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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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散る命、進む歴史【肆】


ゆらゆら、揺れる。


小舟で揺られるように遠退いていく、記憶の欠片。それを掬い上げようとしても、全て掬えずに自分の身がその場に沈んでいく。


木を、草を掴めばそれは塊となって手に纏わり付いた。ドロドロと嫌な記憶が塗り固められた緋色の――水溜まり。


振り払おうと手を上げたら


「――おら、起きろ。チビ助」


「いたぁっ!?」


鋭い衝撃で目が覚めた。


雛乃は片手で頭を抑え、もう片方の手で畳を叩き声にならない悲鳴を上げる。

幾らか痛みが引くと、雛乃は勢い良く起き上がり叩いたであろう人物を睨み付けた。


「何するんですかっ! これ以上、背が伸びなくなったら責任取ってもら……え? あれ? に、新見さん?」


「ぐーすか寝過ぎなんだよ、てめえは。お陰で酒が不味くなっただろうが」


呆れた表情で自分を見下ろすのは紛れもなく芹沢派の一人、新見だった。寝起きという事もあり、状況が上手く理解出来ない雛乃は首を横に傾ける。



「え? 何で新見さんが? 私、楠さんと通路にいた筈なのに……」


「ああ? 楠なんざ知らねえよ。桂からの餞別っつって伝言残し、藤森の忍がお前ぇを置いていきやがったんだ」


何が餞別だ、と吐き捨てるように新見はぼやくと、近くに置いていた徳利へ手を伸ばした。


(……桂さん、藤森の忍? ああ、そっか、確か話の途中で眠らされて……。つまり此処は、山緒の一室……)


雛乃は新見の言葉に漸く現状を理解する。そして、自分に掛けられていた羽織を退けようと手を伸ばし、座敷に漂う独特の匂いに気付いた。

新見が暴飲している酒とは別に漂う甘い香り。酷く嫌な予感がして、雛乃は眉を寄せた。


「……新見さん。この座敷、先程まで誰かいたでしょう」


「ああ、抱いていたからな」


酒を口に流し込みながら、新見は平然とそう口にした。主語は無いが、この残り香に着崩した新見の着物を見る限り、恐らく雛乃の予想は間違っていない。


「敢えて、そこはちょっと濁したりしません? 年頃の娘がいる前で失礼ですよ」


「はっ、誰が年頃だ。ひよこ並みにチビで色気も無いてめえなんざ、まだまだ女じゃねぇよ」


「……ッ、言ってくれますね」


酷く反論したい所だが、男性経験の無い雛乃にこれ以上の言葉は浮かんで来なかった。男って奴は……と呆れた息を吐くと、雛乃は新見を見据える。


対する新見は、盃に注いだ酒を飲み干し声を上げて笑う。紅潮している様から、かなりの酒を摂取しているようだ。


かつての芹沢のように近寄り難い雰囲気を放っている。自暴自棄に陥ったのかと思ったが、どうやら違うようだ。瞳はちゃんと意志が宿っている。理由あっての行動らしい。


「やはり屯所には、もう戻らないつもりなんですか」


「ああ、その方が奴等もやりやすいだろうよ。……先生には悪いが、俺は此処で散る」


八月十八日の政変後、大人しくなった芹沢とは対照的に、金策を派手に行い始めたのは新見だった。局長から副長に降格された腹癒せと周囲は噂していたが、真実は違う。


全ては芹沢を思っての行動だった。


市中で散々悪行を働いてきた自分達の末路など、とうに分かっている。何れ会津から沙汰があるだろうと考えていた。


そして、先日。近藤・土方が会津候に呼び出され、その後あの局中法度が張り出された。確実に芹沢派を処断する為に作られた鉄の鎖。鬼の掟。


「先生は満足してらしたがな、俺は最期まで足掻くつもりだ。そうすりゃ、誰よりも先に逝けんだろ」


筆頭局長である芹沢をそう簡単に殺らせはしない。法度の最初の犠牲になるのは自分で良いと、新見は思っていた。佐伯の件もある。誰も不審に思わない。


新見は誰よりも芹沢を尊敬し、慕っていた。だからこそ簡単に切腹で人生を終わって欲しくない。


芹沢らしく、豪快に生を満喫し組を去って欲しい。そう願わずにはいられなかった。

酒の所為だろうか。それとも、最期だと分かっているからだろうか。新見は酷く饒舌だった。


「……けど、一人だけそんなに先急ぐと、芹沢さんからお叱りを受けますよ。何故、最期まで付き合わんのかって」


「ふん、チビ助から指摘されなくとも分かってる。だが、先生なら許して下さるさ。土台堅めは済んだ。俺らの役目はもう無い。生きてりゃ荷物になるだけだろうが」


爆弾をこのままズルズルと抱えていれば、確実に浪士組は会津藩の庇護下にいられなくなる。

それを避ける為にも早く消えなければならない。そう、今が潮時なのだ。


新見の言葉を一つ一つ受け止めながら、雛乃は表情を歪ませた。頭では理解出来る。新見は何も間違った事は言っていない。武士として己の信念を通し、命をも賭す――。それはある意味素晴らしい事だと言える。


だが、現代の倫理観、道徳を学んだ雛乃にとってその行動は耐え難いものだった。


「新見さんは馬鹿ですよ……」


「あ? 馬鹿って何だ、馬鹿って。これが最善策なんだよ。どうせ、止めに来たとか甘い考えで来たチビ助なんぞには、到底理解出来――」


鼻で笑いながら雛乃を見た新見の動きが止まる。雛乃は顔を両手で覆い、小さく嗚咽を漏らしていた。


沸き上がる感情。怒りと悲しみ。全てが涙となって滲み出る。止めようとしても止まらない。雛乃は必死に首を横に振った。


「分かっ……てる……分かってはいるんです。こうしないと浪士組は、新撰組は誕生しないって……。でも……でも、やっぱり、生きていて欲しいと願わずにはいられない……ッ」


人の命がどれ程尊いか、どれ程に重いか雛乃は誰よりも知っている。一瞬にして奪われた命。雛乃も本来なら死んでいたであろう、あの事件。


押し寄せる記憶の波と涙でぐしゃぐしゃになりながらも、雛乃は必死に言葉を紡いだ。


「ッ……武士の心得や信念なんて、頭では理解出来ても、心では……理解出来ないんです……。何で、何で、生きようとしないんですか! 何で死んで終わろうとするんですか! ……どんな形でも良いから、生きていて欲しいのに……!!」


捨てて良い命など一つもない。だが、命を捨てれば解決出来る事案が此処に確かに存在する。


望む歴史、望まざる歴史。先を知る事がこんなに辛くなるとは雛乃自身、そう深く考えてはいなかった。


涙は次から次へと溢れてくる。先を知らずに幕末(ココ)で暮らせていたなら、どんなに楽だっただろうか。


「はっ……、俺の為に泣く奴なんざ、もう一人も居ねぇと思ってたんだがな……」


どんな状況下に置かれても、冷静に動き対応していた雛乃がこうも感情を剥き出しにするのは珍しい。新見は驚きを表すと共に、口端をついと吊り上げた。


新見は無意識に手を伸ばせば、そのまま雛乃を抱き締めていた。自分より遥かに小さなその娘を、胸元に引き寄せ強く抱き締める。


思いがけない新見の行動に、雛乃は驚きで声も出せなかった。早鐘を打つ自分の心臓もだが、新見の鼓動がより身近に聞こえる。


新見が雛乃の頭を撫でるように、あやすように叩くが、一向に涙は止まってくれなかった。一息吐き新見は再び口を開く。


「悪いが、その涙は俺じゃなく先生の為に流してやってくれ。俺は何もしちゃいねぇし、慕われる柄でもねぇ。俺は迷惑ばかり掛けてきたしな。組にも、芹沢先生にも、一琉にも。……チビ助、お前にもな」


雛乃は押し付けられた新見の胸元から顔を上げると、新見を凝視した。


「……迷惑って……」


「佐伯の件だ。残ってしまう傷跡つけちまっただろ」


悪かったな、と頭をぐしゃぐしゃと激しく撫でる新見に、雛乃は再び驚き今度は声を上げた。


「ひゃああっ! ちょ、ちょっと、止めて下さいよ!!」


「別に構わねぇだろ。減るもんじゃねぇし」


雛乃の制止も無視し、新見は雛乃の頭を弄り続ける。その表情は何処か楽しげで、先刻までの苛々は滲んでいない。


頭を撫でる掌から伝わる新見の温もり。その温もりも、あと僅かでこの世から消えてしまう。


そう思うと、雛乃は新見の笑顔を直視出来なかった。それを隠すように、袖口で涙を拭く仕草ばかりを繰り返す。



「ッ、新見さんって、酒に酔うと口調が悪くなるんですね」


「あ? ……ああ、これが素さ。京に来てからは先生の隣に相応しいよう繕っていたからな。水戸に居た頃は散々暴れていたんだぜ? 役人でも手を付けられない程に」


何か昔の事でも思い出したのだろうか。微かに鼻で笑うと新見は、雛乃の頭から漸く手を離した。


「少しは落ち着いたか?」


「……はい、多分……」


「ぶはっ。おいおい、鼻水出てんじゃねぇか。……ったく、泣き過ぎだ、馬鹿」


何度も何度も擦り、真っ赤に染まった鼻下から垂れる小さな滴を、新見は自身の袖口で乱暴に拭った。既に擦れていたそこは酷く痛かったが、新見なりの不器用な優しさに自然と笑みが零れる。


いつも眉間に皺を寄せ、嫌味ったらしく乱暴だった新見。そんな彼の新たな一面を何故、今日見つけてしまったのだろう。


別れが余計辛くなるだけなのに。



新見は既に覚悟を決めている。止める隙など微塵も無い。雛乃が何も手を出す事無く新見の命は潰えてしまうのか。


もしそうだとしても、簡単に去りたくはなかった。此処に来た本当の意味を、新見にはきちんと伝えておきたい。


新見は雛乃の鼻下を何度か擦り、綺麗になったのを確認すると雛乃の背中をポンと叩いた。


「おら、用は済んだろ? そろそろ帰れ。早くしねぇと土方らが来ちまう。此処に居ると血に染まっちまうぞ」


新見の言う通り、このまま居れば確実に染まってしまうだろう。浪士組の闇の部分に触れ、引き返す事が出来なくなる。


「……嫌です。帰りません」


背中を押す新見の手を払い退け、雛乃は拒絶を示した。


守られてばかりだった。避けてばかりだった。色彩を望みながら、記憶に恐怖しあの日消えた家族の死から立ち直っていない自分がいた。


「最期まで看取ります。芹沢さんの代わりに、と言ったらおこがましくなりますけど、私にも譲れない思いがあるんです」


向き合いたい。死というものを。新見がそこまでして貫こうとする強き意志を、受け入れてみたい。


「それに、私の用事はまだ済んでませんよ」

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