妖怪流、オーダーシート
「蓮司くん……このお店、お酒扱ってた? あと毒とかは?」
「酒は今はないな。昔はバータイムもあったんだが、だいぶ前に休止してる。で、毒?」
切れ長の目でじっと見つめられると、心の奥の方まで見透かされるみたいだ。無言で、あんたの記憶は正しいのか、と、訊かれている気がする。
「……ごめん。たぶん、私の聞き間違い」
だめだ、もういちど訊き直してこよう――
踵を返すと、蓮司くんに肩を掴まれた。
「見せてみろ」
泣きそうになりつつオーダーシートを見せれば、ああ、と蓮司くんは大きく頷いた。
「そういうことか……用意するから少し待ってろ」
「え、でもここ、お酒も毒も扱ってないって――」
立ち尽くす私の前で、蓮司くんは冷蔵庫を開けて、手早く飲物を注いでいく。見る間にフレッシュオレンジジュースと、グラス半分のアイスココアがカウンターに並んだ。
「これを三番テーブルに――」
カットオレンジをグラスの縁に刺しながら、蓮司くんは言う。
「こっちは五番テーブルに頼む」
グラス半分のココアには、モンブランが一皿添えられた。
何をどう解釈すれば、あのオーダーがこのメニューに化けるんだろう。釈然としないものを感じつつ、持って行く。
「お待たせしました。純米大吟醸『玉藻』でございます」
オレンジが刺さったグラスをコースターに乗せると、小太りのおじさんは手を叩いて喜んだ。
「君も、『玉藻』を飲んだことがあるのかな?」
オレンジジュースなら、もちろん飲んだことがある。
「あ、はい。それはもちろん」
笑いを作りながら答えると、小太りのおじさんはお腹を叩いて大笑いしはじめた。
「なんと! 君は人間なのに、あの霊酒を飲んだことがあるのかね!! これは侮れぬなあ。愉快愉快」
椅子を揺すって笑うおじさんに、どう答えればいいのかわからない。一礼だけして、五番テーブルへ向かう。
「殺生石の欠片と毒の水でございます」
痩せ型というより痩せすぎのお兄さんは、置かれたモンブランとココアを不機嫌そうにぎろりとにらんだ。頬のこけた顔の中で目玉だけが浮いていて、眼光がちょっと怖い。
「なあ、知ってるか。殺生石ってのはな、人を殺せるんだぜ」
「あ……はい、そうだと思います」
答えに困っていると、お兄さんは私に向けて、置いたばかりのモンブランを突き出してきた。
「欠片でも死ぬんだぜ。……やってみるか」
お兄さんは、モンブランのてっぺんから栗を落とした。白いクリームがついたままの栗を、フォークで刺して、私の顔の前でひらひらさせた。
「食ってみろよぉ。こいつがほんとに、殺生石の欠片なのかよぉ」
出目金みたいな顔つきで迫られると、なんだか本当に、食べたら死にそうに思えてくる。普段なら走って逃げるところなんだけど、お仕事中にそれもできない。
どうしようもなくなって小さく頷くと、お兄さんは私の手にフォークを押し付けた。目をつぶって口に入れると……香ばしい栗と、糖蜜の味がした。
「うめぇだろぉ。坊ちゃんらの西洋菓子は最高だぜぇ」
お兄さんは心底愉快そうに、大きな目を細めてけたけた笑っていた。
ばくばくいう心臓を落ち着かせながら、私はカウンターの中に戻った。いまのところ、新規のお客さんが来る気配はない。
「今はまだ余裕があるが、ランチタイムには忙しくなる。少し休んでおけ」
相変わらずミルで豆を挽きながら、蓮司くんが言う。ハンドルを回す蓮司くんの手つきはとてもやさしくて、お客としてアルカナムに来ていた時も癒されていたけれど、今も、見ているとちょっと落ち着く。
「お客さん、たくさん来るの?」
「日によってばらつきはあるがな。それなりには」
妖怪さんたちの注文って、全部こんな感じでわけがわからないんだろうか。カウンター席に座って肩を落とす。
「ずいぶん疲れたようだな」
お客さんの悪口を声に出すわけにもいかず、黙って小さく頷く。
「妖怪の言葉は、人の言葉とは違うからな……人の言葉と違って、言いたいことの全てが表れてはいない。年月を共にしたものだけが、奥底の真意に触れられる」
「あの注文……意味、わかるんだ」
挽き終えた粉をミルから取り出しつつ、蓮司くんは首を横に振った。
「すっかりわかるわけではないが……皆、長い付き合いだからな。昔のことを思えば、言いたいことは見えてくる」
「……うらやましいな」
今はいない父さんと母さんのことが、ふと頭を過ぎった。生まれてからずっと、就職して家を出るまで一緒に暮らしてたはずなのに、ちっともわかりあえなかった。お互い妖怪なら、話は違ってたんだろうか。それとも、十数年程度の年月なら変わりはなかったんだろうか。
「私は人間だからさ。妖怪さんたちの注文、わからないよ」
「七葉、あんたはそれでいい。純米大吟醸も殺生石も、いきさつを話そうとすれば、終わるまでに昼と夜が三回ぐらい巡るからな。人間の寿命ではやっていられないだろう」
カウンター越しに、蓮司くんが私の手を取った。浅黒い両手が、私の右手をがっしりと包んでくれる。まだコーヒーになっていない粉の香りが、ふわっと立ち上ってきた。
「あんたの……七葉アルバイトの役割は、注文を取ってきて俺たちに伝えることだ。そのことだけ、しっかり考えてくれればいい。あとは俺たちに任せておけ」
なにかすごく、もやもやする。意味の分からない言葉を、私はそのまま伝えるだけ。何もわからないまま、言われたことをするだけ。
「……わかった」
テーブルを見ると、オレンジジュースとアイスココアのグラスは空になっていた。食後用の半ココアをお盆に乗せて、私は、空いたグラスを下げに向かった。