アルカナム貸し切りパーティ
一週間が経った。
その日、私たちは朝からパーティの準備で大忙しだった。番紅花さんの屋敷にお仕えしている狐さんが祝言を上げるそうで、アルカナムは結婚式二次会の会場として貸切予約されていた。蓮司くんによると、アルカナムの貸切は月に一度くらいはあるそうで、その日は人間向けには休業扱いにしている、とのことだった。アルカナムが人間相手に不定休だった理由、ようやく納得がいった。
蓮司くん壮華くんの先日の怪我は、言葉通り一晩寝れば良くなって、翌日以降のふたりは何事もなかったようにお店に出ていた。今朝も壮華くんは梢と一緒に、カウンターで仕入れ食材の確認をしている。
「油揚げ、いくらなんでも多すぎない?」
買い出しメモを見ながら、梢が目を丸くしている。
「でも、出す品を考えたらこうなっちゃうよ。なにせオーダーが『油揚げづくし御膳』だから」
「どう考えても英国風喫茶のメニューじゃあない……」
「そこは今更言ってもしょうがないよね。今、うちで一番人気なのって梢さんのカリカリ焼きなんだし」
「なんかすごく罪の意識を感じる……洋風喫茶のメニューを乗っ取ってしまった……」
「じゃあ、罪は償ってもらわないとね! おいしいお揚げ料理で!!」
壮華くんが、流麗な崩し字で書かれた便箋を掲げる。達筆すぎて読めないけれど、紙の薄紫色は番紅花さんの着物と同じ色合いだ。
「『油揚げを用いた珍味佳肴を、新郎新婦のために供すべし』って、母上直々のお達しだからね。今日の主役は梢さんだよ! 妖怪喫茶の歴史を塗り変えた、超新星料理人!!」
壮華くんが梢の手を取り、がっちり握手をしている。そのオーダー、どう考えても、番紅花さんが自分で食べたいからですよね……と言いたいけれど黙っておく。
「しょうがないなあ。そこまで言われて引き下がっちゃあ、女が……いや人間がすたるし。不肖藤森梢、ここに人間代表として、正々堂々と全力で料理しまくることを誓いまーす!」
芝居がかった調子で左手を挙げる梢に、壮華くんが拍手を送る。選手宣誓文化って妖怪にも通じるんだ……と遠くから見つめていると、不意に別の拍手が混ざってきた。
「順調そうだな、壮華」
追加の食器を運んできた蓮司くんだった。普段のアルカナムでは使わないような大皿が、キッチンの脇に何枚も積まれる。
「そうだね。最強エースの梢選手を、全力で援護する用意はばっちりだよ。ってことで、兄さんたちは買い出しよろしく!」
メモを差し出した壮華くんの手を、梢が上から押さえた。
「ごめん、ちょっと待って」
奪い取ったメモに、梢は素早くなにごとかを書き足していく。
「そこまで言われたからには、ほんとに全力出しちゃうからね。みんな絶対びっくりするよ。それに――」
メモが二つ折りにされて、蓮司くんに渡る。
「――英国風喫茶を乗っ取っちゃったおわびも、ちゃんとするつもりだから」
片目をつぶってみせる梢は、ものすごく楽しそうに笑っていた。
朝十時を過ぎ、日が高くなってきた街を、蓮司くんに手を引かれながら歩く。
蓮司くんは白のシャツの上に、デニムのジャケットとジーンズを無造作に着ている。一歩間違えたら野暮ったくなりそうな上下揃いだけれど、引き締まった足腰や浅黒い肌と合わさっているせいか、とてもきりっとして見える。蓮司くんと知り合ってから長いけれど、アルカナムのエプロン姿以外は、そういえばほとんど見たことがなかった。
服が変わると、こんなにも雰囲気が変わるんだ……と、思わず溜息が出る。妖狐の時の黒着物姿は、落ち着いて見る機会がまだないけれど、今以上に精悍な感じなんだろうか。
「……どうした」
蓮司くんの足が止まった。
「溜息が聞こえたが……嫌か」
慌てて首を横に振る。
「そんなことないよ。大丈夫」
「そうか」
蓮司くんの手に力が籠もり、繋いだ私の手に伝わってくる。水仕事で荒れた固い手が、温かい。
「日が高くとも、『影』は現れる。気は抜くな」
「……わかった」
そこからまた、お互い無言になった。手を離さないように気をつけながら、ただ、歩く。
いま、すごく、何かを話したい。なのに言葉が出てこない。「影」の話はあまりしたくないけど、他愛ない話をするのも場違いな気がしてしまう。繋いだ手と、頭の芯のあたりだけが、ひどく熱い。
そうしているうちに、目的地の業務用スーパーに着いてしまった。梢のメモをあらためて見てみると、これまでのカリカリ焼きには使っていない食材がいろいろ書かれている。チーズ、牛肉細切れ、ニンニク、長ネギ、マヨネーズ……完成形が、想像できそうでできない。
蓮司くんが、目配せしながら店内へ向かう。私はカートを押しつつ後を追った。
デニムの背中が止まったのは、青果コーナーだった。長ネギの山を見つめる蓮司くんの目つきには、獲物を狙う肉食獣の鋭さが漂っていて、思わず見惚れてしまう。心臓が高く鳴るのを感じながら、整った横顔をじっと見つめていると、不意に蓮司くんは私の方を振り向いた。
「七葉、ネギの選び方……知ってるか」
「え」
さっきのかっこいい顔、ひょっとして、ネギが選べなくて困ってたんだろうか。
「ごめん、わからない……」
「……そうか。俺も、食材関係は壮華に任せてたからな」
確かに、アルカナムでネギを使う機会なんて、梢のカリカリ焼きが始まるまでは全然なかったんだろう。
蓮司くんは、またネギの山に向き直った。横顔は相変わらずきりっとしているけど、このままじゃきっと何も進まない。
思い切って私は、山から長ネギを一束取った。
「これとか、どうかな。色艶よさそうに見えるんだけど」
実際はそんなことはない。手近な適当な束を取っただけだ。けれど蓮司くんの目つきは、一気に和らいだ。
「そうか。七葉、あんたがそう言うなら、そうなんだろう」
目尻を下げてふっと笑う顔が、なんだかひどく眩しくて正視できない……見たいんだけど、見られない。
「ありがとう。……助かった」
固い手指が、私の手から長ネギを取っていく。かすかに触れた指先の跡が、やっぱり、熱い。
役に立ちたいな、と、胸が痛んだ。もっとちゃんと話をしながら、これがいい、やっぱりあれがいい、って言い合いながら買い物したい。パソコンとか周辺機器ならなんとかなるんだけど。
ふと想像がよぎる。蓮司くんと私でパソコンを選ぶとしたら、どんなところがいいだろうか。
スペックとか色々凝りたいのなら、自作パソコンのお店がいい。大抵は、電気街の路地をちょっと入った雑居ビルに入っている。ちょっと暗い感じの入口に、各階のお店の看板が愛想なく並んでいて、その中から目指すお店のフロアを確かめる。そしたら数人程度しか乗れないエレベータで、上の階へあがる――
そこまで考えて、不意にどきりとした。狭い密室空間の中で、蓮司くんとふたりきり。お互いの吐く息がかかるくらいの距離で、「閉」のボタンを押したら、私たちは上へ動き始めて――
(いやいやいやいや。何を考えてるんだ自分。ただ、エレベータで階移動するってだけで!)
むりやり思考を先へ進める。想像の中、私と蓮司くんは自作パソコンのお店に入った。白や黒のパソコンケース、小さな箱に入った各種パーツ。自作パソコンショップが置いてるのは大抵輸入品で、説明書きに日本語はない。蓮司くん、英語はわかるんだろうか。土地に根差した妖狐だから、やっぱり異国の言葉はわからないだろうか。もしそうだったら、説明してあげたい。ハードディスクはどんな種類があって、用途別にどれを選べばいいかとか、メモリはどのくらい必要で、これとこれなら最小限の必要スペックが確保できて、余裕を持ちたいならこれを選べばいい、とか――
と、そこまで考えたところで、私の思考は途切れた。
「七葉。ニンニクは、どれを選べばいい」
蓮司くんが相変わらずの真面目顔で、問いかけてくる。
「あっ、ええと……ごめん、それもわからない」
想像の中で蓮司くんに、誇らしげにパーツのスペックを講釈していたのが、急に情けなくなってくる。現実に戻れば、私はこのていたらくだ。食材ひとつまともに選べず、今回の二次会準備でも、買い出しの役くらいにしか立っていない。
素人目で色艶が良さそうに見えた一袋を取り、カートに入れる。でもネット入りだから、本当にいい状態なのかどうかは正直自信がない。みかんなんかは、赤いネットに入れることで色を良く見せていると聞いたことがある。このニンニクがいい品であることを、祈るしかない。
できればちゃんと勉強したいな、と思う。そうすれば蓮司くんと一緒に、あれがいいこれがいいと、楽しくお話しながら食材を選ぶこともできるだろう。
脳内の蓮司くんに、パソコンパーツの選び方を教えてあげるのは楽しかった。でも、本物の蓮司くんがコンピュータに興味を持つかどうかは、正直怪しい。機械と妖狐って、よくよく考えれば論理の権化と非論理の塊だ。水と油の組み合わせのような気がする。だったら食材の話の方が、まだしも共通のお話として成り立ちそうだ。
いつか、食材を蓮司くんと一緒に選んでみたい。いや、食材でなくても、一緒にお話できるものならなんでも――
考えるうち、蓮司くんは次の売場へ向けてカートを押し始めていた。デニムの背中を、私は黙って追った。