2-5
「古今東西、この世には魔法と奇跡が存在する。魔法は人が扱い、奇跡は人ならざるものが人に恵むのだ。俺は妖精なので、これは奇跡と呼ぼう」
「なんか、理屈っぽい……」
シオンは理屈をこねつつ、指先を棚に向けた。
すると、棚戸の鍵穴のあたりからカチリと鍵が開く音がして、棚が開く。魔法の技に違いない。本人は奇跡と呼んでほしそうだが。
「どうぞ、リエル」
「ありがとうございます、シオン様」
棚を漁ると、古ぼけた手帳が何冊も収納されていた。幽霊の先代料理長が嬉しそうに寄ってくる。
「おお、そこのお嬢ちゃん。いいぞ、その緑の表紙の手帳を見るんじゃ」
「これ……?」
野菜の絵がたくさん描かれた緑の表紙の手帳を手に取り、手帳の最後のページをめくる。そこには確かに『第二王子殿下の好物』というメモ書きがあった。
「シオン様。ここに書いてるメモは正しいですか?」
「ん? 正しいが……」
「あなた様の食事の好みの件で、先代の料理長と新料理長が困ってるんです」
シオンは驚いた様子で周囲を見た。
「先代の料理長の幽霊がいるのか? 彼の料理は美味かった。困らせてすまない、と伝えてほしい」
リエルは先代料理長にシオンの言葉を伝えてから、先輩侍女にお願いをした。
「先輩、ちょっとお力をお借りしたいんですが」
「リエル、その不審者は知り合い? 警備の兵士を呼ぼうか?」
「知り合いなので不審者呼びは控えていただけると……せめて変わり者くらいで。魔塔の魔法使いさんなんです」
一応、王族なのだ。
不審者と呼ばせてはいけない気がする。
まあ、それはそれとして、今は料理長だ。
「先輩、料理長って酔ってるときの癖とかありました?」
「たくさんあったわよ。例えば、酔うと字が左に大きく傾く……とかね」
これなら、糸口になるかもしれない。
リエルは手帳を見せて、「あっちのメモってもしかして酔った時に書いた間違いだったりしませんかね」と吹き込んでみた。
「新人の私が言っても、説得力がないと思うんです」
「あら。そういうことなら先輩に任せなさい!」
先輩侍女たちはやる気満々で立ち上がり、隣の料理人たちのテーブルを囲んだ。
変人魔法使いに気を取られていた料理人たちが目を白黒させる。侍女たちはそんな料理人たちに、手帳について説明した。
「料理長! この手帳を見てください!」
「こっちの文字の方が信ぴょう性が高いと思いませんか?」
手帳の文字を比べて、料理長が「あらぁ!」と身をよじらせた。
「酔って誤解を生むメモを残して……なんてめんどくさい師匠なの! どうして変な場所に手帳を隠してるのよぉ。私物は自分の部屋に置いておきなさいよ!」
「不肖の弟子め! 勝手に勘違いしたお前が悪い! それに、食堂の棚は私物だ!」
幽霊の先代料理長が悪態をつく。
その声は聞こえていないはずだが、料理長は涙ぐんだ。
「師匠はこの食堂を憩いの場だと呼んでいて、暇さえあれば入り浸っていたから……そうね。思い返せば、棚に何か入れていたのを見た記憶があるわ……」
会話は成立していないが、幽霊の先代料理長は弟子の涙を見て息を呑んだ。
「……師匠、どうしてお酒を飲みすぎてしまったの。まだ早いわよ……馬鹿……」
「……すまんな、弟子よ」
先代料理長は弟子の涙を指で拭おうとして、それができないことに気づいて後ずさる。そして、くるりと背を向けた。
「……ふん。わしを思い出して泣く弟子が見れて満足したわい……」
先代料理長が、その姿を薄れさせていく。
胸元でレモンイエローの光をキラリとさせたペンダントを握り、リエルは先代料理長の昇天を見送った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
食堂を出て、人気のない回廊に入ったところで、シオンは足を止めた。
仮面の内側で、静かに息を整える。
「ああ……天使様……」
――今日も、彼女は問題なく働いていた。
あの子は自分の足で立ち、誰かの役に立ち、ここに居場所を築こうとしている。
シオンが守ってきて、これからも存続させようとしている、この場所に、だ。
だからこそ、王子の立場で近づくわけにはいかない。
体調不良で姿を消すことが多い第二王子。残念な王族。それでも高貴さゆえに婚約者を狙う貴族令嬢は多い。
そんな自分が侍女になりたての彼女のそばにいれば、余計な面倒事を呼び寄せて彼女の新生活を邪魔してしまう。
それだけは、避けなければ。
いつか、そばにいられなくなる日が来ても構わない。それを受け入れる覚悟は、できている――はず。
自分に遺された時間でできることは、ただひとつ。
シオンは仮面を深く被り直し、回廊の影へと身を溶かした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――後日。
食堂にて、料理長は侍女たちに嬉しい報告をもたらした。
「……第二王子殿下は完食してくださるようになりました! 面倒だった希少な食材も、もう苦労して仕入れる必要がないわ!」
料理長は両手を自分の頬に当てた。
そして、恥じらうような自慢するような表情で言った。
「ハルティシオン殿下はご機嫌で、『俺のために好物を調べてくれたのが何より嬉しい。さすが天使様……好きだ』と仰ったの。やだぁ、アタシ、天使ですって。殿下の心を射止めてしまったわ……!」
シオンは仮面で顔を隠し、食堂の隅にある目立たぬ席で首を傾げている。
「天使というのはお前のことではないのだが……?」
呟きはリエルの耳に届き、「素性が露見するのでは」と心配させたが、料理長が気づく様子はない。
「侍女の皆さん、本当にありがとう!」
料理長の感謝の言葉に、先輩侍女たちは拍手でお祝いをして、リエルを指した。
「……実は、手帳の件の功労者はこの新人侍女、リエルです!」
食堂に集まった使用人たちの視線が、一斉に集まる。好意的に注目された経験に乏しいリエルは、頬を熱くした。そんな後輩を初々しいと思ったのか、先輩侍女たちは言葉を追加して賞賛してくれる。
「リエルは新人ながら、分をわきまえ、先輩を頼れる前途有望な後輩なんです!」
「この子、恥ずかしがってるわ。可愛いわね……!」
先輩に撫でられたり抱きしめられるので、リエルは恥ずかしくなって食堂の端の席に逃げた。先輩方は無理に追いかけず、「刺激が強すぎたかしら」と笑っている。それを見て、料理長は仕切り直すように大声で感謝を唱えた。
「新人ちゃんも含めて、侍女の皆さん。重ね重ね、ありがとうね! お礼にアタシの得意料理をご馳走するわ……!」
料理長は改めてリエルにお礼を言い、侍女たちに感謝の特別コース料理をふるまってくれた。
使用人用の食堂で食べる料理長の特別創作料理コースは、見た目も華やかで、味もとても美味しい。
「スープも最高……」
「いいな。美味そうだ」
「ん?」
リエルが至福のひと口を味わっていると、隣から聞き覚えのある美声がした。
視線をやると、シオンが隣に座り、スプーンを寄越せと手のひらを差し出している。
「……どうぞ」
一瞬だけ迷ってから差し出したスプーンを、シオンは自分に向けなかった。
受け取られたスプーンは、リエルへと向けられた。




