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労働者の権利

 手を繋いだまま、私と蓮司くんは無言だった。心地良い沈黙を壊せないまま、ずっとふたりで固まっていると、不意に座敷牢の入口が開いた。

 狐の耳と尻尾をつけた小太りのおじさんが、手にお盆を持って入ってきた。私はこの人――いや、狐さんに見覚えがあった。


「ご飯ですよ、坊ちゃん」


 おじさんが、お盆を隅の机に置く。上に乗ったご飯とお味噌汁からは、うっすら湯気があがっていた。

 私は、思いきって声をかけてみた。


「……あの。アルカナムに、来ておられましたよね?」


 この狐さん、私があそこで仕事を始めた時に、最初に来てくれたお客さんだ。この屋敷には、何人も……あるいは何匹も、アルカナムのお客さんがいるようだ。さっき私たちを捕まえた狐さんたちの中にも、いくつか見覚えのある顔があった。


「おや、そういう君は人間の給仕さんだね。内通者は人間とも通じていた、と聞いたけど――」

「やってません」


 私は、おじさんの言葉を遮った。


「私たち、番紅花様を裏切るようなことはしてません。何がどうなってるのか、私にも蓮司くんにも、ちっともわからないんです」


 蓮司くんが、横で顔を上げた。


「……話せるなら教えてほしい。母上からはいったい、どんな話が伝わっている」


 おじさんはしばらく腕組みして考えた後、口を開いた。


「いいでしょう。既に広まっている話ですからな、秘密にはあたりますまい……番紅花様のお考えによれば、あの『影』どもは、我ら妖怪の誰かが作り出したもの。ひとりでに生まれ出でたものではございません」


 少し、驚く。

 あの「影」は、電子機器から勝手に出てくるのだとばかり思っていた。実際、私の目の前で何度も湧いてきている。あれが誰かのせいだなんて、考えにくい。

 けど、蓮司くんは何か心当たりがある様子だ。おじさんは、さらに続けた。


「道具が付喪神の魂を持つまでには、本来九十九年の月日を要する。あの者たちの年月は明らかに足りておりません。ひとりでに力を得ることはできないはずなのです」

「……壮華くんも、似たことを言ってました」


 そう、確かに言っていた。影が最初に現れたとき、何かの力が外から加わったはずだ、と。


「それゆえ、番紅花様は考えました。我ら妖怪のうちの、何者かが『影』を呼び起こしたのではないかと。そして、その内通者が誰なのかを、ここしばらく探らせておったのです。壮華様に命じて」

「なぜだ」


 蓮司くんがうめく。


「なぜ壮華だけに……母上は俺を、信じておられなかったのか」

「壮華様が、ご自身で申し出られたとのことです。いつぞや、買い物の帰り道で『影』に襲われた後に……自分には『影』を倒す力がない、だからせめて間諜として役に立ちたいと」


 カリカリ焼きの材料を買いに行った時のことだ。あの後で、壮華くんはこっそりそんなことをしていたのか。あの屈託ない笑顔の下に、壮華くんはいったいどれだけの裏を隠していたんだろう。


「蓮司坊ちゃん。話もよいですが、早く召し上がらないと朝餉が冷めてしまいますぞ」


 おじさんが、隅に置いた食事をちらりと見遣る。でも、ちっとも食欲がわかない。


「すまないが、食べる気になれない」

「体力をつけておかねば、持ちませんぞ」

「戒めの部屋でじっとしているのに、体力は要らないだろう」


 蓮司くんの言葉に、おじさんは目尻を下げて笑った。


「はたしてそうですかな。戒めの部屋は、忠実なる狐たちの目で厳重に見張られておりますが……いかに妖狐といえど、不眠不休ではおられませぬ。時には疲れ、時には眠くなり……うたた寝をする不届き者なども、おるやもしれませんな」

「何が言いたい」


 蓮司くんが、切れ長の目で鋭くにらむ。その目を、おじさんは正面から受け止めた。


「……蓮司坊ちゃん。あなた様は本当に、『影』を呼んでいないのですかな」


 おじさんの目の力が、ものすごい。隙を見せたら食い殺されそうなくらい、おそろしい。


「天地神明に誓って、やっていない」


 見つめ合う蓮司くんの目も、肉食獣そのものだった。触れるどころか、近寄ることさえ憚られる。


「身の潔白を示す覚悟は、おありですかな」

「ああ。いかなる手段を用いてでも、俺は壮華の真意を質し……この身に罪がないことを、証立てる」


 ふっ、とおじさんは笑った。そして、急に私の方を向いた。


「人間のお嬢さん。君は、この一件に関わってはいけない。これは妖狐の一族にまつわる、とても繊細な問題だ。外の者が立ち入っていい話ではないよ」


 急に声をかけられて驚いた。けど落ち着いて内容を呑み込むと、少しずつ腹が立ってきた。

 おじさんはなおも、私に関わりをやめるよう説得してくる。でも、それって勝手すぎないだろうか。私だって関わりたくて関わったわけじゃない。妖怪さんたちの諍いを飛び火させておいて、大火事になったタイミングで手を引けとか、虫が良すぎないだろうか。


「……それで?」


 ひとしきりの話が終わった後、私はせいいっぱいの低い声を作った。


「ひとを勝手に巻き込んでおいて、座敷牢にまで閉じ込めておいて、言いたいことがそれですか」


 全力を込めた目でにらみつける。でも、おじさんはびくともしない。

 頭の奥の方が、かっと燃えて……口から勝手に、言葉があふれ出した。


「せめて、謝ってもらわないと気が済まないですよ。私だってアルカナムの従業員です。職場の不祥事、上だけで勝手にもみ消して許されると思ってるんですか?」


 自分、ここまでものすごい剣幕でまくし立てられるんだ……と、脳のどこかで感心するくらい、強い言葉がどんどん流れ出てくる。前の職場を辞める時にも、このくらい言ってやれれば良かったのに。


「妖怪はどうか知りませんけどね、人間の世界じゃ、企業のコンプライアンスは最近とっても重要なんですよ。コンプライアンスってわかります? 法令順守って意味ですよ。企業は法律や道徳を守らないといけないんです。従業員を問答無用で座敷牢に閉じ込めるなんて、しかもそれをなかったことにするなんて、もってのほかです!」


 おじさんは何か言いたそうにしている。たぶん、妖怪に人間みたいな法律はないよ、とかそういう話だろう。でも聞く耳持つ気はない。アルカナムは妖怪が集うお店だけど、人間社会の古橋市に立地する企業でもある。だから当然、人間の流儀も適用されなきゃならない。


「それに私、お給料もまだもらってないです。人間だろうが妖怪だろうが、従業員に対する賃金の不払いは認められませんよ。遅れるなら遅れるで、遅配の理由も含めて、従業員は勤務先の状況を正しく知らされるべきです! だから――」


 私は、呆気に取られている蓮司くんの手を取った。


「喫茶アルカナム従業員藤森七葉は、この不当な譴責処分および解雇通告に対し厳重に抗議します。これは、労働者の正当な権利です!」


 言い終えた私を、呆気にとられた表情で蓮司くんが見ている。


「七葉。……本気か」

「本気も本気。ここまで来て、私だけ蚊帳の外とか考えられない」


 そうだよ。私、立派に関係者だよ。ずっとアルカナムで、蓮司くん壮華くんに愚痴聞いてもらって、慰めてもらって。父さんと母さんが取り込まれた後は、住むところも用意してもらって。一緒に働いて。一緒に作戦考えたりもして。

 私がいたって、何の役にも立たないのかもしれない。けど、蓮司くんと壮華くんがどうしてこんなことになっちゃったのか、知らないままじゃ気分が悪すぎる。……そして、もしできれば、仲直りの手伝いもしたい。できれば、だけど。


「そうですか……なるほど」


 目の前で、おじさんが何度も頷いている。


「お嬢さんはあの店で、よく働いてくれておりましたな。あなたが運んでくれた純米大吟醸『玉藻』、おいしかったですぞ」

「いまさらそんなこと言っても、ごまかされませんよ」


 全力を目に籠めてにらみつけると、おじさんは小太りのお腹を揺らして笑った。


「いやはや、気の強いお嬢さんだ。店での腰の低さとは大違いですな。あなたが皆の飲物や、できたての油揚げ料理を忙しそうに運ぶ姿、いつも見ておりましたぞ。蓮司坊ちゃん、壮華坊ちゃんとも、和やかに仕事をしておられましたな」


 少し、話の風向きが変わった気がする。


「お嬢さん。ひとつ、忠告しておきたいのですがな……妖怪の世に『労災』なる制度はございませんぞ」

「人の世のこと、よくご存知ですね」

「普段は我らも、人に紛れることが多々ありますからな。ともあれお嬢さん、あなたが関わろうとしている仕事には、危険手当も労災もありませぬ。覚悟はおありですかな」


 拒もうとしている雰囲気じゃ、ないようだ。決意のほどを確かめられてる。

 だったら、示すまで。


「問題ありません。なんなら、誓約書を書いてもかまいませんよ」


 言えばおじさんは、またも愉快げに笑った。


「お嬢さん、実に良い目をしておりますなあ。そして、これは独り言ですがな……戒めの部屋の見張りは、日に何度か交替します。私は一度離れますが、今夜二十一時頃から再び任につきます。ただし――」


 おじさんの目が、楽しげに細められた。


「その頃の私は、どうやらひどく疲れているようでしてなあ。たびたび居眠りをしてしまうようです。なんとも不用心な話です」


 大笑いしながら、おじさんは部屋の隅を示した。


「おっと、妙な独り言を聞かせてしまいましたな……さてお二方、早くしないと朝餉が冷めてしまいます。食べねば、夜まで持ちませんぞ」


 ご飯と味噌汁からあがる湯気は、ずいぶん少なくなっている。蓮司くんが布団から立ちあがり、私も続いた。

 隅の机に置かれていたのは、白いご飯とわかめの味噌汁、それと数切れのたくあんだった。ふっくらした白米を口に運べば、眠れなくて空いたお腹のせいか、かすかに甘く感じられる。

 黙々と食べる私たちを尻目に、おじさんは部屋の見張りに戻っていった。




 時間を知る術のない座敷牢で、一日は異様に長かった。

 けれど、ようやく。


「おお、二十一時ですなあ。……夜ですなあ。眠いですなあ 」


 いやによく聞こえる独り言の後、これ見よがしの大あくびをして、見張りのおじさんは目を閉じた。座敷牢の扉を押してみると、鍵は、掛かっていなかった。

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