無口な彼女の裏アカが、俺のこと好きすぎる件」
---
朝倉陽太朝倉陽太は、少しだけ困っていた。
目の前に座る彼女――南雲凛南雲凛が、今日も一言も喋らないからだ。
放課後の教室。
窓から差し込む夕方の光が、机と机の間に長い影を落としている。
クラスメイトたちはとっくに帰っていて、残っているのは陽太と凛だけ。
「……あのさ」
意を決して声をかけると、凛はゆっくりと顔を上げた。
ぱち、と目が合う。
それだけで、なぜか一瞬、息が詰まる。
相変わらず整った顔立ちに、感情の読めない無表情。
少し長めの前髪の奥で、黒い瞳がジト目でこちらをじっと見ている。
「……なに」
短い返事。声も小さくて、必要最低限。
(いや、付き合ってるんだよな、俺たち)
内心で確認するように思う。
付き合い始めて、もう一か月。
告白したのは陽太のほうで、凛はほんの少し考えてから「……いいよ」とだけ言った。
それだけだった。
好き、とか。嬉しい、とか。
そういう言葉は、一度も聞いていない。
「いや、その……今日、帰り一緒に帰る?」
なんとなく聞いてみる。すると凛は、一瞬だけ視線を逸らしてから、
「……どっちでもいい」
と、いつも通りの温度で答えた。
(どっちでもいい、か……)
断られているわけじゃない。
でも、喜ばれている感じも、まったくしない。
陽太は曖昧に「じゃあ、一緒に帰ろう」と言って、鞄に手を伸ばした。
その間も、凛は何も言わない。
ただ、静かに立ち上がって、少しだけ距離をあけて隣に並ぶ。
――近いのに、遠い。
そんな感覚が、ずっと消えない。
◇
帰り道住宅街の細い道を、二人で並んで歩く。
身長162㎝の陽太と、147㎝センチの凛。
並ぶと自然と目線がずれる。
少し見下ろす形になるはずなのに、なぜか凛のほうが“上”にいる気がするのが不思議だった。
「……」
「……」
会話はない。
靴音と、風の音だけが続く。
(これ、カップルの帰り道で合ってるよな……?)
頭の中でツッコミを入れる。
友達と帰るときのほうが、よっぽど会話している気がする。
でも、嫌なわけじゃない。
むしろ――(……こうやって一緒にいられるだけで、まあいいか)
そう思ってしまう自分がいる。
ふと横を見ると、凛がほんの少しだけこちらを見上げていたら目が合う。
その瞬間、凛はぴたりと視線を逸らした。
「……前見て歩いて」
ぼそっと言う。
「いや、見てたのそっちじゃん」
「……見てない」
「見てたって」
「……見てない」
小さな言い合い。でも、声のトーンはほとんど変わらない。
(いや、これ……)
ほんの少しだけ、口元が緩みそうになる。
(今の、ちょっとだけ会話っぽかったな)
そんな小さなことで、嬉しくなる。
……我ながら、ちょろいと思う。
◇
家の前で別れるときも、特別なことは何もない。
「……じゃあ」
「おう、また明日」
それだけ。
手を振るわけでもなく、名残惜しそうにするわけでもなく、凛はそのまま家の中に入っていく。
扉が閉まる音を聞いてから、陽太は小さく息を吐いた。
(……やっぱ、好かれてる感じはしないよな)
ポケットに手を突っ込んで、空を見上げるとレンジ色に染まった大空が、やけに広く見えた。
◇
その日の夜。
ベッドに寝転がりながら、スマホをいじる。特にやることもなく、SNSをなんとなく眺めていた。
タイムラインを流し見して、いいねを押して、またスクロールして。
――ふと、指が止まる。
「……ん?」
見慣れないアカウント。
アイコンは、シンプルな白い猫のイラスト。フォロワーも少なくて、鍵もかかっていない。
ただ、それだけなら気にも留めなかった。
問題は――投稿の時間だ。
「……これ」
ついさっき見た時間と、妙に近い。
それに――
「……この文体」
短くて、ぶっきらぼうで。
でも、どこか見覚えがある言い回し。
嫌な予感がして、陽太はそのアカウントを開いた。
そして、次の瞬間。
「……は?」
思わず、声が漏れた。画面に並んでいたのは――
『今日も好きすぎて無理』
「……は?」
思わず、もう一度声が漏れた。
短い一文。
でも、その破壊力はやたらと高い。
「……なにこれ」
スクロールする。
『目合っただけで心臓もたないんだけど』
『無理。かっこよすぎる』
『なんであんな普通に喋れるの。こっちは死にそうなのに』
「……いやいやいや」
思考が追いつかない。誰かの惚気アカウント――にしては、妙に既視感がある。
さらに指を動かす。
『今日、Yくんが下校誘ってくれた』
『無理。嬉しすぎてちゃんと歩けなかった』
「……Yくん?」
一瞬、引っかかる。
でも次の投稿で、その疑問は消えた。
『家まで一緒に帰った』
『隣にいるだけで無理。近い』
『なんであんな普通に歩けるの。意味わかんない』
「……」
言葉を失う。
(……これ、俺だろ)
今日の帰り道。
並んで歩いた時間。
少し距離を空けて歩いていた凛の姿が、頭に浮かぶ。
さらにスクロール。
『朝、Yくんと教室一緒に入った』
『終わった。心臓うるさい』
『目合った。無理』
「……」
喉が、乾く。
(完全に一致してる)
今日の出来事と、投稿の内容がぴたりと重なる。
もう“似てる”なんてレベルじゃない。証拠が、揃いすぎている。
震える指で、プロフィール欄を見た。
『人見知り。無口。』
「……いや本人だろこれ」
思わずツッコむ。
固定された投稿を見てみると
『彼氏できた』
その一文のあとに、少しだけ間が空いて――
『無理。好きすぎて無理』
「……」
スマホを持つ手が、止まった。
(……彼氏)
(……Yくんって、俺だよな)
確信に変わり、ゆっくりと息を吐く。
さっきまでの不安が、嘘みたいに消えていく。
(……めちゃくちゃ好かれてるじゃん)
むしろ――
(好きすぎだろ)
口元が、抑えきれずに緩んだ。
◇
その日から、陽太の日常は、少しだけ変わった。いや、正確には――“見え方”が変わった。
翌朝、教室に入ると、凛はいつもの席に座っていた。
姿勢よく、静かに本を読んでいるいつも通りの光景だ。
「おはよ」
声をかける。
すると凛は、ほんの一瞬だけ顔を上げて、
「……おはよ」
と、小さく返した。
それだけ。 それだけ、のはずなのに――
(絶対今、心臓うるさいとか思ってるだろ)
そう思った瞬間。ぶわっと、変な笑いが込み上げてきた。
「……なに」
凛がじっと見てくる。
「いや、なんでもない」
慌てて顔を逸らす。
(やばい、無理)
普通にしてるだけで、勝手に裏の言葉が浮かんでくる。
『無理。好き』
『近い。心臓うるさい』
(……いや、こっちの心臓がうるさいんだけど)
席に座りながら、内心でツッコむ。ちらっと横を見る。
凛はもう本に視線を落としていた。
相変わらず無表情で、感情なんて一ミリも読み取れない。
でも――
(これであの中身はずるいだろ)
ギャップが、えぐい。
◇
休み時間。何気なく凛のほうを見ると、ちょうど目が合った。
ぴたり、と時間が止まる。数秒。
それから、凛はさっと目を逸らした。
「……」
(きた)
確信する。
絶対、今――
『目合った。終わった』
って思ってる。
「……」
ダメだ。もう無理だ。肩が震える。
「……なに」
また、じっと見られる。
「いや、ほんとなんでもない」
「……変」
「それはお前な」
「……?」
首をかしげる凛。
その仕草すら、裏アカの投稿と結びついてしまう。
(これ、一生飽きないやつだろ)
◇
昼休み。珍しく、凛のほうから近づいてきた。
「……これ」
差し出されたのは、小さなチョコ。
コンビニで売ってるやつだ。
「……え、いいの?」
「……余った」
「絶対嘘だろ」
「……」
否定はしない。
ただ、少しだけ視線を逸らす。
(余った、ねえ)
頭の中で、あのアカウントがよぎる。
『渡した。無理。手震えた』
「……ありがと」
受け取る。
指先が、ほんの少しだけ触れた。その瞬間、凛の肩がぴくっと揺れる。
「……っ」
何か言いかけて、やめる。
そしてそのまま、くるっと背を向けて自分の席に戻っていった。
「……」
(絶対今、やばいことなってるだろ)
スマホを取り出したくなる衝動を、なんとか抑える。
(いや、さすがに今更新されるのはまずい)
そんなことを考えている自分が、すでにだいぶおかしい。
でも――
(……かわいいな)
ぽつりと、思った。今まではわからなかった。
でも、知ってしまった今は、あの無表情の裏で、どれだけ感情が揺れているのか。
それが全部、見える気がして――
(これは、ずるい)
小さく笑って、チョコの包みを開けた。
---
その日の放課後。いつも通り――のはずだった。
「……今日」
帰り支度をしていると、不意に凛が口を開いた。
「……用事あるから、先帰る」
「え?」
思わず顔を上げる。
凛は目を合わせないまま、鞄を持って立ち上がった。
「……ごめん」
それだけ言って、そのまま教室を出ていく。
「……」
取り残される。
(……珍しいな)
一緒に帰るのが当たり前、ってわけでもないけど。
こうやって、はっきり断られるのは初めてだった。
しかも――
(なんか、避けられてる?)
そんな感覚が、少しだけ胸に残る。
◇
家に帰ってから。
なんとなくスマホを開く。
あのアカウントへ無意識に、指がそこへ向かう。
最新の投稿は――
『無理』
それだけだった。
「……は?」
短すぎる。
でも、スクロールする。
『バレたかもしれない』
『無理』
『気持ち悪いって思われたらどうしよ』
『距離置いたほうがいいかも』
「……」
胸が、きゅっと締まる。
(……ああ、そっちか)
たぶん、態度に出てたんだろう。ニヤけそうになったり、変に見たり。
それで――(勘違いさせた)
一人で、勝手に不安になって、勝手に、離れようとしてる。
「……はぁ」
ため息がこぼれる。
(めんどくさ……)
でも。その“めんどくささ”が、嫌じゃないと思ってしまう。
むしろ――(……かわいいな)ぽつりと呟いて、立ち上がった。
◇
次の日。教室に入ると、凛はもう席にいた。
でも、いつもより少しだけ距離がある気がする。目も、あまり合わない。
「……おはよ」
声をかける。
「……おはよ」
返事はある。
でも、それだけで会話は続かない。
(……やっぱりな)
一瞬だけ考えて――やめた。回りくどいのは、たぶん無理だ。
だから。
「……ちょっといい?」
昼休み。凛の席の前に立つ。
「……なに」
警戒したような目。でも、その奥にある不安は、もうわかる。
「屋上、行こ」
「……え」
少しだけ戸惑って、それから――
「……わかった」
小さく頷いた。
◇
屋上。誰もいない静かな空間。
風が少しだけ強くて、髪が揺れる。
凛は、少し距離を空けて立っていた。目も、合わせようとしない。
「……あのさ」
先に口を開いたのは、陽太だった。
「……俺さ」
一拍、置く。凛の肩が、わずかに強張る。
「裏アカ、見た」
「……っ」
空気がぴたりととっまていた。
ゆっくりと、顔が上がる。
「……なん、で」
声が震えている。
「……たまたま見つけた」
正直に言うが少しだけ、視線を逸らした。
「……勝手に見たのは、悪かった。ごめん」
風の音だけが流れる。
そのあと。
「……きもい、よね」
小さな声。
消えそうなくらい、弱い声。
「……あんなの」
ぎゅっと、自分の袖を握る。
「……見られたら」
顔は俯いたまま。
でも、その耳が赤くなっているのが見えた。
「……普通、引くよね」
「……」
少しだけ、間を置く。
それから――
「……いや?」
シンプルに返す。
「むしろ」
彼女の方に一歩、近づく。凛がびくっとする。
「めちゃくちゃ可愛いと思ったけど」
「……っ!?」
一気に顔が上がる。
わかりやすすぎるくらいに凛の顔が真っ赤にそまっていた。
「だってさ」
さらに一歩。
距離が縮まる。
「普段あんななのに、裏であれって」
「……やめて」
「ギャップえぐいし」
「……やめてって」
「好きすぎて無理、とか」
「……っ!」
凛が顔を覆う。
完全にキャパオーバーなのだろう。顔以外まで赤くなっている。
「……だからさ」
少しだけ、声を落とす。
「俺にその気持ち直接言ってよ」
ゆっくりと、手が下がり目が合う。
逃げ場のない距離。
「……む、り」
小さく首を振る。
「……言えない」
「なんで」
「……恥ずかしいから」
即答だった。
「……知ってるだろ」
「知ってるけど」
「……じゃあいいじゃん」
「……よくない」
「なんで」
「……だって」
言葉に詰まる。視線が揺れる。
それから――観念したみたいに、小さく息を吐いた。
「……すき」
かすれる声。
「……好き」
もう一度。
今度は、少しだけはっきりと。
「……ずっと、陽太君のことが好きなの」
顔は真っ赤で、目も合わせられていない。
それでもちゃんと、言ってくれた・とてもうれしかった。
「……」
一瞬、言葉が出なかった。それくらい、まっすぐな思い。
「……そっか」
ようやく、それだけ言う。それから、少し笑って――
「俺も凛ちゃんが好きだよ。大好き。」
凛の肩が、ぴくっと揺れる。
「……知ってる」
ぼそっと返ってくる。
「なんだよそれ」
「……なんとなく」
「適当だな」
「……でも」
少しだけ顔を上げて。ほんの少しだけ、目を合わせて――
「……嬉しい」
小さく、そう言った。
◇
その日の夜。
例のアカウントが更新されていた。
『無理』
『直接言った』
『死ぬかと思った』
『でも』
少し登校時間に間があって。
『もっと好きになった』
「……」
スマホを見ながら、思わず笑う。
(……やっぱり)
ベッドに倒れ込みながら、ぽつりと呟いた。
「めんどくさくて、可愛いな」
最後までお読みいただきありがとうございました




