5-2
地上に繋がる光の門の前で、大天使ジブリールはリエルを見送ってくれた。
「地上で暮らす娘は初めてではないからね。慣れているからね。寂しくなんてないからね」
「ジブリール様……」
そう言い張る声とは裏腹に、ジブリールの視線はリエルから離れようとしなかった。
肩に乗った星竜ルキが心配そうに主人の横顔を見つめている。
「子供というのは、親から離れていくものだ。お前が幸せなら、それでいい」
「ジブリール様。私を産んでくださってありがとうございました」
「……! な、泣かせることを言うな」
その姿を見ると、胸の奥に、かすかな痛みのようなものが残った。自分の中にはジブリールや天界への愛着もあるのだ。
ふたりで話し込んでいると、シオンが「産んだ?」と反応してくる。
「ご挨拶が遅れました。お嬢さんを俺にください」
「いやだなあ」
シオンが改まって挨拶し始めるので、リエルは恥ずかしくなってしまった。しかも「いやだ」と返されている。
「まあ、たまに顔を見せなさい。私の側からは行けないが……やはり天界の規定は変えよう。いいか、王子よ。私が地上に行けるようになるまで、結婚式をするな。親として参列したいのだ」
ジブリールは別れ際、天界の改革を決意したようだった。これから天界も変わるのだろうか。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
天界から、地上へ。
聖獣である白猫ケイティにシオンとふたりで乗せてもらい、青空へと飛び出した瞬間、リエルは思わず息を呑んだ。
どこまでも澄み切った空。
陽光を受けて白く輝く雲の上を、風が爽快に駆けていく。
「……空って、綺麗ですね」
リエルの背で、天使の証である白い翼が、淡い光となってほどけていく。
風に靡く髪の金色の煌めきも落ち着き、白い色へと戻っていく。
地上でこれからも生きる、人間の少女の姿へと。
それを見て、シオンは抱きしめる手に力を込めた。
「その姿を見ると安心する。もちろん天使の姿も神々しくて崇めたくなるのだが」
「崇めなくていいです……」
「もう崇めない。だから君も、俺を子供扱いしないでくれ」
後ろから抱きかかえられるリエルは、密着した距離の近さを意識してどきどきした。
「俺は、どちらの君も愛しく……前は神に仕えるような心構えだったが……」
「その心構えはいつも伝わってました」
「今は等身大の君に恋しているし、可愛いと思うし、守りたいと思う。いいか、つまり、俺は子供ではなく、君を守る大人の男だという……」
「……あ、ありがとうございます……?」
すべてを受け入れるその言葉に、胸の奥が静かに熱を帯びる。
だが、甘い沈黙が続くより早く、意図的に作られた咳払いが耳に届いた。ふたりを乗せているケイティだ。
「……こほん。おふたりとも。仲睦まじさは微笑ましいのですけれど、そろそろ、あたくしが居心地悪くなってまいりましたわ」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
ふたり分の声が重なる。
リエルは腑に落ちた気分になった。
ケイティ相手にシオンがよく畏まって従う態度を取っていたが、あれはケイティが聖獣だからだったのだ。
おそらく、リエルがいなくなった日からずっとそばにいるのだろう。頭が上がらないのも納得である。
やがて、雲の切れ間の向こうに、見慣れた駆け落ち城と魔塔が見えてくる。塔の上には、空を見上げる魔法使いたちがいた。みんな、リエルたちに気づくと思い思いに手を振り、笑顔を咲かせる。
「おかえりなさいませ!」
「きゅい~♪」
ロザミアを乗せたフェニックスとサラマンダーが飛んでくる。
(……おかえり、だって)
その歓迎に、リエルの目が少し潤む。そこに、サラマンダーがぱたぱたと近づいてきた。
「……?」
「きゅうー!」
小さなサラマンダーが、くるりと宙を舞い、リエルの肩にぽすんと乗る。
まるで、以前からの定位置であるかのように。
その様子を見て、シオンが微笑ましそうに笑う。
「リエルに懐いてるじゃないか」
「……そうみたいです」
「このサラマンダーは遺跡で俺が保護したのだが、リエルが名前をつけてやったらどうだ? ちなみに、性別はオスだ」
名前は何がいいだろう。
(サラマンダーだから、サラくんとか?)
リエルが考えていると、ケイティが「ふん」と鼻を鳴らす。
「新参者は覚えておきなさい。あたくしがリエルの親友ですからね」
サラマンダーが「きゅっ?」と小さく鳴き、ケイティを見る。
張り合うように、ケイティは「序列というものを覚えてもらわないと困りますわね」と言い放つ。
そんなやり取りを背中越しに感じながら、シオンがくすくすと笑い、リエルの白い髪を片手ですくいとってくちづけを落とした。
「ここは君にとって居心地のよい場所だよ。俺が絶対に保証する」
なんて一途でまっすぐな好意だろう。
帰る場所がある。
迎えてくれる人たちがいる。
そして、隣にいてくれる人がいる。
リエルは、静かに息をつく。
私は、ここにいよう。
そう思える場所が、ちゃんとできた。
リエルは、空の青さに目を細めながら、この日一番の笑顔を咲かせた。
「私、シオン様が好きです。この国も、お城も。これからもよろしくお願いします」
こうしてリエルは、自ら選んだ場所に静かに根を下ろしたのだった。




