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七葉部屋、ふたたび

 翌日の夕方。

 臨時休業の札をかけたアルカナムの店内で、私はケーキセットを食べていた。四人掛けのテーブル席で、蓮司くん・壮華くん・梢と卓を囲みながら。全員、お揃いのモンブランとコーヒーだ。


「勝栗って言うくらいだからね。験担ぎだよ」


 笑う壮華くんに、蓮司くんが首を傾げる。


「勝栗は搗ち栗と掛けた言葉だろう。臼で搗つから搗ち栗……これはただの栗だと思うが」

「細かいことを気にすると寿命が縮むよ、兄さん」


 なおも笑いながら、壮華くんは蓮司くんの背を叩く。梢が不安そうにコーヒーを啜った。


「そんな危ないところに、七葉姉を連れてく必要があるわけ?」

「そうだね、現場の検分はやってもらう必要がある……僕たちは電子機器に詳しくないからね。確実にシロとクロの区別をつけられるのは、七葉さんか梢さんだけだよ」

「じゃ、私じゃダメ?」

「ほら、私一応IT系で仕事してたし、パソコン系は昔から扱い慣れてるし。間違いなく梢よりは詳しいよ」

「まるで私が機械音痴みたいに……」

「別に、そう思ってるわけじゃないんだけどね」


 壮華くんが、苦笑いしながら梢をたしなめる。


「やっぱり、自分の部屋のことは自分で確かめたいだろうと思って。だよね、七葉さん」


 コーヒーを一口飲み、無言で頷く。正直、本音はそちらだ。「影」が現れる直前、梢が父さんや母さんと何をしてたかを考えると……梢ひとりを部屋に入らせるのには、抵抗がある。


「梢さんは、僕たちが帰ったときのために、晩ごはんを用意しておいてくれないかな。梢さんのお揚げ料理が待ってると思えば、僕たちはがんばれるし。ねえ兄さん」

「……ああ」


 蓮司くんが曖昧に頷く。

 油揚げのカリカリ焼きがメニューに正式採用されてから、蓮司くん壮華くんと梢との距離は一気に縮まった。自分が作ったものを認めてもらうのは、やはり誰しも嬉しいらしい。特に料理担当の壮華くんとは、いつも親しく食材や新メニューの話をしている。

 やっぱり梢は人付き合いがうまい。妖狐のふたりも、そう遠くない未来に、私よりも梢と仲良くなってしまうのかもしれない。


「七葉さん、浮かない顔だね。……ちょっと気分変えてみる?」


 壮華くんがカードの箱を差し出している。頷いて、私たちふたりは別のテーブルに移った。

 壮華くんは卓にベルベットのクロスを敷き、いつものようにカードを混ぜる。まとめ直した山から一枚引かせてもらい、表に返すと、棒を手に戦う男性の絵柄が現れた。下から突き出された棒六本に、ひとりで応戦している。


「えっと、これ……勝ってるの負けてるの、どっち?」


 戸惑っていると、壮華くんはいつものように、やさしく笑って解説してくれた。


「ワンド七の正位置だね。この人は高い位置で有利に戦っている……だから、負けってことはないよ。ただ、単純に優勢ってわけでもないんだけど」

「どういうこと?」


 壮華くんの指が、絵の一点を示した。男性の足元は、よく見ると左右で靴が違う。


「この人は、靴を履き間違えるぐらい慌ててるってこと。ただでさえ六人の敵を相手にしてるから、対処しきれなくていっぱいいっぱいなのかもしれない」


 壮華くんは、顎に手を当ててちょっと考え込んだ。


「だから今日は、ちょっと注意した方がいいかもしれないね。予想以上にいろいろなことが、降って湧くかもしれない」

「うーん。なんかちょっと歯切れ悪いなあ」


 横から、梢が口を出す。


「もう一枚引いてみたら、結果変わったりしない?」

「同じことを二回占うのはおすすめしないよ。ある程度時間を置いた後ならともかくね」

「そっか……えっと、じゃあ」


 名案が浮かんだとばかりに、梢の顔が華やいだ。


「七葉姉の二回目の代わりに、蓮司くんか壮華くんのことを占ってみてよ。それなら『同じこと』じゃないし!」


 得意げな梢に向けて、壮華くんはあからさまに困った感じの苦笑いを浮かべた。


「ごめん、自分と兄さんのことは占わないようにしてるんだ、僕」

「なんで?」

「結果が毎回悪いから!」


 ……ちょっと前のめりに転びそうになった。


「壮華くん、確か前に『タロットに悪いカードはない』って言ってなかったっけ」

「ごめん、訂正するよ。毎回、『悲しみ』とか『破滅』とかばっかり出てくるんだ……呪われてるんじゃないかってくらいにね。悪いカードじゃあないんだけど、毎回それだと気が滅入っちゃう」

「ほんとに? でも、今回は違うかもしれないよ?」


 食い下がる梢に押し切られ、しぶしぶ壮華くんは、カードを混ぜ直して一枚引いた。表に返して現れたのは、ハートが三本の剣に貫かれた絵柄だった。


「ソード三の正位置『心の傷』だよ」

「……これ、本当に種も仕掛もないの? 手品じゃなくて?」

「トリックの類はないんだけど、きっと『何か』はあるんだろうね。だから、あんまり引きたくない」


 正直信じられないけど、実際に見せられてしまうと納得するしかない。信じられないというなら、妖怪や妖狐の存在だって、ついこの間までは到底信じられる話じゃなかったんだし。

 目を丸くする梢の前で、壮華くんはカードをしまう。ほぼ同時に、ドアベルが高く鳴った。店の中の空気が、急に重くなる。見れば、薄紫の着物姿の番紅花さんが静かに入ってくるところだった。約束は十九時だったのに、三十分以上早い。


「用意はできておるのか」


 静かな、でも威圧的な声に、蓮司くんと壮華くんは揃って頭を下げた。見れば、梢までお辞儀をしている。


「出立はいつでもできますが、コーヒーと茶菓子をいただくまで、いましばらくお待ち願えますか」

「しかたがないのう」


 小さく溜息をついて、番紅花さんは手近な席に座った。私も含めた皆が、残りのモンブランとコーヒーを黙々と口に運び始める。番紅花さんは、薄い笑いを浮かべて私たちをじっと見つめている……おいしいはずのケーキも、この目力で見られながらだと味がまるでしない。流し込むようにして、急ぎで食べ終わる。

 番紅花さんは、相変わらず無言で席に座ったままだ。間が持たない――と思った瞬間、私は動いていた。


「あの……ご注文はよろしいですか? コーヒーお持ちいたしましょうか?」


 おそるおそる話しかける。席で無言のお客様、空のテーブル――放っておけないのは、店員としての行動が板についてきたからだろうか。

 番紅花さんは、つまらなそうに私を一瞥して口を開いた。


「いらぬわ。口に苦いくせに、薬効さえないつまらぬ飲み物など」

「すみませんでした……」


 しまった、この方はコーヒーが嫌いなんだった。謝りつつ、ちょっと腹が立つ。あなたの息子さんたち、そのつまらない飲み物を毎日淹れてるんですよ。どうしてそう、思いやりのない言い方しかできないんですか。それにコーヒー、それなりに体にいいんですよ。


「……ただ番紅花様。良薬とまではいきませんが、コーヒーは健康に良いんです。たとえば――」


 残業続きで疲れてた私に、蓮司くんが色々教えてくれたんだ。コーヒーの効能とか、体にいい飲み方とか。


「――カフェインは眠気覚ましになりますし、集中力もあがりますし、ポリフェノールも入ってるから抗酸化作用もあるんですよ。糖尿病や肝硬変のリスクが減るって説もありますし。もちろん、狐と人間じゃだいぶ違うとは思いますけど」


 夜のアルカナムでお客として聞いた内容を、一生懸命思い出しながら話す。


「それに息子さんたち、おいしいコーヒーを淹れるために日夜がんばってるんですよ。お好みはあるかもしれませんけど、息子さんたちが大事に作っているものですから、せめてもう少し表現を――」

「それで?」


 番紅花さんの声は、おそろしく冷ややかだった。


「どうしても妾に、その黒く苦い湯を飲ませたいというか?」

「申し訳ございません母上!」


 壮華くんが、あわてて頭を下げる。


「この者も、決してそのようなつもりでは……母上、何か他にご所望の物はございますか?」

「そうじゃの」


 口調がだいぶ柔らかくなった。金色の瞳が細められ、梢を見た。


「先日の油揚げ膳はどれも美味であったな。あの品々は、もう一度食べたいものよ」

「わあ、嬉しいです! 今は常設メニューのカリカリ焼きしかないですけど、皆さんが帰ってくるまでに、たくさん作っときますね!」


 重苦しい空気を気にもせず、ひとり梢がはしゃぐ。……いや、この子のことだ、空気はちゃんと読めてるんだろう。わかってて、おどけてみせてる。私にはできない。

 私は、食べ終わった自分のカップとケーキ皿を流しへ運んだ。洗おうとすると、横から声をかけられた。


「俺がやる」

「いいよ蓮司くん。たぶん、このあと大変でしょ」

「この程度、仕事の内にも入らん」


 蓮司くんの手が横から伸びて、私の手中からカップを取る。そのまま、手早く洗いはじめる。

 ざあざあ流れる水音に混じって、ほとんど消えそうな声が聞こえた。


「……ありがとうな」


 心臓が一つ跳ねる。蓮司くん、聞いてくれてたんだ。いや、距離を考えたら当然聞こえてるはずなんだけど。

 でも、届いてるなんて思わなかった。蓮司くんも壮華くんも、心の中はあのお母さんでいっぱいなんだと思ってた。

 でも、だとすると。


(蓮司くん、辛い?)


 喉まで出かかった言葉を、抑える。


(いつもあんなふうに言われて、悲しくないの? 悔しくないの?)


 私みたいな部外者が、言っちゃだめなんだと思う。でも蓮司くんの浅黒い横顔で、お皿を洗う間中、唇が固く結ばれているのを見ると……ひどく悲しくなってくる。

 なにか、力になれればいいのに。でも、どうしたらいいんだろう。


「蓮司くん……なにか、手伝うことある?」


 ようやく出てきた言葉が、それだけ。


「特にはない。出かける準備だけ、しておいてくれ」


 予想通りの返事だ。

 でも、すぐに傍を離れたくはなくて、私は周りを見回した。カウンターに、蓮司くん愛用の古いコーヒーミルが出たままになっていた。戸棚にしまっておこうかと手を触れると、急に鋭い声が飛んできた。


「おい!」


 蓮司くんの低い声に、あわてて手を離す。


「ご、ごめん」


 流しの水音が止まった。水気を拭ったばかりの手で、蓮司くんはミルを取り上げた。


「古い物だからな……扱いを間違うと壊れかねない」


 クリーム山盛りのパフェでも扱うような慎重な手つきで、褐色の手がミルをしまう。これ、どのくらい古いものなんだろう。効率もあんまり良くなさそうだ。業務用で使うなら、最新鋭の電動ミルもありそうなものだけれど。

 訊いてみようと思ったけれど、ちょうど同時に、壮華くんと梢がめいめいの食器を持ってきた。流しを追い出された私と蓮司くんは、今夜の「作戦」のための出立準備を始めた。テーブル席では、待ちくたびれた風の番紅花さんが、扇を揺らしながらこちらを見つめていた。

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