表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/37

油揚げと九尾

 壮華くんは意外にすぐ見つかった。アルカナムからビル五棟分ほど奥の路地、百円ショップの裏口前だった。

 誰もいない夜道を塞ぐように、四角い光の壁が現れていた。空間を切り抜いたような眩しい白に、黒い泥の波が、何度も押し寄せては砕け散っている。時折、光の壁から白い棘――いや、光線が生えて、蠢く泥を貫いていく。通り道の泥は溶けてなくなるけれど、すぐに新しい泥が流れ込んでくる。

 少し前に見た、壮華くんの結界と同じだ。蓮司くんもみんなも、きっと光の壁の向こうにいるんだろう。

 光の壁に集まる泥――おそらくは「影」の波を前に、私は立ちすくむしかできなかった。蓮司くんと壮華くんが心配で飛び出してきたのはいいけれど、今ここに私がいても、できることは何もない。むしろ、「影」の注意を惹いてしまったら、私に身を護る術はない。私と「影」の間に、光の壁はないのだから。

 考える間にも、「影」は光の壁に押し寄せていく。尽きる気配は、ない。アルカナムに戻ってきたお客妖怪さんの様子が頭を過ぎった。背中を焼かれて、ひどい怪我だった。

 ――戻って番紅花さんを呼ぼう。そう、心に決めた。

 もちろん覚えている。あの人の冷たい態度も、言葉も。けど一生懸命頼めば、土下座して泣いて頼めば、なんとかしてくれないだろうか。

 自分の父さんと母さんを、思い出してみる。ふたりとも外面を繕うのには熱心で、どこかの知らない人に一言言われれば、私を叱るのをやめてくれたりもした。

 番紅花さんは、人間のことなどなんとも思ってないかもしれない。でも、当事者からじゃ言い出せないことだってあるはずだ。

 私は踵を返した。アルカナムへ向かって、走り出そうとした時――爆発のような光と共に、突風が走り抜けた。

 弾き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。

 腰を強く打った。けど幸い、骨まで折れた感じはなかった。

 さすりながら立ち上がると、光の壁がなくなっていた。一瞬どきりとしたけれど、周りで蠢いていた影も、綺麗さっぱり消えているようだった。


「まったく。情けないものよ」


 白い人影が、私の前をゆっくりと歩き過ぎていった。薄紫の着物の後ろに、白いふさふさの尻尾が九本、誇らしげに揺れていた。


「そなたら、それでも我が息子か。妖狐の(かしら)の子か」

「申し訳……ございません」


 ずいぶん落ち込んだ様子の、蓮司くんの声がした。続く壮華くんの声は、さらに弱々しかった。


「此度は、敵が……あまりに多く」

「言い訳は要らぬ」


 横で聞いていてさえ震え上がるような声で、白い影――番紅花さんは言った。


「妾はもう長く生きた。いずれ去らねばならぬというのに、我が座を継ぐものがこれではのう……安心して隠居もできぬわ」


 言い捨てて、番紅花さんはアルカナムの方へ戻っていく。

 入れ違いに、私は蓮司くんたちへ駆け寄った。蓮司くんと壮華くんは、先日私の部屋の前で見せた、狐耳と尻尾を出した着物姿だった。けれど蓮司くんの黒い着物にも、壮華くんの白い着物にも、あちこち焦げ目がついていて煤まみれだった。傍らに集まったお客妖怪さんたちも、皆どこかしら焼かれていた。


「みなさん……大丈夫ですか?」


 言えば、蓮司くんは緩慢に頷いた。


「苦戦はしたが、幸い傷は浅い。一晩寝れば治るだろう……それより」


 蓮司くんは、ちらりと周りを見た。

 道の真ん中に、白い葉書大のカードが大量に散らばっている。ところどころに、小さな犬や猫のぬいぐるみも転がっていた。お客妖怪さんの一人が、それらを拾い集め始めた。


「夜のうちに片付けるぞ」


 蓮司くんと壮華くんも、お客妖怪さんたちも次々手伝う。私も、手近にあったカードを拾いあげた。表には『お誕生日おめでとう!』と丸文字で書いてあり、裏側では、去年暮れぐらいに流行ったアニメのキャラ……によく似た、いまひとつ不細工なキャラたちが笑っていた。

 蓮司くんがカードを取りまとめて、手近にあった可燃ゴミの箱に捨てようとする。あわてて、止めた。


「そこに捨てちゃだめ!」


 私の言葉に、壮華くんは首を傾げた。


「このカード、見た感じ百円ショップの返品在庫みたいだよ。このゴミ箱も、百円ショップの備え付けだし……出どころに捨てるのは問題ないと思う」


 百円ショップの裏口には、壊れて中身が出た段ボールがいくつか転がっている。カードもぬいぐるみも、元はそこに入っていたもののようだ。だから、壮華くんの推測自体は当たっている。

 とはいえ、いま問題なのはそこじゃない。


「そうじゃなくてね」


 私は持っていたカードを開いた。安っぽい電子音で、ハッピーバースデーのメロディが流れ始める。


「これ、電子部品もボタン電池も入ってるから。可燃ゴミじゃないよ」

「あー、分別が面倒なやつだね……」


 そう、ものを捨てるにはこういう面倒な作業もある。私も年に一回くらい、本当の本当にいらない物を処分しなきゃと思う時はあるんだけど、いつもこの面倒くささに阻まれるんだ。これさえなければ、たぶん年に二、三回くらいは部屋を綺麗にできそうな気もするんだけど。


「電子部品というなら、こちらもそうだな」


 蓮司くんが猫ぬいぐるみのお腹を押すと、ノイズ混じりの鳴き声がふにゃあと響いた。ほんと、世の中のメーカーさんたちはどうしてこう、分別が面倒な物ばかり考えなしに作るんだろう。


「返品在庫とはいえ、勝手に店に持って帰るわけにもいかない。……置いていくしかないだろうな」


 まとめたカードとぬいぐるみを、私たちは段ボールが元あった位置にまとめた。そうして、肩を並べてアルカナムへ帰った。

 店には梢がやってきていた。どこ行ってたの、と笑う梢の後ろで、番紅花さんはテーブル席に深く腰かけ、優雅に扇を動かしていた。

 壮華くんは、店の隅に食材入りのエコバッグを見つけると、満面の笑みで駆けていった。中身をひとつひとつ確かめた後、梢に渡す。


「とびきりのカリカリ焼き、作ってくれないかな……僕たちの母上が来てるんだ」


 ひどく、胸が痛む。

 お客妖怪さんの言葉が、脳裏に蘇る。「坊ちゃんが……これだけは守れと」と、確かに言っていた。

 この食材、息子さんが守ったんですよ。命がけで、あなたのために――そう叫びたかった。涼しい顔で笑っている、顔だけは綺麗な妖狐様に向けて。

 でも言えなくて、美しい背に流れる銀の髪をただ見つめていると、不意に番紅花さんが振り向いた。


「何か、妾に用か」


 金色の瞳でにらまれると、背筋に寒気が駆けあがってくる。蛇ににらまれた蛙って、きっとこのことだ。

 でも、なにか言わなきゃ。私にしか言えないことが、きっとある。


「え、えと……息子さんたち」

「蓮司と壮華が、どうかしたか」


 掌を、強く握り締める。じんわり、汗が滲むのを感じる。


「油揚げとネギ……守ったんです。あなたに、食べてもらうために」


 金色の切れ長の目が、わずかに細められる。返事は、ない。

 息をひとつ吸い込んで、私は続けた。


「だから……だいじに。えと、その」


 叫びたかった。

 蓮司くんと壮華くんを大事にしてあげて。かわいがってあげて。ひどいことを言わないで。

 でも、喉のところで引っかかった。私がこれを言って、ふたりが後で叱られたりしないだろうか。立場が悪くなったりしないだろうか。今になるまで、そこに考え至らなかったのは迂闊と言えばそうなんだけど。

 何を言えばいいのか、わからなくなって……出てきた声は、自分でもびっくりするぐらい、かぼそかった。


「その……大事に、食べてくださいね……」


 扇で口を隠して、ほっほっ、と番紅花さんは笑った。


「よかろう。そなたらの珍味、いかほどのものか確かめてやろうぞ」

「……はい……」


 一礼して、私は喫茶スペースを出た。カリカリ焼きが出来上がるところを、なんだか、見たくなかった。

 階段を駆け上がって、寝室に入る。

 パイプベッドに倒れ伏して、私は泣いた。固い枕に顔を埋めて、ただ、泣き続けた。

 そのほかにできることを、私は、知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ