第九話
男はアリアを抱えたまま、家路に着いていた。
陽は随分前に沈んで周囲は暗闇に包まれていた。
月明かりと夜目を頼りに進んでいく。
途中に何度か川を越えて、山を迂回して、最後に広大な森を進んだ先の更に先。
男の住居は人里から遠く離れた森の中にポツンと立っていた。
木を組んで造られた住居の煙突からは煙が立ち上っている。
ガラス窓からは光が漏れていて男以外にも住人がいることが分かる。
「帰ったぞ、ナタリア」
言葉と共に男が自宅のドアを遠慮することなく開いた。
中には男の妻と思わしき、20歳台の女性―ナタリアがリビングの椅子に腰掛けていた。
「遅かったね。ロブ」
ナタリアはドアから入ってくるロブを出迎えた。
疲れた顔のロブは自分の腕の中の白い布に包まれたものを女に渡して弓などの装備を家の壁に吊るしていく。
「なんだい、この子は?」
ナタリアは渡された布をの中身に驚いた声をあげて男に説明を求める。
男はすぐには答えずに、樽からエールを注いで机に置いた。そして木のお椀にシチューを注いでナタリアの向かいの椅子に腰を下ろした。
「森で獲物を探してたらよ、変な感じがしてな?」
スプーンでシチューを口に含むと話し始める。
温かいシチューが疲れた体に染み込んでいく。
口の中で味わうと飲み込んだ。
「変な感じ?」
「森が異様に静かになってよ…いや、ざわめいたってのか…?まぁそんな感じだよ」
ナタリアに説明しながらも上手く言葉に出来なくなり説明を省いたロブ。
「全く…それじゃあ、わかりゃしないよ?」
ロブの様子に呆れ果てて笑うナタリア。
「…細ぇこたぁ良いんだよ」
そう言ってまた一口飲み込んだ。
要するによ、と前置きをして言う。
「そのガキは見てくれが良いからよ、だから育てて売り払おうと思ってよ」
ロブはナタリアに抱かせた幼児をスプーンで指す。
「育てる?うちにそんな余裕あるもんかい」
「ある程度、育ったら家のことをさせて、用済みになったら売ったら良いじゃねぇか」
お前だって楽できるだろ?と言うとナタリアと机に立て掛けてある杖を交互に見た。
「…ナタリア、俺たちゃ街に行けばお尋ね者だ。狩りで暮らすにしたって限界はある」
自給自足をするにもロブは本来狩人ではないし、この住居は前の住人を騙して手に入れた物だったため、敷地内の畑も手付かずのまま放置されている。
しかし、街からは遠いのでお尋ね者の隠れ家としては悪くはなかった。
かと言ってお金がなければ生活品も手に入れることが出来ない。
金なんてもんはいくらあったって困るもんじゃねぇからな、とロブはエールをグイッと煽った。
「そりゃあまぁ、そうだけどねぇ…」
ナタリアは胸の中の幼児を見る。
渋々ではあるが、声に反対する響きはなかった。
「じゃあ決まりだな、ナタリア」
「…わかったよ…ったく…」
ナタリアは丸め込まれた腹いせに、ロブのエールをサッと奪うと飲み干して、視線は無意識に幼児へと落ちた。
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「ところでこの子の名前はなんて言うんだい?」
不慣れな手つきで幼児に山羊の乳を与えていたナタリア。
「あぁ…知らねぇな」
ロブはシチューを食べ切ってお腹を摩っていて、気怠げに答える。
「…まぁそうだろうねぇ」
当然、ロブが知らないのは予想していた。
ナタリアは幼児が身に付けているもので何か判断出来るものがないか確認する。
と言っても幼児が身に付けられるものなど、衣服か包みの布くらいしかない。
「ロブ。この子はアリアっていうみたいだよ」
確認してすぐに幼児を包んでいた白い布の端に小さく『アリア』と刺繍されているのを発見する。
そのことをロブにも伝えるナタリア。
「んん…?売り飛ばすんだから名前なんて何でも良いだろ」
ロブは椅子の上で半分眠りながら、どうでも良さそうに返事をする。
「アンタねぇ…それにしたって名前がないと不便だろ」
「…あぁ…なら、任せた、ぜぇ…」
そう言うとロブは完全に寝入ってしまった。
「寝るならベッドに行きなよ」
男が起きる気配はない。
ナタリアは溜め息を吐くとアリアの食事に集中することにした。
「ほら、ちゃんと飲みな…ったく、小さいのに手がかかるねぇ」
そうやってぼやきながらアリアが満足するまで食事を与え続けた。




