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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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散る命、進む歴史【弐】

二人が辿り着いたのは、一軒の古い呉服屋だった。客足はそれなりにあるようで、賑わいを見せている。屋号の書かれた暖簾を潜り、楠はその店に躊躇する事無く足を踏み入れた。


(……藤津屋、か。って、あれ? 何処かで聞いた事がある名だけど、何処でだったっけ……)


楠に続き店へと入った雛乃は、店の名前を一瞥し首を傾ける。だが、雛乃の思考が続く前に楠から声が掛かった。


「雛乃、こっち」


「あ、うん」


色取り取りに取り揃えられた呉服には目もくれず、楠は店の奥へ奥へと、進んでいく。


楠と雛乃の二人が一言の断りも無く、店内を自由気儘に歩いているというのに誰も咎める事はなかった。寧ろ、当たり前のように頭を下げて挨拶をしてくる。


雛乃としては、現代の藤森を思い出すようで何だか居心地が悪かった。


次第に暗くなっていく敷地内。客は疎か、店の者さえも滅多に立ち入らない奥まで進むとようやく楠は足を止めた。


「此処を開けてみて」


「この扉を?」


「うん。あ、ゆーっくり開けてね。結構古い扉だから」


目の前に立ち塞がる木製の扉を示し、笑顔でそう告げる楠に、雛乃は眉を寄せる。


藤津屋というこの店は、然程広くはない。楠と雛乃が入口から此処まで歩いて来た距離から察するに、店の縦側の端から端を移動した事になる。


つまり、この先の扉を開ければ店を出てしまう。だというのに、楠は敢えて自分に開けさせようとしている。彼は一体何を企んでいるのだろうか。


(……通路って言ってたから抜け道みたいなものなんだろうけど、何だか、嫌な予感がする……)


雛乃は疑問を持ちながらも楠に言われた通り、木製のその扉をゆっくりと開き――


「ッ、何これ……」


驚愕した。


扉の先は店の外ではなく、薄暗い通路となっていた。其処は雨風を避ける為に屋根と壁を備え付けられ、道の端々に小竹が植えてある。


石畳が敷き詰められたその道と呉服屋を交互を見つめ、雛乃は眉間に皺を刻んだ。


「これが、楠さんが見せたかった通路なんだ……」


「そう。限られた者しか通る事が出来ない。藤森家が管理する、隠し通路だよ」


このような隠し通路は市中の各地に点在する。長屋一帯が通路になっていたり、店の真ん中に道が通っていたり。だが、そのどれもが、外界から簡単に見つける事は出来ない造りとなっていた。


この隠し通路へ至るこの場所へも、一直線に来た訳ではない。一見では分からないように、複雑に入り組んだ箇所を幾つも通って辿り着いていた。


何気なく楠の後方を歩きながら、注意深く周囲を見渡していたのだが。それでも気付かない程に、道程は巧妙に隠されている。


間違っても誰かが、無断で使用出来る状況にはない。


(……なるほどね。藤森の地盤の強さは、コレに支えられていた訳か)


この時代の藤森家は、全国各地、あらゆる裏事情に通じている。情報伝達の早さは勿論、全てにおいて迅速に行動を起こしていた。


それを可能としているのがこの隠し通路。どんな状況下でも、自由に行き来出来る藤森だけが知る道。これを使えば、誰よりも先に事を有利に進めるなど簡単だろう。


そんな藤森の生命線の一つとも言える、隠し通路。一体、この道は何処へと続いているのだろうか。


「さて、何処だと思う?」


「……だから、人の心を見透かしたように問い掛けてくるの、止めてってば……」


楠を振り返り雛乃は不満げに楠を見据えた。楠は気にした風でもなく、そのまま言葉を続ける。


「この通路は市中の各地に繋がってる。まぁ、行き先にもよるけど大概の所へは直通で行けるね」


「っ、じゃあ! 新見さんがいる料亭にも?」


「行けるけど。残念ながら、この道は直通じゃないんだよね」


雛乃を隠し通路内部へと誘導し、楠は呉服屋と通路を繋ぐ扉に手を掛ける。


長州(うち)の定宿に繋がってるんだ」


ガタン、と扉が閉まると同時に雛乃は呉服屋に戻ろうと踵を返す。だが、それは直ぐに楠に阻止された。


「何、帰ろうとしてるのさ」


「……ごめん、つい」


今の雛乃は、長州という単語に苦手意識を持っている。


条件を出した栄太郎が、長州出身という事も起因の一つだが、最大の理由は過去の記憶に関係している可能性があるからだ。


詳しくは分からない。ただ、長州や長州に関連する地域の名前を聞くだけで胸が苦しくなる。懐かしさと後悔、様々な感情が身体中を巡っていく。だが、そこに雛乃の意志は存在しなかった。


記憶を戻したくはない――。

その思いとは裏腹に日に日に増えていく、記憶の断片。芹沢を見届ける前に、記憶が戻ってしまうのではないかという不安が、雛乃の中で燻り続けていた。


いい知れない不安を紛らわすように、雛乃は芹沢派を見届ける事に専念している。藤森の屋敷にいた頃のように、睡眠もきちんと取れていなかった。


眉間に皺を寄せ唸る雛乃を一瞥し、楠は通路の先を見据え顎に手を当てた。


雛乃が嫌がるのであれば場所を変えるべきだろうか。だが、一目だけでも会わせなければ自分の身が危ない。


楠は本来の上司である桂から、ある密命を下されていた。


「……おや? 誰かと思えば、楠君じゃないか。姿が見えないと思ったら、こんな所に居たんだね」


優しく、でも何処か威厳を感じさせる声が通路に響く。其処には此方に向かって歩いてくる総髪の男性――桂の姿があった。桂を見るなり、楠はサッと顔色を変える。例の件があるから尚更だった。


「先生、何故此処に……。宿でお待ち頂くようにと、申し上げていたではありませんか」


「ああ、すまない。やはり気になってしまってね」


桂は楠との会話を一旦区切ると、楠の隣に居る雛乃へ視線を向けた。


「久方振りだね。元気でやっているかい?」


桂の問い掛けに雛乃は目を瞬かせると、肯定の意味も込めて頷きを返す。


雛乃が桂と会うのはこれで二度目だ。前回は藤森の屋敷で、簡単な挨拶を交わした事を覚えている。


桂は偉人の一人ではあるが、雛乃にとっては余り関わり合いたくない人物であった。

苦手意識というのだろうか。感情よりも身体が直ぐに反応を示し、何故かその場から逃げ出したくなってしまう。


柔らかい物腰で穏やかそうな人物、と第一印象は思えたが、直ぐにその印象は変わった。


完璧なまでの笑顔。見え隠れする真意。それだけで苦手な訳ではないのだが、桂を見るとどうしても直視出来ない自分がいた。


そんな雛乃の気持ちを知ってか知らずか、桂は何かと雛乃に構ってくる。それが雛乃には煩わしかった。


「君達も、宿まで来るつもりなんだろう? 良かったら一緒に行かないかい?」


「結構です」


ピシャリと自分の提案を撥ね除けた雛乃に、桂は苦笑を溢す。小さく息を吐いた後、地面に真っ直ぐ伸ばされた雛乃の左手が視界に入りその手を迷わず取った。


「まぁまぁ、そう言わずに。君と私の仲じゃないか」


「どんな仲ですか! って、強く引っ張らないで下さいっ。じ、自分で歩きますから!!」


雛乃は慌てて桂の手を振り解こうとするが、強く掴まれた手は簡単に解く事が出来ない。


雛乃の指摘で力は緩んだが、手を離す気はないようだ。桂に手を引かれながら、雛乃は通路を進んで行く。


チラリと後方を見れば、楠がゆっくりと歩いて来ている。助けて、と楠に視線を向けるが見事に逸らされた。桂は楠にとって尊敬すべき直属の上司。逆らえる筈もなく、大人しく従うしかないらしい。


「折角、再会出来たというのに浮かない顔してるね」


不満そうに眉間に皺を寄せている雛乃を一瞥し、桂は笑みを湛えたまま口を開いた。

桂の言葉に雛乃は顔を上げるも、直ぐに逸らし息を吐く。


「誰の所為だと思ってるんですか……」


「うーん……。あ、もしかして楠君が何か為出かしたのかな?」


「どう考えても貴方の所為でしょう!」


惚けた振りをする桂に雛乃は声を上げるが、桂は気にする事無くニコニコと笑っている。この状況を、楽しんでいるかのように。


石畳に響く足音。僅かな灯りを見つめながら、雛乃は再び桂を見据えた。


「回りくどいのは嫌いなので、はっきり言います。楠さんを使って、私に会おうとした理由は一体何ですか」


「……はは、流石に鋭いね」


桂は動揺を見せる事無く朗らかに笑っていた。足を止め、握っていた雛乃の手を一旦離すと雛乃の方へと向き直る。


「楠君を使って、君を此処へ誘導した事は認めるよ。だが、それは君の……、雛の安否が気になったからで、企図しようなどとは考えていない。それとも何かな? 雛は私が何らかの意図を持って此処に来たと、そう思っているのかい?」


見下ろされる視線。鋭く射抜く高圧的な態度ではない笑顔の桂だが、その瞳は笑っていないように見えた。


利用し利用される。そんな大人達に囲まれて育った所為か、雛乃は人の思惑や行動を敏感に感じ取ってしまう。


(……だから、その目が苦手なんだって……。全て見透かされてるようでいて、此方からは踏み込めないような雰囲気を漂わせてるんだもの……)


桂はこの幕末を生き抜いた数少ない人物。常に冷静に状況判断を行っている筈だ。役人らに遭遇し追われていても、刀を抜かずに逃げ続けていたのは状況を把握し、行動していたからに他ならない。


そんな彼が偶然を装ったとはいえ堂々と会いに来たのだ。何も無い方が不自然に思える。

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