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戦歌のアリア  作者: 夜と雨
プロローグ
7/11

第七話

「だめ!!」


 アリアを失う恐怖にアンナは飛び出した。


 次の瞬間。

 ナイフはアリアではなく、アンナの胸に深く沈んでいた。


 その光景にヨシュアは目を瞬かせた。


「……え?」


 何が起きたのか理解できないように、男は固まったままナイフを握っている。


 何かが胸の奥に深く入り込んでいることを感じたアンナはそれを無視。

 アンナは一歩、ふらつきながらも硬直している男の手からアリアを取り戻して蹲る。

 アンナの腕の中に渡ったアリアが小さく声を上げた。


 遅れて、彼女の胸からナイフが抜けて、胸の奥から赤いものが溢れ出して熱が広がる。


「あぁ……良かった…」


 アンナは自分の怪我も顧みずにアリアに視線を落とした。腕の中のアリアは不思議そうな顔をしてこちらを見ている。


(…温かい)


 その姿を確認して怪我がないことを知ると慈愛に満ちた表情を幼児に向けて小さな頬に指で触れる。


「アリア様」


 アンナは自分がすでに助からないことを頭で理解していた。

 だからこそ言葉を紡いだ。

 まだ言葉は理解出来ていないアリア。

 しかし、幼児はただ真っ直ぐな瞳でアンナ見つめていた。その姿は彼女の言葉を待っているようにも見えた。


「…強く、生きてくださいね…」


 彼女は願う。

 自分がこのまま息絶えようとも。


(…やっぱり可愛い…)


 視界が霞む中、アリアをもう一度見る。

 その時、小さな手がアンナの頬に触れた。


「……」


 アンナは少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。


(…私も…結婚して幸せに暮らしたかった、なぁ…)

 

 そうして急速に意識は遠退いて、力は抜けていく。

 しかし、体はアリアを窒息させないよう避けて、最後は地面に伏した。

 アンナの唇には微かな笑みが残っていた。


―――――――――――――


 森は痛いほど静まり返っていた。

 雨上がりの水滴が葉から落ちる音だけが響く。

 

 目の前で血の海に横たわっているアンナ。

 そして腕の中でアンナの頬に小さな手で触れているアリア。

 ヨシュアは呆然として、しばらくその光景を眺めていた。


「……はは」


 ヨシュアの口から知らぬ間に乾いた笑いが漏れる。

 視線を落とすと最愛の人の血で汚れたナイフ。

 最悪の結末を理解して呼吸が止まりその場に疼くまって頭を抱える。


「ア、アンナ…!どうして…こんな…」


 カランと音がして手からナイフが滑り落ちた。

 視線をナイフに、そしてアンナへと向ける。

 嘘だ、と口の中で繰り返すヨシュア。


「そうだ…ぼ、僕は…!僕は…わ、るくない…!」


 ヨシュアは震える手で血塗られたナイフを拾う。

 ナイフを握り締めて、アンナの腕の中のアリアを睨む。


「アンナの…い、や…こ、こいつのせいだ…」


 ヨシュアは呟きながらふらふらと這うようにアリアを目指す。

 男に残されたのはただ全てを拒否する、それだけだった。


 アンナの腕の中でアリアは泣いていなかった。

 ただ、動かなくなったアンナの顔を見つめている。

 小さな手が、何度もその頬に触れる。


「あぅ…」


 アンナの返事はない。

 もう一度、触れる。

 それでも動かない。


「……」


 ほんの少しだけ、アリアの顔が歪む。


 そして。


「――ぁ、あ……」


 堰を切ったように、泣き声が森に響いた。


 ヨシュアの耳にも泣き声が刺さる。

 その声に男は更に激昂した。

 少しでも早く、声の発生源を黙らせようとアリアを掴む。

 アリアは驚いたのか泣き声に激しさが増した。


「うるさい!お前のせいでアンナは死んでしまったんだ!」


 決して泣き止むことのないアリアを睨みつける。

 この小さな生命のせいでアンナは死んだ、殺されてしまった。


「罪を償え!!」


 男は身勝手な理論と共にナイフを高く振り上げる。


 アリアは泣いていた。

 ただ、必死に泣いていた。


「――――ッ!!」


 その瞬間。空気が、震えた。


 否。

 

 震えたのは空気だけではない。


 木々がざわめき、地面の水溜まりが波紋を広げる。

 葉に残っていた雫が、音もなく宙に浮かび上がった。


「……な、に……?」


 ヨシュアの喉が引き攣る。

 ナイフを振り下ろすのも忘れて、周囲の異変を目の当たりにして動きを止めている。


 そう、アリアの泣き声は、ただの泣き声ではなかった。

 ヨシュアは耳に届いているはずなのに、直接、脳を掻き回されているような感覚に襲われる。


「――ぁあああああッ!!」


 衝撃が、来た。

 一拍遅れて、森が軋んだ。


 見えない何かに叩きつけられたように、ヨシュアの体が宙を舞う。

 肺の空気が一瞬で吐き出され、地面を転がった。


「が……ッ……!」


 耳鳴りがする。いや、違う。

 何も聞こえない。


 世界から音が消えていた。


 いや、違う。

 自分だけが世界から切り離されたようだった。


 男は何とか体を起き上がらせた。

 まだ、周囲の異変は続いている。

 ヨシュアには聞こえていないが、きっとアリアの泣き声も続いているのだろう。

 聞こえないことが、ただ恐ろしかった。


「ひ…た、たすけて…」


 無様に這いずってアリアから離れていくヨシュア。

 飛ばされても手に握っていたナイフなどもう役に立つとは思えなかった。

 むしろ自分が逃げるのに邪魔になる。

 男はナイフを急いで手放すと自由になった両手で立ち上がる。


 しかし、頭が揺れて廻っている感覚にすぐ倒れてしまう。

 ヨシュアは立ち上がるのを諦めて、アリアから少しでも遠くに逃げようと必死になって這っていく。

 

 耳は未だに聞こえていないが、何処まで逃げても耳鳴りのようにアリアの泣き声が鳴り続けていて這うのを止めることはなかった。


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