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12.ベヒモスに惹かれる闇の森の魔女

 「少し改良しておいたよ、旦那」

 と、チニックが言う。目の前には、その改良型の魔術人形が置いてあった。

 「ちょっと時間があったからね。と言っても、単に超大容量魔力保存装置をくっつけただけだけどさ。これで、装置をあまり気にせず、魔法を使えるだろう」

 それを聞いて「ありがとうございます」と、そうセルフリッジはお礼を言った。アンナはそれに曖昧に「どうも」と、反応する。

 「緊張しているのですか?」

 その様子を見て、セルフリッジはそう訊いた。アンナは慌ててこう返す。

 「は、はい。やっぱり、ちょっと… 何しろ、相手が相手ですから…」

 「そうですね。無理もありません。でも、遠隔操作で試みるのだから、もし失敗してもアンナさんには危害はないはずですよ」

 それを聞くと、アンナは「はぁ」と、やはり曖昧に反応した。“本当にそうだろうか?”と思いながら。

 「ベヒモスの場所へまでは、ボクの転送装置で送ってやるよ。少しだけ、負担が減るだろう」

 チニックが次にそう言うと、アンナは「ありがとうございます」と、そうお礼を言った。それから、

 “多分、大丈夫だ。初めから、異界に送る為の魔法を、構造だけでも用意しておいて、ベヒモスの場所にまで着いたら、そこへ奴の魔力を流し込めば良いだけなんだから”

 と、そう自分に言い聞かせる。

 “規模が大きいだけで、それほど難しい作業じゃない”

 それから、彼女が魔術人形に意識を移すと、チニックは転送装置を作動させた。その瞬間に、アンナはの意識は、あっという間にベヒモスの元へと吹き飛ばされる。ちょうど、ベヒモスの背後に魔術人形は着いていた。顔は反対だ。アンナは、ベヒモスの目を見なくて済んだ事に安心すると、直ぐにベヒモスの魔力を吸収し、それで異界転送魔法を作動させた。

 ベヒモスは巨大で、牛と人を混ぜたような奇妙な姿をしていた。もっとも、闇で構成されているため、その輪郭は非常に曖昧だったのだが。

 ベヒモスの毒気と呪いの渦は凄まじかったが、魔術人形にはあまり効果がない。しかし、それとは関係のないところで、アンナの意識はおかしくなり始めていた。

 “まずい… ベヒモスに惹かれる”

 そう。彼女の悪い予感が的中したのだ。

 魔術人形から自分の意識が引き抜かれかけているように彼女には思えていた。辛うじて、魔術を使えていたが、徐々に余裕がなくなってきている。

 “はやく… しないと”

 そのうちに、ベヒモスの足元に漆黒の異界への入り口が開き始めた。それを見て、アンナは少し安心する。

 “よし、上手くいっている。このまま続ければ、きっと…”

 しかし、そこでベヒモスに異変があった。ベヒモスの顔の表と裏が、急に逆転したのだ。後頭部だと思っていた場所に、急に顔が浮かび上がってくる。

 “なっ……!”

 それにアンナは驚き固まった。しかし、彼女が本当に驚愕したのは、次の瞬間だった。

 『お前か…… オレと一つになりたがっているのは……』

 そう、ベヒモスが彼女に話しかけてきたのだ。それから、アンナは急速にベヒモスの闇の中に引き込まれていった。人への憎悪。復讐心。そんなものが渦巻く場所へ。


 「様子がおかしい」

 と、チニックが言った。魔術人形のデータが表示される、奇妙な装置を見ながら。

 「何でか、魔術人形が止まっているぞ」

 セルフリッジがそれに驚く。

 「どうしてです?」

 「分からない」

 不安に駆られたセルフリッジは、アンナの身体の元へ行くと「アンナさん。大丈夫ですか? 一回、中止にしましょう。仕切り直しです」と、そう言った。しかし、アンナからは何の反応もなかった。

 「まずいね。意識、完全にもって行かれちゃっているみたいだよ」

 チニックがそう言うと、セルフリッジは悲壮な表情を浮かべた。


 『なんで、わたしがあなたに惹かれるの? わたしは、もう異世界を利用しては、生きていない。あの“闇”は消えたわ』

 闇の中。アンナ・アンリの意識はそう問いかけた。そこは、懐かしい場所、彼女が百年間閉じ込められていた闇の森の中に、とてもよく似ていた。もっとも、魔物は一体もいなかったが。

 『ハハハ』と、アンナの問いかけを聞いて何かが笑う。

 『そんなものがなくたって、お前の心は闇だらけさ。お前は、どれだけ人間から酷い目に遭わされたんだ?

 復讐したいだろう? ぶっ殺したいだろう? 人間に絶望しているのだろう? 奴等が怖くて、怖くて、そして滅ぼしたいんだ』

 そう言われて、アンナは自分の子供の頃を思い出した。どれだけ虐待され続けたか。確かにそう。わたしは、人間を憎んでいる。

 『だから、お前はオレに惹かれたんだよ。オレと一つになりたいと思ったんだ。オレもそれを望んでいる』

 それを聞いて、アンナは“うそ”とそう返した。

 『ベヒモス。あなたに意識なんかないはずよ。そんなものは、人が想像するだけの幻…』

 なら、とその何かはそれに返した。

 『なら、この言葉はお前自身が創り出したお前自身の言葉なんだろうよ。人間が憎い。滅ぼしたい。そして、オレの力があればそれができる……。お前の魔術とオレの魔力があれば………。

 さぁ、人間を滅ぼそうぜ』

 そこでアンナの意識は、また重い何かに引っ張られた。ベヒモスの中心へと、強く強く。完全にアンナは縛られた。人間を滅ぼそう。人間を滅ぼそう。少し暴れてやるだけで、奴らは簡単に死んでいく。その意志が、心を支配していった。しかし、そこで彼女は何か温かいものを感じる。それが何なのか、彼女はよく覚えていた。

 セルフリッジさん…

 そう彼女は心の中で呟いた。

 恐らく、彼がアンナの身体を抱きしめているのだ。しかも、少し強く抱きしめている。アンナはそれに笑う。その瞬間、彼女の意識は闇から少しだけ離れた。

 “ふふ。セルフリッジさん、少しだけ怒っていますね。でも、ごめんなさい。こんな事を言うと、あなたはもっと怒るかもしれないけど、わたし、あなたが怒るのは少しだけ嬉しいんです。

 だって、あなたが怒る時は、いつもわたしの事を心配している時ですから…”

 そしてそれから、彼女は気が付く。

 “そうだ。もし、わたしが人間を滅ぼしたりしたら、あの人まで殺してしまう!

 ……それだけは絶対に嫌だ。絶対に。絶対に。例え、わたしがどんな酷い目に遭っても。

 …何とか、ここから逃れなければ……”

 彼女は考える。

 “でも、どうしよう? わたし、ここに縛れている…”

 その後で、彼女は思い出した。自分が、以前、同じ様に縛られていて、そこから抜け出した事を… あれと、同じ事をやれば。

 “セルフリッジさん。ちゃんと、生き返らせてくださいね。わたし、死にます…”

 闇の森の中で、彼女はそれと同じ事をした。そして、セルフリッジに救われたのだ。


 “冗談じゃありません!”

 そう思いながら、セルフリッジはアンナを抱きしめていた。

 “こんな事であなたを失って堪りますか!”

 チニックが止めるのも聞かず、彼はさっきからずっとアンナを抱きしめていた。強く抱きしめた時が、一番、彼女の反応が強くなるのを知っていたからだ。

 そして「旦那、そんな事をしても…」と、何度目かチニックがそう言おうとしたその時、異変が起こった。

 「心臓が弱く…」

 セルフリッジが愕然とした表情でそう呟いた。アンナの心臓が弱まり始めているのが分かったのだ。しかし、その次の瞬間に、彼の勘が働いた。デジャブ。これと同じ様な事が、以前にも起こったはずだ。チニックが叫ぶ。

 「旦那! 嬢ちゃんは魔力不足だ! この施設にならたくさん魔力が…」

 それにセルフリッジはこう返す。

 「いえ、チニック君!」

 緊迫の表情で、彼はこう言った。

 「僕の魔力を彼女に注ぎます。限界まで…」

 “なんだって?”と、その時、チニックは驚いたが、何故か、ほぼ直感的にその手段が正しいとも感じていた。だから、反対をしなかった。時には理性よりも、直感の方を信じるべき場合もある。それからセルフリッジは、彼女の身体に自分の魔力を注ぎ始めた。


 アンナに意識が再び戻った時、彼女は自分が上空からベヒモスを見下ろしている事に気が付いた。セルフリッジの存在を感じる。彼の魔力だ。それが自分に満ちている。

 “セルフリッジさん… やっぱり、生き返らせてくれたんですね。わたし、嬉しくて空を飛んじゃいました!”

 そして、彼女は心の中でそう呟いた。次に彼女はベヒモスを見下ろすと、こう思う。

 “さて、ベヒモス。この状態なら、わたし、あなたになんか少しも惹かれないわよ。間違っても浮気なんかしないもの!”

 それから彼女は、ベヒモス自身の魔力を使ってベヒモスを異界に送り始めた。もう彼女は何も恐れていない。迷いもない。セルフリッジの温度を、常に感じているからだ。ベヒモスの足元に生じた異界への入り口は、急速に巨大になり、その巨体を呑み込もうとしていた。徐々にその身体が沈んでいく。ベヒモスは、もう何も語りかけて来ない。ただの無機物になってしまったかのようだった。

 『ウオン!』

 何故か、最後にそんな雄叫びを上げ、ベヒモスは完全に異界へと呑みこまれていった。


 魔術人形が研究所に転送されてきて、アンナの意識が戻る。セルフリッジは、彼女をずっと抱きしめていたが、意識が回復したのを見て更に強く抱きしめた。

 「セルフリッジさん… 少し痛いです」と、アンナはそう言う。それを聞いて、彼は慌ててその力を弱めた。

 「すいません。嬉しくて… つい…」

 そう彼が言うと、彼女は仕合せそうに笑う。そして、“至福”と、そう思った。それから彼女は彼に小声でこう言った。

 「セルフリッジさん… 例の頼まれ事もちゃんとこなしました。ベヒモスの魔力を、満タンにして、超大容量魔力保存装置に入れてあります」

 セルフリッジはそれを聞くと、「今はそんな事は…」と、言いかけ、それから「いえ、ありがとうございます」と、そうお礼を言った。

 ……だが、その瞬間だった。アンナは突然に自分の身に何かが起こるのを感じる。

 “あれ…… 目が…”

 そこでチニックがこう言った。

 「この超大容量魔力保存装置は、特別扱いで、ボクの方で管理しておくから安心しておいてくれ。厳重警戒物として。もちろん、お嬢ちゃんとの繋がりも残したまま」

 それにもセルフリッジは、「ありがとうございます」と、お礼を言った。

 アンナはその彼の嬉しそうな表情を感じて思う。自分の異変を気付かれないようにしなくては、と。


 自宅に帰ってから、アンナはセルフリッジにこう話しかけた。

 「これで更に、セルフリッジさんに対する評価が上がりますね。何しろ、あのベヒモスを何とかしたのですもの…」

 それに、少し困ったような顔を浮かべながらセルフリッジは返した。

 「そうですね。少なくとも、表面上はそうなると思います。ただ、恐らくしばらくは静養扱いの自宅謹慎処分になると思いますよ」

 その言葉に、アンナは不思議そうにこう尋ねる。

 「自宅謹慎処分… ですか? どうして?」

 「ベヒモスは官僚や政治家達の良い金の元だったのですよ。ベヒモスを言い訳にして、予算を奪っていたのですね。それで、自分達の懐を潤してもいた。

 だから、ベヒモス対策で、本当にベヒモス問題を解決してもらっては困るのです。解決できるはずがないと思っていたのでしょうが。ベヒモス対策で死んでいった人間達は、欲深な人間達の犠牲になったとも言えますね」

 そう語るセルフリッジは、妙に満足そうだった。アンナはそんな彼にこう尋ねる。不思議そうにしながら。

 「じゃ、これからセルフリッジさんはどうなるのですか?」

 「分かりません。しばらく状況を見守って、それに合わせて行動しましょう。またアンナさんの手を借りる事になるかもしれませんが」

 アンナはそれを聞いて、「分かりました」とそう応えた。

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