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「影」と妖狐

「大丈夫か」


 耳元で、聞き慣れた声がする。同時に、不思議な香りがする微風が流れてきた。お線香というかお寺の匂いというか……白檀、という名を思い出した瞬間、別のなじみ深い声がした。


「間に合ったみたいだね。よかった」


 さらさらと、布が擦れるような音がする。安心した次の瞬間、疑問が湧いた。


「この声、蓮司くん……なの? 壮華くんなの?」

「話はあとだ」


 目を開けると、黒かったはずの視界が真っ白になっていた。まばゆく輝く壁のようなものが、玄関入ってすぐの所に現れている。よく見ると壁はかすかに透けていて、向こう側では黒い何かが激しく蠢いているのが見えた。


「凄まじい瘴気だな……」

「だね。まずは、七葉さんたちの安全を第一に」


 声と共に、ふたりの人影が私の前に進み出た。……いや、人なんだろうか?


「な、七葉姉! この人たちなに!?」


 悲鳴じみた梢の声が響く。

 私にもわからない。大筋で人の姿なのは間違いない。けれど頭の上には、柴犬に似た三角の耳がぴょこんと突き出ている。いでたちは神社の宮司さんっぽい和装で、ひとりが銀髪に黒い着物、もうひとりが黒髪に白い着物だ。お尻のあたりにはふさふさした尻尾も揺れていて……触ると心地よさそうだ。


「あ……あの。すみませんが、どちら様でしょうか……?」


 梢が問いかける。


「話は後だ。まずは『影』を封じる」


 銀髪に黒い着物の誰かは、答えつつ腰に差した短刀を抜いた。声は、蓮司くんと同じだ。

 朱塗りの鞘から現れた刀身が、真っ白に輝く。温度を感じない純白は、LEDライトの光にも似ているかもしれない。けれどこの煌めきは、重い黒にまみれた空間の中、とても心を落ち着けてくれる。


「ねえ、なんなの!? パパとママは!? あなたたち、誰!?」


 梢の問いは無視された。

 短刀の切っ先が、空中で何度も丸を描く。軌跡が白い筋となって、イルミネーションのような光の多重円になった。黒着物の彼は、さらに細かく短刀の切っ先を動かし、円の中に複雑な光の文様を描き込んでいく。


「大仙狐の名において命ず。穢れし者よ、動くなかれ。彼岸の内に留まるべし――」


 蓮司くんの声が響く。

 文様の向こう側で、光の壁は何度も揺れていた。ひびのような黒い筋が、うっすら見え始める。


「兄さん、そろそろ保たない」


 黒髪に白い着物の誰かが、壮華くんの声で言う。

 同時に、光の多重円が燃え上がった。……いや、熱くはなかったから、本物の火ではないはずだ。けれど、吹き上がる光量はあまりに強い。思わず目を閉じる。

 誰かの手が背中に触れた。蓮司くんの手だな、と、なぜかわかった。この変な着物の人たち、絶対に見覚えはないはずなんだけど、声も気配もなぜか馴染みがある。というより、間違いなく、さっきまで会ってた気がする。


「目を開けろ。もう大丈夫だ」


 言われて、ゆっくり瞼を開くと……目の前に蓮司くんがいた。着物姿じゃない、獣の耳も尻尾も生えていない、喫茶アルカナムのエプロンを着けたままの空木蓮司くんだった。

 私の視線が服に向いていることに気付いたのか、蓮司くんは少しだけ恥ずかしそうに言った。


「急だったからな。置いてくる余裕がなかった」

「……エプロン?」

「……ああ」


 それ以上何も訊けなくて、正確には何から訊けばいいのかわからなくて、私は無言でうつむいた。

 静まり返ったマンション前の通路で、私たち四人は向かい合っていた。私と梢、アルカナムの店員姿のままの蓮司くん壮華くん。幸いにも、他に人が出てくる気配はないけど、これからどうしていいのかさっぱりわからない。


「えっと、あの。皆さんどなたですか? いま……何が起こったんですか?」


 梢の声に、我に返る。


「僕は空木壮華です。こっちは兄の蓮司……喫茶『アルカナム』の店員をやってます」


 アルカナムの名を聞いて、梢は少しだけ眉根を寄せた。


「あの気持ちわる……独特な雰囲気のお店ですね。そこの店員さんが、どうしてここにいるんですか?」

「そうですね。いろいろ、説明しなければならないことはあるのですが――」


 壮華くんは、ドアが開いたままの玄関をちらりと見た。内側には、見たことのない文字が書かれたお札が一杯に貼られている。


「――まずは完全に『鍵』をかけてからです」


 言い終わると同時に、壮華くんと蓮司くんは淡い光に包まれた。光が退くと、二人の姿はさっき見た着物姿に変わっていて、頭の上には獣の耳がしっかりと乗っている。


「封じるぞ」


 蓮司くんが玄関のドアを閉め、私の方を向いた。


「施錠してくれ、七葉。この扉が開かれることのないように」


 言われるままに鞄から鍵を取り出して、思い出した。玄関の奥で、黒いものに溶かされていった父さんと母さん。

 封じるって、あの黒いのを閉じ込めるのだろうか。だとすると……父さんも母さんも、ここから出てこられなくなるんだろうか。


「待って……パパとママが、中にいるんです」


 梢が、泣きそうな声で言っている。


「さっき『取り込まれた』二人のことか?」

「取り込まれたかどうかは、わかりませんけど……私と姉の両親です。閉め切るって……二人はどうなるんですか? 死んじゃうってことですか!?」


 獣耳が生えた蓮司くんに、梢が詰め寄る。二人の問答を、私は奇妙に冷ややかに眺めていた。

 父さんと母さん。いつも、やることなすこと否定してきた人たち。「おまえには何もできない」と言いながら、私の部屋を踏み荒らしていく人たち。私の大事なものをいつも勝手に捨てる人たち。心配でないと言ったら嘘になるけど、いなくなったらいなくなったで、簡単に諦めてしまえそうな気もする。自分でも、自分の薄情さにびっくりするけれど。

 取り乱している梢は、子供として、人として、すごくまっとうだと思う。まっとうに可愛がってくれた人たちを、まっとうに心配している。私、まっとうじゃないんだな……と、自分で自分に少し呆れる。


「あの方々が無事かどうかはわからない。だが、ここでできることはない。現世(うつしよ)から存在が消えてしまった以上、今打てる手はない」

「意味が解りません! パパもママも――」

「……蓮司くん」


 意を決して、私は玄関の扉に向き直った。

 人としてまっとうであろうとなかろうと、死んでしまえばおしまいだ。梢だって、両親より自分のことを心配すべきだ。だったら、しなきゃいけないことはひとつだ。

 財布から部屋の鍵を取り出し、鍵穴に挿す。


「鍵、かけるね」

「七葉姉!」


 涙声が聞こえる。でも、振り向かない。


「できること、もうないんでしょ。だったら、自分の身を守らなきゃ」


 鍵を回すと、軽い手応えと共に、かちり、と音がした。


「七葉さん……ありがとう」


 白い着物の壮華くんが、前に進み出た。懐から取り出した大きなお札には、墨色も鮮やかな崩し字がびっしり書き込まれている。

 黒い着物の蓮司くんが、短刀の切っ先で空中に文字を書く。光る筆跡と呼応して、お札がまばゆく輝き始めた。


「大仙狐の名において命ず。闇なるものよ、己が領分を弁えるべし」

「我らここに、幽世の境界を定む。卑しき者ども、踏み越えるなかれ」


 二人の声が同時に終わると、お札と筆跡が激しく輝く。けれど光はまばたき一つのうちに消え、あとには崩し字の消えた白紙と、なにもない虚空だけが残った。


「……さて」


 蓮司くんと壮華くんが淡い光に包まれて、店員のエプロン姿に戻る。呆然としている梢の肩を、壮華くんの白い手が、やさしくぽんぽんと叩いた。


「多分二人とも、すごく混乱してると思う。だから、これから説明するよ……ここで何があったのか、いま現世で何が起きているのか。僕たちも、すっかり状況がわかっているわけじゃないんだけど、分かることは話すよ……でも」


 壮華くんは辺りを見回した。幸い、他の部屋から人が出てくる様子はない。けど、ずっとここに四人で留まっていたら、通りかかった住人さんは怪しむだろう。


「ここじゃちょっと、色々不都合あるから……いったん、お店に来てくれないかな」

「聞かれちゃ、まずい話なの……かな」


 壮華くんが大きく頷く。蓮司くんも、少し遅れて首を縦に振った。


「まずはホットミルクでも飲んで、落ち着くといい。話はそれからだ」


 梢は、あからさまに戸惑っていた。けれど、断ることもできないようだった。

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