第2話
エメリーはイリスを連れて庭へ出る。
そして周囲に人がいないことを確認すると自身の服の袖を捲る。
晒された肌にはいくつもの傷が残っていた。
イリスが不思議そうにしていると、彼女は杖から隠し刀を出して晒した肌を深く切り裂いた。
「ッ、ちょ」
「飲め」
エメリーは顔色一つ変えずに傷ついた腕をイリスへと押し付ける。
「いやいやいや、結構ですよ」
「何故拒絶する。……その瞳、ヴァンパイアの飢餓反応だろう。そのせいで傷も治っていない」
ヴァンパイアは吸血鬼という異名の通り、生物の血――主に人間の血を主食とする。
人間のフリをして料理を口にすることもできるが、人の食事を真似たものは彼らには何のメリットにもならない。
そしてヴァンパイアは自身の血を失い過ぎるか、血液の摂取を伴わなければ飢餓状態に陥り、ヴァンパイア本来の力を大きく損なう。
イリスの瞳は元は黄色だ。
それが鮮やかな赤色となっているのはまさに、ヴァンパイアの飢餓の症状であった。
「何の為にお前を引き込んだと思っている。人を遥かに超える身体能力と紅漿呪が使えなければ本当にただのドブネズミになるだろう」
「ああ、一応ドブネズミよりは上だと思ってくれてるんですね」
「どうせもう傷を付けてしまったんだ。さっさと飲め。勿体無い」
「あんま出血に対して勿体無いとかいう人間はいないんですよ。全く……」
ぼたぼたと地面を汚す血を見て溜息を吐く。
そしてエメリーの前に跪くと、差し出されていた腕に触れた。
「失礼します」
イリスは傷口に唇を押し当てる。
そしてエメリーの肌――刃で傷付けられた箇所を舌でなぞっていく。
やがてイリスの瞳が赤から黄色へ変わる。
彼が密かに抱えていた、苦痛を伴うような空腹感。それも消えた。
また傷口から血液の味がしなくなったことに気付いてからイリスは腕から顔を離す。
そしてそこで静かに目を見開いた。
先程つけられた傷が塞がっていた。
そこに残ったのは薄い傷跡だけ。
本来の人間の回復速度では信じられない事であった。
一方エメリーは自身の体の変化には無関心で、代わりにイリスの傷を確認していく。
彼が負っていた傷もまた、全て塞がっており――また、エメリーとは違って、傷跡すら残ってはいなかった。
「傷も消えたな」
「そりゃ、ヴァンパイアの通常時の回復速度は人とは比べ物になりませんから。……いやそれよりも」
物言いたげにエメリーの腕を見つめるイリス。
その視線に漸く気付いたエメリーは目を瞬かせると薄く笑みを浮かべた。
「ああ、私も人の中では特別なんだ」
特別で簡単に片付けていいものではないでしょうに、とイリスは小さく呟くのだった。
***
翌日。
イリスはエメリーに連れられて自室から外に停められている馬車まで向かう。
道中、何人かの使用人がイリスへ挨拶に来たが、エメリーはそんな彼らに対し堂々と「例のヴァンパイアだ」などとイリスを紹介した。
「あのぉ、マスター。もしかして俺がヴァンパイアっての、館の人達に伝わってます?」
「当たり前だろう」
馬車へ乗り、目的地へ向かう最中にイリスが問えば、エメリーはさも当然というように肯定した。
だがそれはイリスにとってはあまりにあり得ないことであった。
何故なら人族にとってヴァンパイアは敵同然。危険を孕んだ忌むべき相手なのだ。
「隠しておいて後からばれる方が騒がれる。何、前任のバディだってヴァンパイアだったんだ。今更騒ぐような奴はうちにはいない」
「えぇ……そういうもんなんですかね」
「お前だって嫌悪を向けられたいわけではないだろう」
「ま、有効的に接してくれるというのであれば有り難くはありますよね」
「なら何も問題はない。……まぁ、館の外では多少白い目で見られるだろうがな」
やがて馬車は人通りの多い街へ入り、建ち並ぶ建物の中でも特段大きな建造物の前で馬車は停まる。
「アークライト伯爵家は国の南側管轄であるヴァンパイアハンターの統括を任されている。普段ならば悪さをするヴァンパイアの処理は協会に属するハンターに一任するのだが……今回は厄介でな。私が出ることにした」
「そこに俺も同行しろと」
「ああ。己の存在価値を証明しろ。そうしている間は頭と胴が離れることもないだろう」
「安心してください。俺、結構強いですから」
「ふん。ズタボロだった奴がよく言う」
イリスは先に馬車を降りると振り返り、エメリーへ手を差し伸ばす。
エスコートのつもりで出された手を不思議そうに眺めたエメリーは鼻で笑いながらその手を掴んだ。
そして――掴んだ手に目一杯力を入れる。
「男をエスコートする奴がどこにいる。愚図が」
「いだだだだだ、すみません、つい」
エメリーは手を離すと一人で馬車を降り、イリスの謝罪は無視をして先へ進む。
イリスは痛む手を軽く振りながら、その背を追いかけるのだった。




