油揚げづくし御膳
結婚式の二次会は、十七時開始ということになっていた。けれど実際には、十六時半頃にはもうお客妖怪さんが入り始めていた。店内には油揚げの香ばしい匂いが漂い、やってきた妖怪さんたちは皆そわそわしている。
「なんだかちょっと申し訳ないね……」
エプロンを着けた梢が言う。けれど声色には、言葉と裏腹の自信と楽しさが滲んでいる。
「そうはいっても、主賓が来ないことには始められないからね。空腹は最高のソースって言うし、これも演出のうちと思えば」
壮華くんが笑う。この場のアルカナムスタッフは、全員揃いのエプロン姿だ。なんだかスポーツのユニフォームのようだけど、今の私たちはエース梢を援護するチームメンバーなんだから、あながち間違ってない。
主賓は、十七時を数分過ぎた頃にやってきた。新郎さんは、番紅花さん屋敷に仕える若い狐さん。茶色の髪の上に、同じ茶色の耳がぴょこんと立っている。袴姿に茶色の尻尾が揺れていて可愛いけれど、アルカナムでは見たことのない顔だ。新婦さんは、茶釜の付喪神だと聞いている。茶釜は明治初期に作られた品で、元々東京都内の骨董店の在庫だったものが、色々あって番紅花さんの手元に来たらしい。ご本人は、上品な和装の肩口に長い黒髪がかかっていて、歩く日本人形みたいなお嬢さんだ。
「良い匂いがいたしますね」
目を細める茶釜さんを、蓮司くんが茶狐さんともども席へ案内した。その頃には店内もお客でいっぱいになっていて、皆が期待に目を輝かせて厨房を見つめている。
薄紫色の着物を揺らし、番紅花さんが立ち上がった。皆の視線が、一斉にそちらへ向く。
「さて、今日のこのめでたい席。将来有望なる若き妖狐と、百五十年の時を経た付喪神との前途を祝し、先達としての言葉を贈る……べきなのじゃろうが――」
急に、番紅花さんの目つきが鋭くなった。射殺すような視線で、厨房の梢をにらみつける。
「――このように腹の空く香りがしておる中で、妾の長話を聞きたい者などおらぬであろう。早う皿を持て! 宴じゃ! 飲め! 食え!」
一同から大歓声が上がる。
梢が大きく頷き、私たちは、用意した大皿を次々に運び始めた。梢と壮華くんが、テーブルの脇に立って説明を始める。
「まずはこちら。当店『喫茶アルカナム』の新登場メニュー、『油揚げとネギのカリカリ焼き』および『カリカリお揚げの大葉しょうが』でございます!」
壮華くんが満面の笑みで、朗々と言った。
黄金色のお揚げに散る、濃緑と赤。匂い立つ油の香り。月初の登場以来、あっという間にアルカナムの人気をさらった新定番メニューが、大皿にぎっしりと並ぶ。
「これよこれ。滲む油とネギの香味がたまらぬのよ。皆、好きなだけ食せ」
なぜか得意げな番紅花さんが、切れ長の目をうっとりと細めながら、割いたお揚げを次々に口に運んでいく。でも、これは序の口。今日はまだまだ隠し玉がある。
「続きましてこちら。『油揚げの味噌マヨ焼き』と、同じく『チーズ焼き』でございます!」
梢の、高らかな声がする。
蓮司くんが運んだお皿の上で、短冊に刻まれたお揚げが湯気を上げている。大皿の真ん中から手前側は、茶色く焼き色のついた味噌マヨネーズ風味。奥側は、クリーム色の糸を引くチーズ風味。チーズの方には、鮮やかな七味とネギもかかっている。三種の香りが混ざって、濃厚に立ちこめる。
「ほう……これはなかなか、悪くなさそうよの」
番紅花さん、口先だけは冷静そうだけど、表情が全然伴ってない。綺麗な顔が、それこそお揚げの上のチーズみたいにとろけている。夢見心地で箸を動かす番紅花さんに、茶狐さんと茶釜さんは呆気にとられた様子だ。
私は、さらにもう一皿をテーブルに持って行った。料理を置いて一礼すると、誇らしげな梢の声が響き渡った。
「さらにこちら、『ネギとチーズの巾着焼き』でございます。お揚げの中に、長ネギと熱々のチーズが入っております。口の楊枝を抜いてお召し上がりくださいませ!」
手を伸ばそうとした番紅花さんが、ようやく新郎新婦の様子に気付いた。
「何をしておる、遠慮せんと食わぬか。おぬしらのための宴ぞ」
「あ……は、はいっ!」
恐縮しながら、茶狐さんと茶釜さんが料理に手を伸ばす。茶狐さんが味噌マヨ焼きを、茶釜さんがチーズ焼きをそれぞれ口に運んで……表情が、同時にとろける。
こちらまで幸せになりつつ、でも、まだ私たちは終われない。踵を返すと梢と目が合った。満面の笑みで小さくガッツポーズをしつつ、梢はキッチンの向こうへ消えた。まだ「メインディッシュ」は出ていない。
梢の作業を待ちつつ、私たちはお客妖怪さんたちに飲物を注いで回った。とはいえ、出せるのはアルカナムにあるソフトドリンクだけだ。蓮司くんがお茶、私が水を出しつつ、私は皆の様子を確かめた。皆、満面の笑顔だった。
先行して食べ始めていた番紅花さんは、今はお腹がいっぱいになったのか手を止めて、皆の様子を眺めている。目尻を下げて、口角を緩めて……先日の冷たさが嘘みたいに、満足げに微笑んでいる。このお母さん、コーヒーが嫌いだとは聞いているけれど、人が集まってわいわいしている様子は好きなのかもしれなかった。
やがて大皿も空になりはじめ、お客さんたちの口数も増えてきた。茶狐さんは壮華くんと、茶釜さんは蓮司くんと、それぞれ話し込んでいる。蓮司くんたちの話の内容が、水を注いで回る私にも聞こえてきた。
「わたくし、ほんとうに幸せですわ。愛する伴侶を得て、このような美味も味わえて、釜であった頃には想像もつかない喜びを得ております」
茶釜さんはやわらかく笑っている。蓮司くんは深々と頭を下げた。
「九十九年大切に使われた道具は、魂を得て付喪神となると聞きます……歴代の持ち主様方は、さぞや良い御方だったのでしょう」
「はい、大変よくしていただきました。わたくし高価な釜ではありませんが、茶匠の家の備品として、数々の茶席で使っていただきましたし、傷つけば丁寧な修繕もしていただきました。おかげでこの身を得られましたし、こうして最高の伴侶にも巡り会えました……ご縁をくださった、貴方の御母堂にも感謝しております」
目を細める茶釜さんに、蓮司くんは無言で頭を下げた。
「蓮司様にも、良いお話があるよう願っております。いずれ世継にふさわしい、素晴らしき伴侶を得られますよう」
茶釜さんの言葉に、私の胸の奥のほうが凍りついた。
蓮司くんは顔を起こし、淡々と答える。
「……あいにく、そのような話はまだありませんが」
「あら、そうでしたの。ですが大妖狐の世継ともなれば、良いお話はいずれ舞い込むことと――」
そこで、茶釜さんは首を傾げた。目を何度かしばたたかせながら、視線を泳がせる。
「不思議ですのね。蓮司様には、あまり狐の匂いがいたしませぬ」
茶釜さんは、何度か不思議そうに頭を巡らせた。
「香りが……すこし違っておりますね。妖狐というよりは、むしろ――」
「さて皆さん!」
突然、壮華くんが叫んだ。
「そろそろメインディッシュができあがります。題して『油揚げステーキ』……とはいえ、ただ油揚げを焼いただけではございません! 今日この席だけの特別メニュー、心の準備をしてお召し上がりください!!」
満座が一斉にどよめく。茶釜さんも、すっかり壮華くんの言葉に意識を持って行かれたようだった。
壮華くんが意味ありげな目配せを送ってくる。促されて厨房に入れば、たちまちバターの濃厚な香りに包まれた。
「うわ、すっごくいい匂い!」
思わず声が出る。
見ればトレイの上に、アルミホイルの包みがいくつも並んでいる。隙間からちょっと湯気が立っている。旨味がぎっしり詰まった香りが、蒸気に溶け込んでいるみたいだ。
「七葉姉、それ開けて、中身をお皿に並べていって」
言われるがままにアルミホイルを開くと、一塊の湯気がもわりと立ち上った。濃い旨味を含んだ香りが、辺りに一気に広がって、嗅ぐだけでお腹がいっぱいになりそうだ。……いや、そんなことない。お腹、すごく空く。できることなら、包みの中身をこのまま食べてしまいたい。
その中身は、油をたっぷり吸った特厚のお揚げだった。表面が油でてらてら光ってて、つつけばじわりと染み出してきそうだ。
含んだ油を絞り出してしまわないよう、注意深くお揚げを皿に移す。すると壮華くんが、焼いた細切れ肉と薄切りのニンニクを、手早く脇に添えていく。
「このお肉とニンニクの旨味を、焼き油に移してる。その油を、分厚いお揚げが全部吸ってるんだ」
壮華くんの解説を、聞いてるだけでおいしそうだ。でも、配膳係の私たちは食べられない。ちょっと、いやだいぶ、悲しい。
「スタッフ分はちゃんと取り置きしてあるから、七葉姉も皆も安心して! 今はお仕事よろしく!」
私たちの心を読んだかのように、梢が朗らかに宣言してくれた。ちょっと、心が奮い立つ。
用意されたアルミホイル包みを、四つを残してお皿に盛り付け終えた。梢が、鍋に作ってあった特製ステーキソースを次々とかけていく。醤油をベースに、濃密なバターの香りが合わさっている……厨房に入ったとき漂っていた、濃いバターの匂いは、こちらから来ていたようだ。
完成したお皿を、四人で手分けして会場へ持っていく。
「おお、待ちかねたぞ! 今宵最高の珍味、早う供せ」
身を乗り出す番紅花さんに、梢が得意満面の笑みを返す。
「皆様のお手元に届きました一皿。これこそが本日のメインディッシュ、『油揚げステーキ』でございます!」
客席の一同から、期待と感嘆とが混じった様子のどよめきが上がる。
「特厚の高級油揚げに、牛肉とニンニクで香りづけした油をたっぷり吸わせております。バターと醤油を合わせたソースに、たっぷり絡めてお召し上がりください!」
フォークとナイフの音が、さっそく響き始める。妖怪さんたちは洋風食器の扱い方を知ってるのかな、と少し心配したけれど、フォークが使えない妖怪さんたちは箸で直にお揚げを切っているようだ。お肉のステーキじゃないから、これでも大丈夫のようだ。ただ、箸で押さえると、油が絞り出されてしまうのはちょっともったいないけれど。
「すごい……ものすごくおいしいです、これ!」
新郎の茶狐さんが、感極まった様子で言う。
「噛むたびに香ばしい油が染み出してきて、すごくいいお肉を食べてるみたいです……いや、お肉よりおいしいかもしれない。たぶんこれ、おおもとの油も良いものですよね?」
「はい! 一番搾りの上等な菜種油を、封を切ってすぐに使ってます!」
おお、と、一同から感嘆の声があがる。
「実に見事なものよ。人間の娘、そなたには並々ならぬ料理の才があるようじゃな」
「お褒めのお言葉、痛み入ります!」
番紅花さんの褒め言葉に、梢が深々と一礼する。
いつもの私なら、何もできない自分と比べてどんより落ち込むところだったろう。けれど、今ばかりは――幸せたっぷりの妖怪さんたちと、おいしさをそのまま空中に溶けださせたかのようないい匂いとに包まれている、今のこの時ばかりは、弱気の虫も鳴りを潜めていた。
梢へ向けて、壮華くんが拍手を贈る。蓮司くんも合わせる。次第にそれが満座へ広がる。お客さんたちが立ち上がり、一斉に梢へ賞賛の拍手を送る。
私も、不思議なほど素直に、一緒に手を叩いていた。
「皆さん、ありがとうございまーす! この後もさらにデザートがありますので、楽しみにしていてくださいね!」
スタンディングオベーションの中、梢は照れくさそうに笑う。姉として、今は素直に誇らしかった。