第4話
人の脚力とは思えない速さで男と距離を詰めるエメリー。
男の背後へ回り込んだ彼女は隠し刀――細剣を振るう。
相手の首を的確に狙った攻撃はしかし、突如男の手の中に生まれた剣によって防がれる。
「おいおい、まぁたハンターか? 最近多いな」
気怠げに呟く男の腕は深く裂けている。
そこから滴る血は彼が握る柄も刃も真っ赤な剣に吸収される。
男の血は頑丈な武器へと変化していた。
これこそが紅漿呪――ヴァンパイアのみが扱える特別な力だ。
己の血液を自在に操るその力は生きた年月や才能などに起因したりとその精度や耐久性には個体差があるが、子供のヴァンパイアですら成人した人間を簡単に殺せる程の武器を作ることができる。
男は血で作った剣でエメリーの剣を簡単に弾く。
エメリーの軽い体は後方へと吹き飛ばされるが、彼女は空中で回転すると激突する壁に両足をつけて着地する。
その頭上、瞬く間に距離を詰めたヴァンパイアがエメリーの頭を砕こうと踵を振り下ろす。
だが自身に降りかかる影を見上げたエメリーは愉悦に浸った笑みを浮かべる。
エメリーの頭へ迫る足。
だがそれが彼女の髪に触れた瞬間。エメリーは壁を蹴り上げると落とされた踵をすんでのところで躱し、男より更に高所へと飛び上がる。
「あ……?」
人間らしからぬ身体能力。それに唖然とした男へ迫るのは恐ろしい冷たさを孕んだ美しい微笑。
そして銀色の閃光だ。
男は動きを止め、エメリーは今度こそ地面に正しく足をつく。
直後。
男の首が地面へと落ちた。
エメリーは瞬きの内に男の首を斬り落としたのだった。
「行くぞ」
絶命した男の死体が灰と化していく。
それから目を逸らしたエメリーは唖然としているイリスへ声を掛けると涼しい顔で隠し階段へと向かう。
「とんでもないお方ですね、アンタ」
「このくらいの事ができなくてヴァンパイアを飼い慣らすなどできるわけもないだろう」
エメリーとイリスは地下の階段を駆け降りる。
やがて辿り着いた地下通路。
そこは広い天井と太い柱を持つ広間となっていた。
中には五十を超える、ヴァンパイアと思しき者達の姿がある。
ヴァンパイアは基本的に単独行動を好む。これだけの集団ができる事例など殆どなく、間違いなく大所帯且つ危険な組織と判断できる光景であった。
またエメリーとイリスが広間へと躍り出たと同時、近くにいたヴァンパイア達の視線が二人へ集まる。
彼らは既に二人を敵として見做したようであった。
「流石に分が悪いか。確実に削れる分だけ戦力を減らし、撤退しよう」
「確実に削れる分?」
イリスは普段と変わらぬのんびりとした口調で反芻しながらエメリーの前に出る。
「じゃあ」
ヴァンパイア達が次々と血で形成した武器を構える。
それを眺めるイリスは自身の親指を噛んで出血をさせる。
武器を作る敵に比べれば随分と少量の血だ。
しかしイリスは身を低くし、構えると不敵な笑みを浮かべた。
「全員殺して構いませんね」
イリスが身に纏うのは目を凝らさなければ見えないほどに細い糸。
それを周囲に漂わせた彼は次の瞬間姿を消す。
そして敵意を向けた約十人の背後や脇を次々とすり抜け、再び最初の立ち位置へと戻る。
その動きは身体能力が優れたエメリーですら残像程度にしか捉える事ができなかった。
イリスは自身の指に繋がる赤い糸を軽く引く。
刹那。蜘蛛の糸のように張り巡らされたそれが敵の首や体、血で作られた武器などを細かに切断した。
一瞬のうちに奪われる敵の命。噴き出される鮮血の雨。
紅漿呪で作られた武器の強度には個体差がある。同様の実力を持つヴァンパイア同士であればその強度の差は人間が扱う武器の強さと同等となるが、もしヴァンパイア同士の実力に大きな差があれば――剣が糸に簡単に負ける事だってありえる。
イリスは周囲のヴァンパイア達へ圧倒的な実力差を示したのだった。
「よかったよかった。これなら後でマスターの血を貰う必要もありませんね」
「……化け物が」
予想外の実力を秘めていたイリスの後ろ姿を見つめながらエメリーは苦々しく笑う。
相変わらずのんびりとした口調で話したイリスが、その場にいるヴァンパイアを一掃するのには五分と掛からなかった。
***
「マスター。この先に一人、まだ残っているみたいですけど」
「殺すな。恐らく人間だ」
血と灰の海を踏み締めながらエメリーとイリスは先へ進む。
広間の最奥。そこにいたのは白衣を着た男だった。
しかし彼は怯えた様子を見せながらも紅漿呪を使う様子はない。
「この街でこれだけのヴァンパイアが身を隠せる訳がない。人間側の協力者がいない限りはな」
「ク……ッ、アークライトか」
「貴様のような罪人が口にして良い名ではない」
エメリーは牽制の為に剣を構え、男へ近づく。
しかし次の瞬間、男は隠し持っていた瓶をイリスへと投げつけた。
「ッ、イリス――」
瓶が割れ、中身が飛び散る。
男は勝ち誇ったように笑った。
「フッハハハハハハッ!! 貴方はバディに命を狙われて尚学ばなかったのですね! こちらはいつだってヴァンパイアの理性を奪う事ができる――殺し合わせる事ができるというのに!」
「やはり、あれはここの連中の仕業か」
エメリーは低く呟く。声は冷たさを残していたが、その顔は憤りから歪んでいた。
彼女の脳裏をよぎるのはイリスの前任――金髪の少年の屈託ない笑顔と、自身が落とした彼の首だった。




