフリッジを見つめながら、仕合せそうに涙を流していた。こんな罪深きわたしの事を……、と思いながら。

 グッドナイトが言う。

 「いや、まだ駄目だ。お前の契約魔法とやらをもっと詳しく教えろ」

 正体を知らなければ、対応策の練りようがない。迫力に圧倒されながらも、グッドナイトはそれだけを言った。内心の動揺を悟られないように注意しながら。だが、悟られたところで関係なかっただろう。もう、セルフリッジは駆け引きなど気にしていない。

 「僕の契約魔法は、人々に平等に権利を与え、選挙によって政治家や官僚を選ぶというものだ。政治家は立候補者の中から、官僚は実績を評価できるようにしつつ、現職の役人達の中から選ぶ。

 ただし、初めの一回だけは、ただちに解散するかどうかを投票により決めるよう、呪文を組んでしまっていた。頭の中で念じるだけで投票は可能で、結果は、あなたも知っている通り、賛成が過半数を上回り、解散に決定した。僕があなたの不正を暴こうと思っていたのはだからです。あの契約魔法を使っても、政府が解散されず、今の権力構造のままなら、契約魔法が権力で潰されてしまうかもしれなかったから。この点は僕の失敗だった。投票などせず、絶対に解散するようにしておけば良かった。これを始めた当時は、これほどまでに権力が偏るとは思っていなかったから、油断していた。

 ですが、これからは違います。もし、悪政を敷くものが政治家や官僚になれば、当然、選挙で落とされる。それにより権力の集中による社会の劣化は防がれる。僕が施した契約魔法は、そういう発想のシステムを、社会に取り入れる為のものだ。選挙により、絶えず社会が自動調節され続ける。早くしろ! 対魔法障壁を解け! もう話は充分だろう?」

 それにグッドナイトは笑う。

 「ハッ! どんなシステムかと思えば! 馬鹿か、お前は?

 愚かな国民どもに権利なんぞ与えてどうすると言うんだ? 奴らが、まともに政治を判断できるはずがないだろう? 一時の感情でコロコロと態度を変えるぞ? いや、その前に政治に関心を持つかどうかすら怪しい。実際、さっきだって、大局的な社会判断ではなく、お前らの感動的な演出で奴らは心を動かされたんだ!

 そんな判断で、社会の正しい道を選択できるか!」

 セルフリッジは動じない。

 「そうかもしれません。だが、だからこそ、僕らは世の中に社会問題を訴えていかなければならないんだ! 社会に目を向けさせ、考えさせるように! それに、あなた達を解散に追い込んだのだって、何も演出の効果ばかりじゃないはずだ! 今の世には、生活苦で、政治に対する不満が溢れている。

 それに、少なくとも、あなたのような権力を望むだけの人のエゴで、社会が滅茶苦茶にされるよりはマシのはずだ!」

 グッドナイトはこう応える。

 「お前は、僕を勘違いしている。僕にとって権力なんぞただのオマケだ。僕にとって権力ゲームは、ただの遊びなんだよ。僕はそんなに安い人間じゃない……」

 その言葉に、セルフリッジはゆっくりと息を吐き出しつつこう返した。

 「そんな話はどうでも良いです。もう、この話は良いでしょう? このままアンナさんが死ねばあなたは殺人罪だ。自分の財産を守る事もできなくなる。不正が暴かれ、財産は没収です。裕福な立場を離れても、まだあなたがその態度を保っていられるかには興味があるが、その為にアンナさんを犠牲にするつもりはない。早くしろ。分からないんですか? あなたも時間がないのですよ? 不正を隠さなくちゃいけないはずだ。権力で抑えられていた警察は今や自由だ。直ぐにでもあなたへの捜査が始まるはずだ」

 それを聞くと、グッドナイトは「フッ」と引きつりながら笑った。

 “僕の財産がなくなる?”

 その意味を理解できない彼ではなかった。権力を失っても富さえあれば、どうとでもなると思っていたが、それさえも失えば、社会的に抹殺されたも同然。

 「実に、実にくだらない……」

 それからそう言うと、彼は手の中にある対魔法障壁用のスイッチを切った。

 “くそう……”

 その後で心の中でそう呟くと、全速力でグッドナイトは森の外に向けて走り始めた。もちろん、自らの財産を保護する為だ。感覚が変った事で対魔法障壁が解けた事を悟ったセルフリッジはそれを放っておいた。それから、急いでアンナの傷を自分の医療魔法で治療しようとする。アンナの血が止まる。しかし、アンナは首を横に振る。

 「駄目です。セルフリッジさん。まだ、体内は破られたままです。何より、わたしの魔術が混乱させられている。大量の魔力がなければ、わたしは治りません」

 それを聞くと、安心させるようにセルフリッジは彼女の頬を軽く撫でた。

 「大丈夫です。ちゃんとその方法も考えてありますから」

 そう言ってから、セルフリッジはアンナに魔力を注ぎ始めた。アンナは目を丸くしてこう言う。

 「無理です。止めてください。セルフリッジさんの魔力じゃ、とても足りません。それに、魔力を注ぎ過ぎれば、セルフリッジさんの身が危なくなる……」

 が、その言葉を受けて、セルフリッジは優しく笑いながらこう説明した。

 「グッドナイトはこの場から強力な魔力を排除しようとしました。しかし、彼の知らないところで、勝手にやって来た強力な魔力の持ち主がいるんです…… その持ち主を、呼び寄せないといけない」

 そう語り終えると、セルフリッジは大声でこう叫んだ。

 「僕はアンナさんが助かるまで、魔力を注ぐことを止めない! 例え、僕の身がどうなろうと!」

 その彼の行動に、またアンナは驚いた。

 「セルフリッジさん、どうしたんですか?」

 アンナの問いに彼はこう答えた。

 「いえ、彼女の耳に届かなければ、意味がないですから」

 「彼女……?」

 それには答えず、セルフリッジはまた大声を上げた。

 「早くしなければ!」

 そのタイミングで、セルフリッジの言葉を打ち消すように声が聞こえた。

 「分かった! 分かったから、そう急かすな!」

 セルフリッジの背後からその声は響いているようだった。

 「こっちだって怪我してるんだよ。このアタシを便利に使いやがって! オリバー・セルフリッジ!」

 赤を基調とした服を身に纏ったやや長身の女性、セピア・ローニー。彼女は棍を杖代わりにして、足を引きずりながらアンナ達の元へと向かっていた。

 「契約魔法があるから、もし、お前に危険が迫ったら、アタシはお前を守らなくちゃならない……。畜生! こんな事なら、見に来なければ良かったぜ」

 セルフリッジはその姿に安心をしたのか、ホッとした表情を浮かべるとこう言った。

 「先ほどは、助けてもらってありがとうございます。大砲で吹き飛ばされても、無事だとは流石ですね」

 「んな事を褒められても嬉しくねぇよ!

 良いか? 闇の森の魔女!これは“貸し”だからな。いや、さっきの事もあるから、これで“貸し二つ”だ! ちきしょう、足が痛ぇよ、ばっきゃろー」

 それにセルフリッジはこう返した。

 「僕の契約魔法で、あなたも目的を果たせたはずです。あなたの境遇はこれからずっと良くなりますよ」

 「分かってる。分かってるよ、うるさいな。それを考慮に入れても、“貸し一つ”だ。絶対にいつか返してもらうからな!」

 苦痛に歪む表情で、セピアは歩き続けていた。それをセルフリッジは不思議に思う。

 「どうして、医療魔法を使わないのですか? あなたなら、それくらい簡単にできるでしょう?」

 憎らしげにセピアはそれに返す。

 「魔力を無駄に使って足らなくなったら、そこにいる女が助からないだろうが」

 それを聞いて、セルフリッジは「ありがとうございます」と、そうお礼を言った。セピアは少し顔を赤くしつつこう返す。

 「うるさいな。そんなもんは良いんだよ。だから、“貸し一つ”だ! 絶対に、返してもらう」

 それからアンナとセルフリッジの傍まで来ると、「ほら、さっさと魔力を奪え」と、そうセピアは言った。以前にアンナに魔力を奪われてからまた魔力を溜め始め、彼女の中に今はかなりの量の魔力が溜まっていた。

 アンナは無言のまま、セピアの魔力を吸収し始める。そして、体内の呪文を元通りにしていき、同時に身体も回復させる。その過程で、順調にアンナは元気を取り戻していった。顔色が良くなっていく。その様子を見ながら、セピアは言う。

 「さっき、罪がどうとか言っていたけどよ……」

 アンナはそれに驚く。

 「いつから聞いていたの?」

 「うるさいな。アタシは耳が良いから、遠くからでも声が聞こえるんだよ。とにかく、罪がどうとか言っていたけどよ。アタシなんて、自ら戦場に出て、千人殺しと呼ばれるくらいに人を殺しまくったんだ。が、罪の意識なんかない。何故なら、本当は誰でも殺人者だって知っているからだよ。人間はな、少し間接的になれば、平気で人を殺せるし無視だってできるんだ。富を奪えば、その影響で人が死ぬのに、何の罪の意識もない。そのクセ、直接殺した奴だけは鬼か悪魔かのように言う。

 そんなもん気にするだけ損だぞ? 勝手に気楽にやった方がいい」

 それを聞くと、アンナは笑った。“婆様と全く同じ事を言う”、と思いながら。

 「案外、お人好しなのね」

 或いは、人を殺し続けなければいけなかった人間には、そういう理屈が必要なのかもしれない。

 アンナの言葉を聞くと、セピアは憎らしげな顔つきで、ただし、やや頬を赤くしながら、それにこう返した。

 「むかつくだけだよ。お前みたいに、ウジウジした人間が」

 “でもわたしは、その罪を抱えながら生きるんです。セルフリッジさんと一緒にいるために……”

 しかしそれを聞いても、アンナは同意しない。心の中で、そう呟いた

 やがて、アンナの傷が完全に塞がった。血も全く流れていない。アンナは立ち上がろうとして、少しよろめく。セルフリッジは驚いてそれを支えた。

 「大丈夫ですか?」

 アンナはそれに答える。

 「大丈夫です。少し、血が足りないくらいで、もう回復しています」

 それを聞くとセルフリッジは、アンナを少しだけ強く抱きしめた。「良かった」と、そう言う。アンナはそれに「ありがとうございます」と、そう返した。しばらくして彼が身体を放すと、アンナは今度はセピアに顔を向けてこう言った。

 「あなたもありがとう。本当は、根こそぎ魔力を奪ってやっても良かったけど、残しておいてあげたわ」

 セピアはそれに「当たり前だ、バカヤロー」と返し、それから少し笑った。こう続ける。

 「もう行けよ。歩けるだろう? アタシはここで身体を回復させてから行く」

 それにアンナはこう返した。

 「せめてものお礼」

 それから、軽くセピアの身体に手をかざす。

 「あなたの魔力を使ったけど、あなたがやるより効率良く身体を回復させたはずよ。もう動けるでしょう?」

 そう言うアンナに、セピアは驚いてこう返した。

 「ちょっと待て。今ので、身体を治したってのか?」

 ダンッとセピアは強く地を踏む。少しも足は痛くなかった。それを確認すると「はぁ」とため息を漏らしてこう続ける。

 「本当に、関わりたくネー」

 呆れた様子で。それから「まぁ、いいか。今更だしな。礼は言わないぞ。じゃあな!」と、そう言うとセピアは走って、森の外へ消えていった。

 セピアが消えると、アンナは「フフ」と笑ってから、セルフリッジへ身体を預けるようにしてもたれかかった。

 「どうしたんですか?」と、少しだけ不思議そうにしながら、セルフリッジは訊いた。アンナはこう応える。

 「セルフリッジさん。さっき言いましたよね? わたしは、もっともっと仕合せになるべきだって」

 「はい」

 それを聞くと、アンナはにっこりと笑った。

 「なら、仕合せにしてください。もっともっと。それができるのは、この世にセルフリッジさんただ一人だけなんですから」

 「もちろん」と、セルフリッジは返す。しかし、それからこう尋ねた。

 「でも、どうすれば良いでしょう?」

 「そうですね」と、アンナは言う。

 「取り敢えず、おんぶしてください。わたしは、それはもう仕合せになります」

 それを聞くと、彼は可笑しそうに笑いながら「分かりました」とそう応えて、アンナを背負った。血が足りていない彼女は、歩くのが辛い。でも、“おんぶ”のお願いの理由はそれだけじゃなく、甘えているのだと簡単に分かった。

 その“甘え”が、彼を安心させる。

 「帰ったら、何かご飯を作りましょうか。お粥と、後は何か血になるようなものを少しくらい……」

 それから、そう語るとセルフリッジはゆっくりと歩き始めた。その、闇の森を抜ける為に。

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