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新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~  作者: 朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です!


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3-7

 やがて、ダンスの時間が始まった。


 弦楽器が優雅に鳴り、ゆったりとした円舞曲が流れ始める。周囲の貴族たちはペアでフロアに出て、仲睦まじく踊り始めた。


 シオンは少し緊張気味にそれを見て、リエルを誘った。


「踊ろうか」

「……はい」


 輪の中へ進んで、ゆっくりとステップを踏み、リエルは気づいた。


 首元のクラヴァットの隙間。

 それに、袖と手袋の境目――隠されてはいるが、シオンの肌に黒ずんだ痣がある。代償によるものだろう、と気づいて、リエルの胸が痛んだ。


「……その痣は……痛かったりは、しませんか?」

「ああ……全く問題ない」

「心配です……」


 シオンは、くすっと笑った。


「実は、君に心配してもらいたくて、わざと痣を見せている」

「……嘘ばかり」


 本当に、本当に、嘘が多い人だ。

 リエルが軽く睨むと、彼は悪びれる様子なく肩をすくめた。


「ばれたか」


 けれど、目が合うと――リエルは息を呑んだ。

(なんて目をなさっているの)

 彼の目は、見たことのない必死で悲痛な感情を浮かべていた。

 ステップが乱れたのは、リエルが動揺しただけが原因ではない。彼もまたリードを忘れた様子になって、ステップを誤魔化していた。

 

「……本当は、怖いんだ」


 耳元で囁かれた声は、震えていた。

 完璧な王子としての仮面が剥がれ落ちて、目の前には、ただ生きたいと願う青年が立っていた。

 片方しかない金色の瞳が、縋るように揺れている。


「リエル、君だけだ。俺にこんな無様な顔をさせてくれるのは。……どうか、軽蔑しないでほしい」

 

 ひとりの人間として、弱い部分を見せてくれている。

 心の中の柔らかな部分に触れさせてくれている。

 

(ああ、やっぱり、この人はいつも強がって、無理をしてるんだ)

 

『人間は嘘つきですの』

 ケイティの言葉が思い出される。

 ……本当にそうだ。


 そう思ってから、違和感を覚える。

 

 なんだか、自分が人間側じゃないみたい。

 ふと、そう思ったのだ。

 

 オルディナにいた頃やブルーローゼ伯爵家で感じた「自分の居場所ではない」という感覚の根源みたいなものが、見えた気がした。

 それを自覚した瞬間、胸の奥が冷えていく。

 足元の床が実体を失って、奈落へと崩れ落ちるような感覚に、動揺する。


 ――私は、何者?


「不安そうにしている。俺のせいかな、すまない。あまりこういう場に出ないから、ダンスも……」

「いえ……」

 

 シオンの声が、遠くなったように錯覚する。実際の距離は近いのに。 


「俺はもっと心を強く持たないといけないな。いつもそう思うんだ。もっと君をしっかりとリードしたい」

「……弱いところを、もっと見せてください」

「ふふっ、リエルは、その方が好み? なら、そうしようかな……なんてね」

  

(――……このシオン様の目……)


 なぜか、懐かしい気配がする。

 思い出せそうで、思い出せない何かがある。それを思い出したいような、思い出すのが怖いような気分だ。


 曲が終わり、人々の拍手が広がる。

 賑やかな夜会の時間が経つにつれ、リエルの違和感は大きくなっていった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 夜会が幕を下ろし、会場から離れた帰りの回廊の途中、内庭に面した高窓から差し込む月明かりの下で、ふたりは足を止めた。 

  

 シオンは、別れ際にそっとリエルの頭に手を置いた。


「今日は、ありがとう。俺の隣にいてくれて」


 リエルは彼の顔を見て、気づいた。

 顔色が、明らかに悪い。


「……シオン様?」

 彼の頬に手を当てると、ひんやりとしている。冷たすぎるように感じる。

「ん……」

 シオンは儚く目を伏せ、夜風に攫われそうな弱々しい微笑を見せた。

「……君は温かいな」


 そのまま消えてしまいそう。

 温もりを、記憶に刻みつけるみたい。

 まるで最期が近いような気配がする――リエルは泣きそうになった。怖くて不安で、仕方ない。


「……もう、しないでください」


 自分でも驚くほど、必死な懇願が零れる。


「……?」

「……あんなこと。あんな儀式……やめてください。あれをしなければ、これ以上弱ってしまうことはないでしょう……?」


 シオンは、一瞬、言葉を失ったように目を瞬かせた。

 そのまま、沈黙が落ちる。

 こんなことを言っても、彼は頷かないだろう。その予想は、当たった。


「浄化の力――天界と取引をする異能は、王族全員が持っているわけじゃない。今代では、俺だけだ」


 淡々とした口調。

 だが、その奥に、重い覚悟が滲んでいる。


「このことは、王族の秘密だ。知られれば、民が動揺する」

「……」

「研究は組織的に進めている。俺がいなくなっても、完成はできるはずだ」


 ――いなくなっても。


 その言葉が、耳の奥で反響する。

 彼はずっと、この国の未来から彼が消えているのを前提にして、研究を進めてきたのだ。


「俺が保身に走れば、困るのは民だ」

「……」

「今は冬だ。異常な雲が戻れば、凍死する者も出る」

「……休めない、んですね」


「ああ」


 あまりにも静かな肯定だった。


 その瞬間、リエルの中で灼熱に似た執着が生まれて、胸を焦がす。


(そんなの、絶対に……だめ)


 恋という名前をつけるにはあまりにも重く、激しい情動が、リエルの魂を揺さぶった。

 揺れる魂は、蓋をして秘めていた大切なものをその奥から引き出そうとする。それは、ずっと許されなかった現象だ。

 そうしてはいけないと定められていたことだ。だから、思い出しかけるたびに邪魔されて、拒絶されて、痛みがリエルを苛んだ。


 封印されているのだ。

 本来の自分が。

 誰に?


 思考が巡って、リエルは閃くように真実に思い至った。

 シオンだ。

 自分の記憶喪失の原因は、目の前の彼なのだ。

 

「シオン様――私は、あなたを……」

 気づいてしまった。思い出してしまった。

「死なせません」


 変人で、でも親しみがあって。

 掴みどころがなくて、けれど安心感があって。

 優しくて、頼もしくて。

 尊い献身と尽力を隠して残念という噂に甘んじて。

 自分を理解しない大勢のために死のうとしている彼。

 この可愛げがあって温かな魂は――。


 

「……リエル?」


 心配そうに覗き込むシオンは、少女の変化に気づいて目を見開いた。


 白い髪は、暖かな陽光を紡いだような金色へとその色彩を変えていく。

 背には、柔らかで穢れなき天使の双翼が現れた。

 瞳は、美しい夜明けの空みたいな紫色。

 神聖な超越者の気配を漂わせながら、その唇が天使の声を響かせる。


「シオン様。私は、あなたを救います」

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