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母と息子

 壮華くんの背中を見送ると、番紅花さんは蓮司くんの方を向いた。手近なテーブル席の椅子を引きながら、一言だけを投げかける。


「息子よ、水を持て」


 蓮司くんが、コップに水を汲み始める。

 同時に番紅花さんの背で、青白い光がほんのり灯り、九本の尻尾がかき消えた。あの立派な尻尾でどう座るんだろう、と実はちょっと思っていたけれど、妖怪さんたちにとって、この程度の姿の変化は当たり前の技なのかもしれない。

 番紅花さんは席につくと、私に向けて手招きした。おそるおそる向かいに座ると、番紅花さんは怖くなるほど艶めかしい笑顔で見つめてきた。


「人の子が、なぜこのような場所におる」


 何からどう話せばいいのか。蓮司くんたちからはどの程度の話が伝わってるのか。わからないから、最小限のことだけ簡潔にまとめる。


「店の手伝いとして雇われております」

「人の子の店の方が、給金は良いであろうに」

「先日クビになりまして……息子さん方に拾っていただきました」


 番紅花さんが、金色の目を細める。


「あやつらが、何もなしに人の子など雇わぬであろう。事情を申してみよ」


 隠し立ては、できそうにない。


「『影』に……両親を取り込まれました。今は身の安全のため、ここで妹と共に守っていただいております」

「物好きよのう」


 意味がわからず、返答に詰まる。


「人の子など捨て置けばよいものを。蓮司よ、なにゆえこの者をわざわざ匿う」

「……店の上得意でしたので」


 蓮司くんの言葉に、すうっと胸の辺りが冷えた。私は、ただの得意客なんだろうか。仕事が辛い時、家族と喧嘩した時、いつも話を聞いてくれていたのも、お客だったからなんだろうか。

 やがて蓮司くんが、水とおしぼりを持ってきた。番紅花さんはおしぼりには手を付けず、優雅な手つきでコップを口に運び、一口啜った。そういえば、番紅花さんにコーヒーは出さなくていいんだろうか。出すなら、早めに用意した方がいい気がするんだけど。


「人間の水は、いつもながら混ざりものの臭いがするのう……ところで蓮司よ」

「はい、母上」

「壮華を、迎えに行ってやらんでよいのか?」


 壮華くんはまだ帰ってこない。たぶんカリカリ焼きの材料を、午後十時まで営業してる近くのスーパーへ買いに行ったんだと思うけど、距離を考えればそろそろ帰ってきそうな気はする。

 けれど蓮司くんは、番紅花さんの言葉を聞いて血相を変えた。


「……行ってまいります。七葉、後は頼んだ」


 さっきの壮華くんと同じように、蓮司くんも勢いよく店を飛び出していく。さらには店のお客妖怪さんたちまでが、追いかけて走って行ってしまった。薄暗い店の中に、私と番紅花さんだけが残された。

 何がどうなっているのか、さっぱりわからない。ひとり番紅花さんだけが、うっとりするような微笑みを浮かべながら、一口ずつゆっくりと水を飲んでいる。


「あの……すみません」


 思い切って、訊ねてみる。


「何があったんでしょうか」

「ふむ、人の子にはわからぬか」


 侮る口調をかすかに感じ、訊ねたことを少し後悔する。でも、わからないものはわからない。


「わからないので、訊ねています。私、お狐様じゃないですから」


 番紅花さんは、水を二口、見せつけるようにゆっくりと啜った。そうしてようやく口を開いた。


「近くに、『影』がおる」


 一瞬、息をするのを忘れた。


「えっ!? じゃあ、れん――息子さんたち、大丈夫なんですか!?」

「さあ、わからぬのう」


 他人事のように言いつつ、番紅花さんは微笑みを崩さない。


「まあ、あの程度の穢れに呑まれるようなら、あやつらもそれまでよ。駒としては使い物にならん」


 駒、の言葉が、頭の芯の方に突き刺さる。頭が真っ白になって、次の言葉が出てこない。

 蓮司くんと壮華くん、のことだよね。なんで、どうして、この人、ふたりのことをそんな風に言えるの――


「えと……息子さん、なんですよね……?」

「似ておらぬか。まあ、人じみた姿は仮のものゆえ」

「そういうことじゃなくて!」


 叫んだ後で、テーブルに身を乗り出していることに気付く。失礼だ、とは思った。けど、後に引くこともできなかった。


「息子さんを、『駒』なんて呼ぶんですか……?」

「まるで、呼んではならぬかのような言い様じゃな」

「だっておかしいでしょう! 番紅花様、あなたは息子さんを――」


 何だと思ってるんですか、と言いかけて、言葉に詰まる。

 うちの父さんと母さんにとって、私って何だったんだろ。一人じゃ何もできない、できそこないの子供。梢と違ってかわいくない子供。

 親は子供を大切にするものでしょう――と言い切れたなら、どんなに幸せだったろう。でも、言えない。言えるわけがない。

 だとすれば、いま、私は何を言えばいいのか。わからないから、黙り込むしかない。


「息子や娘を駒と為すのは、至って普通のことであろう。人の子らも、息子や娘を娶らせ娶り、駒として使っておるではないか」


 いつの時代の話ですか、と糺すのは、きっと無意味なんだろう。妖怪の時間は、きっと人間の時間と尺度が違う。もう何も言えなくなって、うつむくしかできない。テーブルの木目のぐるぐるを見ているしかできない自分が、悔しい。

 突然、店のドアベルが高く鳴った。振り向くと、人影がひとつ、店の中に倒れ込んでくるところだった。見える背中が黒く焦げている。灰の臭いが、かすかに漂ってきた。

 全身が凍りつく。あわてて駆け寄ると、人影は身を起こした。さっきまで店にいたお客妖怪さんの一人だった。黒い煤のようなものが付いた顔を起こしつつ、お客さんは身体の下から何かを引っ張り出した。

 デニムのショルダーバッグと、オフホワイトのエコバッグ。ショルダーバッグは、壮華くんが掴んでいったものだった。顔から血の気が引くのが、自分でもわかった。

 お客さんは、エコバッグを私の手に押し付けた。


「坊ちゃんが……これだけは守れと」


 開けてみた。

 ウスターソースが一本。大量の油揚げとネギ。無造作に挟まった白いレシート。

 頭の中が真っ白になって――気付けば私は、店の外に飛び出していた。

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