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境目の線

 番紅花さんと蓮司くん壮華くんは一緒に出ていってしまい、私はひとり、がらんとした和室で横になっていた。暗い中で、神棚のお神酒徳利や一輪挿しが白く浮かび上がって、少し怖い。

 懸命に寝ようとしたけれど、眠くない。私は布団から出て、部屋の入口の障子を開けた。

 外は夜だった。遠くにビルの灯りがぽつぽつと見える。お屋敷は、武家屋敷と言われても通用しそうな古めかしい純和風だけど、市街地からは意外と離れていないのかもしれない。

 あんなことがあった後だから、私のスマホは取り上げられて、今は妖怪さんたちの監視下にある。だから、メールやアプリで時間を潰すこともできない。電子機器がないと、人間ってこんなに暇なんだなあと、不思議な気持ちになる。それにしても。


「ここ、どこなんだろ……」

「古橋市のはずれだ。アルカナムからも、それほどは離れていない」


 低い声が急に聞こえて、びっくりする。蓮司くんが、いつのまにか隣にいた。


「来てたんだ」

「様子が心配になった……どうだ、なんともないか」


 答える代わりに、肩をぐるぐる回す。ついでに伸びもしてみせる。


「元気そうだな」

「私はね」


 会話が途切れる。無言のまま、私は蓮司くんを見上げた。

 浅黒い顔は、ぱっと見ると普段の表情と変わりない。アルカナムでもいつも無表情で、喋りも不愛想で、笑ったり怒ったりはあまり表に出てこない。だから顔を見ているだけじゃ、何を考えているのかわかりづらいけれど……でも多分いまは、素直に心配してくれている気がする。

 というより、蓮司くんが素直じゃなかった時って、これまでにあっただろうか。私の記憶の中には、ない。


「……何か、気がかりがあるか」


 私は無言で頷いた。


「『影』のことか」


 また頷く。


「壮華も言っていただろう。敵に過剰に思い入れるな」

「……でもね」


 私は遠くの灯りを見つめた。今が夜の何時くらいか、正確には分からないけれど、古橋市の市街地には煌々と灯りが点いている。あの中ではたくさんの人たちが仕事をしていて、たくさんの機械たちが使われているんだろう。


「みんな、たくさんの物を使って。毎日、たくさんの物を捨てて。どうして、平気でいられるんだろうねって……ずっと、思っちゃってる」

「だから、あんたは物が捨てられないのか」

「それを言われると、痛いんだけどね……」


 時折痛いところを突いてきつつも、蓮司くんは頷きながら私の話を聞いてくれている。人間に言えば荒唐無稽と思われる、妖怪に言えば敵への同情と思われる、誰にもまともに聞いてもらえそうにない話だ。けれど今の蓮司くんは、反論も否定もせずに、ただ聞いてくれている。


「もし今回の原因が、電子機器の魂だったら……できれば助けてあげたいなって思う。ほら、私、プログラムとか書く仕事してたし……ちょっと思い入れがあるっていうか。できるのかどうかは、わからないけど」


 蓮司くんは、頷きながら私の話を聞いた後、ぽつりと言った。


「それは、あんたが……『捨てられた』からか?」


 ぎょっとした。

 不意打ちで、心臓を刺されたような感じがあった。一瞬、心拍数があがった気がする。

 でも、たぶん違う。違う気がする。違うと思いたい。


「別に……そういうわけじゃないけど」


 動揺を抑えつつ言えば、蓮司くんはさらに続けてきた。


「だが現に、あんたは職場から捨てられた。親御さんからも、捨てられたと思ってるんじゃないのか」

「そんなことは――」


 ないよ、と言おうとして、言葉が出てこない。

 ずっと言われてきたじゃない、役立たずって。ひとりじゃ何もできない子って。唯一できると思っていたプログラミングだって、会社じゃ使い物にならなかった。梢みたいに愛想がいいわけでもなかった。

 わかってるよ。いらないものは捨てていい、というなら、最初に捨てられるのは私なんだ。


「……あんたの考えてることは、だいたいわかる」


 蓮司くんが、私の肩を抱いてくれた。固い掌が、服の上を優しく撫でてくれる。

 身体の奥の方が、じんわり温かくなる。涙が出てきそうで、でも少し悔しくて、つい、話を逸らしに行ってしまう。


「じゃあ、私が今食べたいものとかも、わかる?」


 我ながら意地悪な質問だ。いろんなことがありすぎて、今はちょっと食欲がない。

 蓮司くんはゆっくり目を伏せて、しばらく考えた後、言った。


「アルカナムのレアチーズケーキだな」

「はずれ。今は、あったかいコーンスープか何かが飲みたい」


 後半は出まかせ、つまりは嘘だ。でも蓮司くんは真剣に受け取ったのか、目を大きく見開いた。


「自信あったの?」

「……ああ」


 蓮司くんは、少し恥ずかしそうに眼を伏せた。


「うちのレアチーズケーキやチョコケーキ、それに壮華のタロット……そんなことを、考えてる気がしていた」


 今度は、私がびっくりする番だった。

 今食べたいとは思ってなかった。けど確かにそれらは……「影」に見せられた映像も、スマホのカメラロールに入っていた景色も、目が覚めてからずっと、心のどこかに取り憑いたままだ。


「そうだね、蓮司くんが言う通りのこと、考えてたのは確かだよ。狐さんたちって、本当に、心の中がわかるんだね……」


 言えば、蓮司くんはちょっと得意そうな顔になった。


「ああ、よほど分厚く覆い隠しているのでなければな。あんたはだいぶ素直だ」

「性格褒めてくれるの、蓮司くんぐらいだよ。うちの親からは、ひねくれてるとか言うこと聞かないとか散々なのに」


 蓮司くんが、ぽんぽんと肩を叩いてくれる。


「あんたはむしろ、人間全体でも素直な方だろう……素直すぎるくらいにな。素直でないなら、敵に安易に同情したりはしない」


 あたたまりかけていた胸の内が、また少し冷える。


「……安易……なのかな」

「ああ、自分や周りを危険に晒しかねない、という意味ではな。七葉、今は、自分の身を守ることだけを考えろ……奴らは物、俺は狐、あんたは人間だ。境目の線は、きっちり引いておけ」


 ふと思い出した。働き始めの頃、蓮司くんに言われたんだった。人と妖怪の間には、踏み越えてはいけない線があるって。蓮司くんにとっては、今もそうなんだろうか。


「ねえ蓮司くん。……やっぱり今でも、私と蓮司くんの間には『線』があるのかな?」

「ああ、間違いなくな」

「越えようとしたら、怒る?」

「怒りはしないが、止める」

「……そう」


 やっぱり今でも、答えは変わっていないんだね。それ以上言葉を継げなくて、私は外を見た。

 古橋市の市街地は相変わらず明るい。けれど輝くビルの群れと、いま私たちがいるお屋敷の間に、とても高い壁があるように思えて、私はすこし虚しくなった。この虚しさも、顔に出てるんだろうか。蓮司くんに伝わってるんだろうか。

 そろそろ気まずくなってきた頃、不意に蓮司くんは、弾かれたように後ろを振り向いた。見れば柱の影で、壮華くんがにやにや笑いながら私たちを見ている。


「おまえ……いつからそこにいた」


 大股で詰め寄った蓮司くんが、壮華くんの肩を掴んで揺する。それでもにこやかに笑いながら、壮華くんは蓮司くんを見上げた。


「えっと、ちょっと大事な話があって来たんだけど、ふたりとも話しかけられる雰囲気じゃなかったし」

「そういう話は早く言え……壮華、おまえは今の状況を理解しているか?」

「理解してると思うよ、線なんてとっくに踏み越えちゃってるのに自覚もない誰かさんよりは……まあそれはともかく、明日の集積場調査の前に、ちょっと確かめたいことがあるんだ」


 蓮司くんの手が止まった。壮華くんが、大げさ気味に息を整える。


「『影』の現れ方に、気になる点がある。七葉さん、スマホの地図アプリをもう一度見せてくれないかな」

「でも今、スマホは取り上げられて監視されてるよ?」


 私のスマホは、番紅花さんの手でどこかへ持って行かれてしまった。目の前で「影」が発生したのだから、それは仕方ないことなのだけれど……おかげで、ピンの情報も、その他の情報も確かめられなくなってしまった。


「それは僕も知ってる。だからこっそり見てきてほしい。見張りには僕から話を通してある、けど周りに母上の結界が張ってあって、僕の護符じゃどうにもならない」


 壮華くんは、蓮司くんの腰に目を遣った。着物姿の蓮司くんは、安全な部屋の中にいる今も、腰に短刀を差している。


「守り刀ならたぶん、破れる」

「ずいぶん荒っぽいけど、そこまでする必要があるの? 明日の朝、番紅花さんにお願いして――」

「母上には洩らせない」


 危なそうな話をしていてさえ、壮華くんは爽やかに笑っている。


「今はちょっと言えないんだけど、この話は極秘裏に進めないといけない。兄さんと七葉さんだけが頼りなんだ」


 いつもどおりの小動物めいた笑顔で、壮華くんは片目をつぶってみせた。

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