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新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~  作者: 朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です!


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2-11

「大丈夫か?」

「あ……」

 

 ゆらりと意識が浮上すると、見慣れた黒ローブの布地が頬に触れていた。

 顔を上げようとした瞬間、シオンの心配そうな瞳と至近距離で視線が絡み合う。

 

(なんて心配そうな顔……)

 

 この王子には、いつも助けられる。

 「好意」という言葉が脳裏をよぎった瞬間、彼の息遣いが近すぎることに気づいて、リエルの心臓が早鐘を打ち始めた。


「やっと見つけたと思ったら倒れそうになるから驚いたぞ」

「立ち眩みがしただけです、驚かせてすみません」

「だいたい、俺は君を働かせるために呼んだわけじゃないんだ。それなのに仕事をさせてしまって……」

 

 シオンは申し訳なさそうに瞳を揺らしている。

 この距離に、慣れてはいけない気がした。


『リエル。あなたが後で傷つかないために説明しますけど、シオン様はあなたが初恋の子と似てるから彼女を重ねて構ってるだけですの』

 

 王子と侍女。初恋の人の存在。浮かれて甘んじて、縮まってはいけない距離がある。

 

 リエルは身を起こして距離を取ろうとした。

 しかし、逃がさないというように引き留められる。

 

「急に動くとまた倒れてしまうよ」

「ちょっと上を見すぎて、ふらついただけです。今はもう平気です」

「医師を呼ぶから、診察してもらおう」

 

 大丈夫……と言葉を返しかけて、ふとシオンの顔色の悪さが目に付いた。目元には(くま)もできている。


「シオン様の方こそ、ご体調が優れないみたいですけど?」

「うっかり睡眠を摂るのを忘れただけだ。今急激に体調が改善してる」

「忘れる……?」

 

 その一言だけで、この人がどれほど無茶をしているか察してしまった。そういえば赤い糸で話したとき、ロザミアも「殿下は寝ててください」と言っていた気がする。


「シオン様。寝てください」

「今日はリエルに魔塔を案内して、明日寝ようかと思ってたんだ」

「なんですかそれ。今寝てください」

 「知ってほしいんだ」

 

 呆れるリエルの手を取り、シオンは曇り空を指した。

 高貴な蜂蜜色の瞳は、まるで遠い綺羅星に憧れる無邪気な少年のようだ。


「リエル」

 名前を呼ぶ声が、いつもより低く響く。

「今、瘴気竜が見えたよ」


 リエルは釣られて夜空の雲を見たが、瘴気竜の姿らしきものは見えない。もし見えたとしたら、それはそれで怖い、と思った。

 

 シオンに視線を移すと、彼が空を指差す横顔は、まるで見えない敵と戦う騎士のように凛々しく見える。

 変人と噂される王子の、知られざる一面を見ている――そんな思いが強く湧いて、リエルは彼から目が離せなくなった。

 

「俺はここで、曇り空を晴らす研究をしてる」

「……空を?」

「ああ。順調だよ。あの空は、いずれ晴れる。雲を散らして、瘴気竜を浄化するんだ」


 ――『浄化』。

 幽霊の魔法使いの講義に出てきた言葉だ。

 リエルはハッとした。

 

 集まり、知恵を寄せ合っていた幽霊の魔法使いたち。

 彼らが生者に託したがっていた、研究成果。

 

 点と点が、静かにつながっていく。

 国を瘴気竜から救うために、彼らは死後も研究していたのだ。

 そして、目の前の『変人』と呼ばれている王子は、彼らの成果を引き継ぎ、これから歴史に残る偉業を成し遂げるのだろう。

 

 シオンはリエルが黙ったのをどう解釈したのか、そよ風のような声で世間話でもするように問いかけてきた。


「侍女の仕事は気に入ったか? ずっと続けるつもりか?」

「新しい生活は気に入っています」

「縁談を望む者も多いが……そういう希望は?」

「ありません。お金を貯めて、自立して生きていこうと思ってるんです」


 後ろから抱きかかえられて座る姿勢が、だんだんと居心地よく思えてくる。

 すっぽりと自分を包む体温は、嫌ではない。

 

「立派だな。君は人助けをよくしているし、他人への警戒心もあるし、慎重に自立して生きようとしているのが本当に尊いよ。ただ、もっと他人に寄りかかってもいいとも思う。他人に期待してみても、応えてくれる人もいるんじゃないかな」

「私、この王城で、結構……侍女の先輩方とかを、頼ってます。助けてくれると期待して寄りかかってみたら、助けてくれます」

「いいことだ」

 

 優しく肯定されて、リエルは頷いた。

 自分は今、良い環境にいる――そう思った。

 

 しばらく沈黙が続いた後、シオンがためらいがちに口を開く。

 

「……実は今度、パーティがあるんだ」

 

 何でもないことのように呟いて、まっすぐにリエルを見つめた。

 

恋人役(パートナー)を頼めないかな?」

 

 ――恋人役(パートナー)

 時が止まったように静かだった。リエルの心臓だけが、やけに大きな音を立てている。

 

「……ご冗談を?」

「俺は本気だ」

 

 王族の恋人というのは、軽い存在ではない。

 目を瞠るリエルに、シオンは詳しい説明を付け足した。

 

「俺はあと一年、研究に専念して完成させ、その後は旅に出る予定なんだ。それなのに今すぐ婚約相手を選べと言われて困っていてね」


 王子だから仕方ないのだが、と呟く声には、独特の諦観と責任感、そして反発心が滲んでいた。

 

「報酬は弾む。君が貯めようとしている一生分の生活費、あるいはそれ以上を約束しよう。だから一年限定でいい。俺に君を独り占めする権利をくれないか」


 「それはどうなんだろう」という思いと、「いいんじゃないか」という思い、両方がリエルの心でせめぎ合う。

 

 シオンは悪い人じゃない。

 救国の研究には価値がある。縁談も大事だと思うが、義務で足を引っ張られるのは惜しい。

 一年限定なら、いいのでは。

 報酬も期待できそうだし――そんな考えが、次々と胸をよぎる。


 断る理由はいくつも浮かぶ。

 それでも、彼が空を見上げる横顔が、脳裏から離れない。

 なんだかんだと理由を探して、自分はこの話を受けたがっている。

 

「……だめだろうか」

  

 希望の糸を掴みかけて縋るような声に、リエルは晴れやかな青空が恋しくなった。

 めったに見ることのない、澄んだ空。

 目の前の彼は、この国から奪われた空の色を取り戻すために、ずっと頑張っているのだ。

 

「リエル。俺の一生に一度の贅沢すぎる願いだ。頼む」 


 シオンが前に移動してきて、膝をついて切実なまなざしを注いでくる。

 熱っぽく潤んだ蜂蜜色の瞳は、吸い込まれそうな魔力を持っていて、リエルは逃げ場を失った。


「一生のお願い、すでに何回かしてません……? まあ、いいですよ」

「ああ……ありがとう。これで思い残すことは減ったよ。本当に……」

「死なないでください」


 呆れたように言った瞬間、シオンの表情が変わった。

 嬉しそうな笑顔を浮かべて、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 

(キス、される……?)

 

 リエルは緊張で全身を強張らせた。

 その頭を右手で包むようにして、シオンはリエルの()()()()()優しく口づけた。


「……!」

 

 唇へのキスではなかったことに安心したような――残念なような。

 

(わ、私ったら! 何を考えて……!)

 

 顔が真っ赤になってしまう。 

 こめかみに残った温度が、なかなか消えない。心臓の音がうるさくて、彼に聞こえていないか不安になるほどだった。


「偽装婚約の説得力を出すため、慣らしておかないとな」


 耳元で囁かれた低く甘い声は、先ほどの少年の面影はなく、紛れもない「男」の響きを含んでいた。

 

(……ほだされて受けちゃったけど、大変なことでは?)


 王子の婚約者というのはこんな風に軽い調子で偽装契約していいのだろうか。

 

「早まったかもしれない、と思っても、もう遅いよ」

「よく私が考えていることがわかりましたね」

「当たってた? 君の心が理解できたみたいで嬉しいな」

  

 真っ直ぐに寄せられる好意は、不思議と悪い気がしない。むしろ……。


「俺は婚約者だから、もう君に祈らない。対等で……それ以上の。俺が……君を守るんだ。君を幸せにする役だ」

 

 情熱的に愛を囁かれると、頬が熱くて困る。とても。

  

「では、そろそろ中に入りましょう。シオン様もお疲れのご様子ですし」

「疲れは今、全部吹き飛んだ……」

「そ、そうですか」

 

 リエルは頬の火照りを冷ますように冷えた指先で自分の頬を包み、話題を変えた。これ以上迫られると、情緒によろしくない。頬の紅潮を、ごまかせない。

 

 この王子様は、どうも(ぬく)い。

 自分にひたすら都合のいい夢でも見ているようで、目が覚めるのが怖くなる。


 ――パシン。

 リエルは両手で自分の頬を叩き、現実を確かめてからシオンの袖を引いて室内へと導いた。

 

    ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 部屋の窓からは、日常を感じる曇り夜空が見えている。 

 雲が晴れたら、青空だけでなく、真っ赤な夕焼けの空も見えるのだろう。そして、それが当たり前になっていく。 

 それは想像すると、なんだかとてもすごいことで、楽しみな未来だ。


「ハルティシオン殿下。素晴らしい研究、応援しています」

「改まって名前を呼ばれると居心地が悪いな。シオンと呼んでほしい……一生のお願いだから」

「またそれ」


 シオンはウインクをして「晴れ空を楽しみにしてほしい」と自分の小指をリエルの小指と絡めた。絡まる指と指を意識して、リエルの胸が甘く疼く。


「俺は他国を旅したことがあるが、空は驚くほど表情豊かで、どれだけ見ても飽きることがなかった。君や国民に、そんな豊かな空模様が当たり前になる未来を贈ってみせるよ」

「……素敵ですね」

 

 無茶で、変わっていて、誤解されやすい。

 それでも彼は、空を晴らそうとしている。目の前にいるこの人は、こういう人なんだ。

 ――ああ、と思った。


(私、この人が……好きだ)

 ――これが恋なんだ。

 

 すとんと胸に自覚が落ちると同時に、世界が一段、色彩の鮮やかさを増したように明るく感じる。


 ――自分は誰かに恋をする心を持っているんだ。

 なんだか、新しい扉を開いたような心地がした。少し不安で、けれどきゅんとときめく感じがして、楽しい予感もする……そんな扉だ。


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