第一話
トリテレイア王国。
王国を大きく囲むような形で配置された八大貴族の領土の一つ。
北東部に位置するアンバー領の更に奥。
隣国との境界線近くに建てられたアンバー家の屋敷は何者かの襲撃を受けていた。
アンバー家の当主であるローアンは執務室に侵入した襲撃者を何とか撃退することに成功したが、屋敷内の襲撃が収まった様子はなかった。
そしてローアン自身は襲撃者の連携の取れた動きで肩に傷を負わされてしまった。
傷の具合を確かめながら、倒した襲撃者を見やる。
めくれた袖から灰色の狼の刺青が映る。
「……この刺青は?」
ローアンは微かに刺青に見覚えがあった。
刺青の詳細を思い出そうした時、執務室のドアが勢いよく開かれて、誰かが飛び込んできた。
「ローアン様!」
そこには見知った顔。侍女のアンナであった。
ローアンは深く息を吐くと咄嗟に構えた剣を下げた。
「怪我をされたのですか!」
アンナはローアンの傷を見ると表情を変えてローアンに駆け寄ってきた。
「そこまで深くはないよ。それより状況はわかるかな?」
アンナは何処からか包帯を取り出すと手当てをしながら答える。
「わ、わかりません…と、突然のことで…」
アンナは正確な処置をしながらもローアンの質問に答えた。
「そうか…ルーナやアリア、それに他の使用人たちは?」
この屋敷の中にはローアンの妻であるルーナに先月誕生した娘のアリアもいる。
そして屋敷にいる使用人たちは古くから共に過ごしていたため、彼にとって家族も同然の存在であった。
それを知っているアンナはいっそう暗い顔になり首を横に振った。
「わ、私はヨシュアさんに逃がしてもらったのでここまで来ることが出来ましたが…ルーナ様やアリア様…他の皆様の安否は…」
わかりませんと小さく呟いたアンナにローアンは優しく、アンナが無事でよかった、と声を掛けた。
包帯を巻かれている間、先程の刺青についてもう一度記憶を辿る。
(あの刺青…何処かで見たことがあるけど思い出せない…)
(恨み…?いや、全く覚えがないけど…)
貴族をやっている、ましてや八大貴族の一つである以上は誰かに恨まれる可能性はあるか、と理解するローアン。
(理解したとしても、納得出来るわけないよね)
ローアンは襲撃者に、そして今回の悲劇を起こすように依頼した誰かに対して憤る。
「では、僕は行ってくるよ。アンナはここで隠れているんだ」
そうして、アンナの手当てが終わった頃を見計らってローアンは立ち上がると自身の剣を拾い上げて帯剣して執務室のドアに歩いていく。
妻や娘のいる寝室に駆け付けたい気持ちはあったが、襲撃者がいる以上、皆を守るためにも撃退をするべきだと考えたローアンは屋敷の地図を脳内で広げて、襲撃者の気配がする方に向かう事にした。
「ま、待ってください、ローアン様。何処に向かうのですか…?」
執務室のドアに向かうローアンを見て、アンナも慌てて後を追い掛ける。
彼女の声はまだ少し震えていた。
「私は襲撃者を片付けてくる。アンナはルーナの元に」
「ローアン様…ますばルーナ様たちのとこに向かいませんか…?」
ローアンの足が向かう先がルーナたちがいる寝室でないことを知ったアンナはローアンに声を掛ける。
ローアンはアンナの提案に足を止めて振り返ると彼女は命を奪われかけた恐怖心からか侍女服のスカートを握り締めて震えている。
「ローアン様が私たちを大切にしていただいていることはわかっています。ですが私たちより先にルーナ様たちを安心させてあげて欲しい…です…」
アンナの絞り出すような言葉にローアンは考え、結論を出した。
「…そうだね、ありがとう。そうしよう」
襲撃者がまだ屋敷内にいるにも関わらず、やけに静かな屋敷を不審に思いながらもアンナの言葉に頷いた。
そして気を取りなおすように頭を振るとドアの外の気配を探って誰もいないことを確認して外に出た。
「アンナ、無理しないで、着いてきてくれ」
2人はルーナがいる寝室に向かって行った。
―――――――――――――
寝室に到着したローアンが寝室のドアを開けると彼めがけて花瓶が飛んできた。
思わず避けそうになったローアンは花瓶が割れて音を立ててはまずいと思い直してそれを受け止めた。
アンナは突然の花瓶の強襲にローアンの後ろで固まっていた。
「あ、ローアン…?」
手の中の花瓶から室内に顔を向けると、そこには次の花瓶を手にとって構えた妻ルーナがいた。
ローアンを視界に捉えたルーナは安心したようにしゃがみ込んで、怖かったとこぼした。
「怪我はない…みたいだね」
ローアンは花瓶を床に置くとルーナに駆け付けて、彼女の無事を確認して震える彼女を抱きしめた。
そして、ベビーベッドに寝ている娘アリアにも怪我はないようで改めて安心する。
「ローアン。一体何が起こっているの…?」
ルーナは不安そうにローアンに訊ねる。
「わからない…いや、何者かに襲撃されているみたいだ」
「襲撃!?どうしてそんなことに…」
ルーナは状況がわからず混乱している。
嘘をついてでも安心させるべきであることは承知していたが、彼女には嘘をつくべきではないと思い、真実を告げる。
襲撃という言葉に体を強張らせていた彼女を安心させるようにローアンは彼女の背中を叩いた。
「大丈夫、私がすぐに退治してくるよ。だけど、万…いや、億に一つがある…ルーナたちは3人で屋敷から離れていてほしい」
冗談めかして笑うローアン。
しかし、その言葉を最後まで聞いたルーナは彼の腕の中で僅かに震えると拒否するように見上げた。
「そんな…貴方を置いて行けるはずがないわ」
彼女の真っ直ぐな視線から目を逸らすようにローアンは窓の外に目を向けて、屋敷の外に襲撃者の姿がないことを確認する。
そして時折、暗闇を照らす雷からルーナを再び見ると優しく微笑む。
「今ならまだ、こっそり抜け出せる」
ローアンの声には拒否は認めないという強い決意が秘められていた。
それがわかってしまったルーナは視線を彷徨わせて、弱々しく頷くしかなかった。
「ありがとう。愛しいルーナ」
そう言ってルーナの額に口付けすると、ベビーベッドにいる我が子に視線を移す。
幼子は騒がしい音や襲撃者にも反応せず、すやすやと眠り続けているようだった。
「…アリアは将来、大物になるね」
「…ええ、そうね。私たちの娘だから」
苦笑いを浮かべあう二人。
ローアンは立ち上がってベビーベッドを覗き込むと起こさないようにそっと頭を撫でる。
「アンナ、2人を頼んだよ」
ローアンは部屋の隅でまだ震えているアンナに声を掛ける。
その時、屋敷中に大きな声が響き渡った。




