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座敷牢の中で

 何度目かに目を開けると、窓は少し明るくなっていた。眠れないでいた夜は、ようやく明けたらしい。

 私と蓮司くんは、お屋敷のどこかの部屋に閉じ込められていた。三方を土壁で囲まれた、狭くて古びた部屋だった。壁の上方に明り取りの窓がひとつあるけれど、覗ける高さじゃなくて、外の様子は分からない。土壁でないところの壁は木の格子になっていて、私たちの様子は見張り番から丸見えだった。

 ほんと、いかにも座敷牢って感じだ。いまの令和の世の中に、座敷牢なんてものを見る機会があるなんて予想してなかったし、自分が入れられるのはもっと想像してなかった。とはいえそれを言うなら、あの「影」が現れてからのあれこれは、いままでの二十三年の人生では到底想像できなかったことばかりなのだけれど。


「起きたのか」


 蓮司くんの声は、表向き、普段の淡々とした調子と変わりない。けど、少し疲れの色が滲んでいる。


「起きた、というより寝てないよ……寝ようとはしたんだけどね」

「あんたも、そうか」


 隣で寝ているはずの蓮司くんの顔を、見に行くことができない。寝返りを打てば目の前なんだけど、なんだか、見ちゃいけないような気がした。

 なにか声をかけたいけど、なにを言っていいのか全然わからない。でも、隣で落ち込んでる誰かを、黙って放っておくのが「励まし」にならないことくらいはわかる。

 頭の中のぐるぐるを処理しきれなくなって、薄い布団を頭に被る。すると、蓮司くんの声がした。


「寒いか」


 布団でくぐもって聞こえた声が、ちょっと可笑しい――と感じた瞬間、なぜか笑いが吹き出してきた。

 堰を切ったなにかが、止まらなくなった。変な声の面白さなんて一瞬で消えたのに、気分は最悪のままなのに、喉と口だけが勝手に笑い続ける。笑いキノコを食べたときって、こんな状態になるんだろうか。

 体感二分くらい笑い続けて、顎が疲れてようやく止まった。ひどく情けない気分のまま布団から顔を出すと、蓮司くんが心配そうに覗き込んできていた。


「大丈夫か」

「ちっとも大丈夫じゃないよ。人間、あまりにもどうしようもない状況だと、逆に笑えてくるみたい」

「……前の仕事場でもそうだったのか?」


 蓮司くんに言われて、ちょっと驚く。確かに私、アルカナムのお客だった頃は、職場のどうしようもなさに延々文句を言ってた。けれど。


「職場ではやってないよ。仕事中にあんな笑い方したら怒られるし、なにより――」


 職場の記憶を手繰ると、今の絶望が余計に際立つ。あの頃はまだ、救いがあった。


「――お仕事は、私じゃなくてもなんとかできたから。私がダメでも、最悪、先輩や上司がいたし」


 今は、私たちを救い出してくれる誰かなんていない。ヘルプを求めても誰にも届かない。ただ閉じ込められたまま、この後起きることを待つしかできない。


「でもどっちにしても、結局私は何もできないんだけどね。むしろ足を引っ張ってる……今回、罠にはまったのだって、私が余計なものを持ってきたからだし」


 言えば、蓮司くんは首を傾げた。


「俺たちを陥れたのは……壮華だろう。七葉、あんたのせいじゃ――」

「私のスマホさえなければ、こんなことにはなってないと思う」


 今から考えれば、「アプリ上に九月前半分のピンを表示させてほしい」という頼み事が、そもそも罠だったんだと思う。目的はおそらく、番紅花さんや他の人たちを呼んでくるための時間稼ぎ。時間がかかる作業なら、なんでもよかったんだろう。


「それがなかったとしても、手段が変わっていただけだろう。七葉、あんたのせいじゃない。むしろ――」


 蓮司くんは、悔しげに目を伏せた。


「――俺のせいだ。あいつが何を考えているのか、傍にいたのにわからなかった」


 竹の枕におでこを押し付けながら、蓮司くんは吐き出した。


「あいつの心は……晴れていた。いつでもな。雲一つない青い空のように、暖かくて明るかった」


 それは私も感じていた。壮華くんはいつもにこにこしていて、目を細めて小動物みたいに笑う顔に、曇りの気配はかけらもなかった。いつだって底抜けに明るくて、私たちを励ましたり慰めたりしてくれて……けど。


「だが、どれだけ明るい青空も、日が落ちれば闇になる。今になってみれば……壮華は、明るさの裏になにかを隠していた、気がする」


 蓮司くんは拳を作り、薄い布団を叩いた。


「たったひとりの弟と思って、かわいがってきた……つもりだ」


 蓮司くんの声に、少しずつ震えが混じってくる。


「助けられることの方が、多かったかもしれない、が、な……」


 声が、どんどん弱々しくなる。そろそろ、聞き取れるか怪しい。


「壮華……なぜだ。どうしてだ……」


 涙混じりの声を聞いていると、私まで泣きそうになる。あの明るくてかわいくて、気配り上手な壮華くんが、どうしてこんなことをしたのか。理由はわからないけど、「壮華くんのせいで」蓮司くんが泣いている、そのこと自体が、たまらなく悲しかった。

 沈む気分の中、暗い水底からあぶくが湧いてくるように、アルカナムでの日々が思い出されてくる。でも記憶をいくら手繰っても、壮華くんの暗い顔や意地悪な表情はひとつとして見つからない。


(いらっしゃいませ、空いてるお席へどうぞ!)


 アルカナムでの記憶は、どれもこれも、壮華くんの明るい声かけから始まっている。限定のケーキセットを勧めてくれたり、タロット占いをしてくれたり、蓮司くんとの私との間でおどけてみせてくれたり。番紅花さんに意地悪な態度を取られた時だって、全然変わらず明るく振舞っていた。

 ああ、でも、今ならわかる。

 その「全然変わらない」ところが、きっとおかしかったんだ。人間は嬉しければ喜ぶし、悲しければ嘆く。それはきっと妖怪でも同じだ。いつも嬉しいことばかり、なんて人はいない。いつも悲しいことばかり、という人はいそうだけど、それは周りの状況がひどいか鬱病かのどっちかだ。いずれにしろ、いつも変わらず片方ばかりに振れているとしたら、それはどこかがちょっとおかしいんだ。

 壮華くんのあの明るさは、本当の心を隠す仮面だったのだろう――そう推測するのが、自然なのかもしれない。でも、そう考えるのはすごく悲しい。壮華くんの明るさを信じられないなら、私たちはいったい何を信じればいいんだろう。

 心が沈み込む間にも、蓮司くんはぽたぽたと涙をこぼしている。きっと、私と同じようなことを考えているんだと思う。妖狐の兄弟として、長い年月を一緒に生きてきた蓮司くんにとっては、衝撃ももっと大きいんだろう。どう慰めていいのか、まったくわからない。

 蓮司くんの背中に手を置いて、ゆっくりとさする。すると蓮司くんは私の手を取って、そっと除けた。拒まれているようで、すごく悲しい。


「ごめん。迷惑だったね」


 言ってみれば、蓮司くんはゆっくりと首を横に振った。


「いや、そんなことはない。ただ、できれば、放っておいてほしい」

「今は、誰も信じられないから……ってこと?」


 蓮司くんが顔を上げた。そうして、まじまじと私を見た。


「なぜわかった」

「なんとなく、そんな気がしたから。っていうか、私もそうだから」


 蓮司くんは声を潜めて、くっくっと笑った。


「そうか。そうだな。あんたも、壮華とは仲が良かったからな」

「蓮司くんほどじゃないけどね。蓮司くんは、兄弟だから……私よりも、ずっとショックだと思うし」


 蓮司くんは相変わらず低く笑いながら、何度も頷いた。


「あんたに見透かされるとは、思ってなかった」

「私が鈍感って言いたいのかな?」

「そういうことじゃない。ただ、あんたは妖怪の気配にも気付かないほど、ひとりでいつも悠然としていて――」

「結局は鈍感ってことじゃない!」


 私も小声で笑う。蓮司くんの声が、少し明るくなった。


「七葉、本当にあんたは素直だな。魂と言葉に違いがない。考えていることが、手に取るようにわかる」


 どこかほっとした様子で、蓮司くんが言う。私が単純、ってことだろうか。安心してくれているのは嬉しいけれど、ほんの少しだけ悔しくもある。

 だから、少し意地の悪いことを言ってみた。


「蓮司くん。本当にわかってる? 私の考えてること」

「ああ」

「じゃあ言ってみて。私がいま、どんな気持ちか」

「鈍感扱いされて、少し不愉快なんだろう?」

「違うよ」


 蓮司くんの切れ長の目が、少しだけ大きく見開かれた。


「違うのか」

「違う。ぜんぜん違う」


 ほんの少しだけ、からかうような調子を声に混ぜる。

 蓮司くんの視線が泳いだ。返事に戸惑っている様子だった。

 私は、口調にもう少しだけ意地悪さを混ぜた。


「ほらね、やっぱりわかってない。本当にわかってたら、そんな風に困らないでしょ」

「……いま、どんな気持ちだ。七葉」

「わかってないって、認める?」


 無言で、しぶしぶといった風に、蓮司くんは数回頷いた。

 今なら私の言いたいこと、通じると思う。私はできるだけ真剣な声で、からかいも意地悪もなしで、言った。


「今の蓮司くんと、同じ気持ち」

「どういう、ことだ?」

「蓮司くん、困ってるでしょ。私の心がわからなくて」


 蓮司くんの切れ長の目を、私は正面から見据えた。浅黒い顔の真ん中で、鋭い、けれどあたたかい視線が、痛いくらいに私を見つめてくれている。


「私も、わからないよ。壮華くんだけじゃなくて……蓮司くんのことも。他のみんなのことも」

「俺は――」

「何も、言わなくていいよ。言ってもらっても、どのくらい本当なのかわからないし。私、鈍感だから」


 言いながら、涙が出そうになる。

 結局私たちは、人間であれ妖怪であれ、自分以外の考えていることなんてわからない。でもそれが、ここまで悲しいことだと思ったのは、ここまで生きてきて初めてかもしれない。

 パパやママの考えてることなんて、知りたくもなかった。梢の考えてることにも、それほど興味はなかった。会社の上司や先輩の考えてることも、自分の仕事に手一杯だったから、気にする余裕なんてなかった。

 蓮司くん壮華くんの考えてることは、知ってるつもりだった。でも、本当はぜんぜん知らなかった。

 誰かの考えてることは、他人にはわからない。当然のことなのに、どうしてこんなに、目頭が熱くなるんだろう。

 気分はまるで、知らない街に放り出された子供だ。周りは見知らぬ人ばかりで、皆、冷たい顔で通り過ぎていくばかり。

 みんなを知りたい。みんなが考えてることを、教えてほしい。蓮司くん、壮華くん、番紅花さん、みんなが何をどうしたいのか、ひとりひとりにお話を聞きたい。嘘でもいいから聞きたい。みんなの心に、少しでも触れたい。


「……七葉」


 蓮司くんが、不意に私の手を取った。水仕事で荒れ気味の、浅黒くてたくましい指だった。固くて、温かい掌だった。

 寒々しい部屋の中、人の手の温もりがいとおしくて、そっと握り返す。胸の奥が、変に熱い。


「俺の言葉は、信じてくれなくていい。妖怪の言葉は、人間ほど嘘偽りにまみれてはいないが……それでも、真実を覆い隠すことはできる。壮華がそうしたように。だから――」


 蓮司くんの手が、私の手を強く握ってくる。


「――あんた自身の心を、信じろ。そうすればいずれ、真実も見えてくるかもしれない」


 はっとした。

 胸によぎった考えは、蓮司くんの意図とは少し違ったのかもしれない。けれど私は、確かに感じていた。

 蓮司くんと、こうしていたい、と。

 手をつないだまま、体温を分け合っていたい、と。

 座敷牢の中、状況は相変わらず絶望的だった。けれど、掌から伝わる蓮司くんの温もりだけは、そこから腕がとろけてしまいそうに、心地良かった。

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