散る命、進む歴史【壱】
――九月十三日。
その日は、見事な秋晴れだった。
「……数日したら、雨になるのかなぁ……」
庭に溜まった落葉を箒で掃きながら、雛乃は小さく息を吐いた。
秋晴れは長続きしない。必ずと言って良い程に天気は崩れる。
雨、と呟き雛乃は空を仰いだ。
着実に刻は進む。どんなに足掻こうとも、此方を嘲笑うかのように進んでいく。逆らう事など出来る筈がないと思わせる程に。
新見は現在、祇園の料亭“山緒”にて遊蕩しているという。料亭の名に雛乃は聞き覚えがあった。その場所で、新見は命を終える――。
新見が事切れる瞬間を想像してしまい、雛乃は首を横に振った。
歴史を変える事はしない。だが、やはり目の前で消えていく命を傍観し続ける事は出来なかった。
(……やっぱり行かなきゃ。どんな手を使ってでも新見さんに会い、伝えなきゃいけない……!)
雛乃が思考を止め、掃き掃除を早めに済ませようと向きを変えた時だった。気配を感じ雛乃は瞬時に振り返る。そこには目がぱっちりとした美形の少年が立っていた。
「……ははっ、流石に気配には敏感だね。話し掛ける前に、気付かれてしまった」
苦笑を浮かべ、頭を掻く少年――彼の名は楠小十郎。浪士組の隊士で長州の間者の一人でもある。
楠は藤森と長州、そして雛乃を繋ぐ仲介役を担っていた。この事実は楠と雛乃しか知らない。楠は一隊士として雛乃と接し、雛乃も女中の立場から楠と接している。
怪しまれないように行動しているつもりだが、山崎辺りには感付かれているかもしれない。
「楠さん、どうしたの?」
「俺の事は呼び捨てで良いと、何度も言ってるんだけど……まぁ、いいや。今日の買い物は俺が付き添うから。何処に向かう?」
楠の言葉に雛乃は目を瞬かせた。
「楠さんが? てっきり、沖田さんが来るものだと思ってたのに……」
「それが、沖田助勤は所用で出掛けるらしいよ。副長と共にね。不満そうに、ぼやいてたなぁ」
不貞腐れるように土方の私室に向かう沖田の姿を思い出したのか、楠は笑みを溢した。だが、雛乃は対照的に表情を曇らせると、箒を強く握り締める。
「……やっぱり、今日決行なんだ」
「え? 何か言った?」
聞き取れなかったのか聞き返す楠に雛乃は首を横に振ると、襷掛けていた紐を解いていく。
恐らく、先日から山崎の姿が見当たらないのは新見が居る料亭を見張っているからなのだろう。
近日中に動きがあるとは思ってはいたが、史実通りに訪れた粛清の日。
佐伯が自分を襲ったように食い違いが起きれば良いと何度願った事か。やはり、歴史の流れはそう簡単に変えられないようだ。
結果は変えられなくとも、やれる事はある。
雛乃は袖や裾に付いた土埃や落ち葉を払い着物を綺麗に直すと、手に持っていた箒を楠に渡した。
「源さんに許可と金子を貰ってくるから、楠さん後始末をお願い」
「良いけど。結局、買い物は何処に行くの?」
「……秘密っ!」
踵を返し、雛乃は足早に井上の居る土間へと急ぐ。土方や沖田が出掛けるよりも早く行動しなければ、新見と会う事は不可能となってしまうかもしれない。
だが、壬生から祇園までは結構な距離があった。籠を使えば幾分か早く着くだろうが、近隣に買い出しに出掛けると思われている手前、利用は難しい。
現代の動きやすい洋服なら足早に動けただろうが、生憎、雛乃は幕末に来た時から着物を着用している。つまり洋服を一着も持っていなかった。
(……でも、洋服だと逆に目立ちそうだし、着物で行くしかないんだよね。歩幅を改善するなら、袴があれば多少は楽になりそうな気がするけど……)
金銭的に苦しい浪士組だけに予備の袴などあるわけが無く、土方達に頼み調達するにも時間が無い。
要するに今ある知恵と能力だけで、この状況を打破するしかないのだ。
思考を重ねても良い案は出て来ない。こうなったら、楠の着物を借り男装するべきだろうか。
結論が出ないまま歩いていると、土間から此方へ出て来る井上の姿を捉え声を上げた。
「源さん!」
「ん? ああ、雛ちゃんかい。話は聞いているよ。買い出しに行くんだろう? この巾着に金子は入れてるから。落とさないように気をつけるんだよ」
「はい。ありがとうございますっ」
巾着を受け取り中身を確認すると、雛乃は頭を下げた。井上は頷くと、にこにこと優しい笑顔で雛乃の頭を撫でる。
「療養中は外出もしてなかったんだろう? 気分転換も兼ねて楽しんで来ると良い」
「源さん……」
井上の優しさに、雛乃は胸が熱くなると同時にチクンと胸が痛んだ。
雛乃はこれから気分転換どころか、泥沼の現場に踏み込もうとしている。下手すれば土方達と対峙しなければならない状況に直面するかもしれない。
井上の優しさに、思わず逃げてしまいたいと怯える弱い自分の心に叱咤し、雛乃は井上に向けて笑みを返した。
「気を付けて行ってきます。源さん、夕餉の支度お願いしますね」
「ああ、任せてくれ。おや? 今日の付き添いは楠君なのかい」
「へっ?」
雛乃が井上の視線の先を辿るように振り向くと、そこには刀を差した楠が立っていた。
「けっ、気配を消して来ないでよ」
「あははは。ごめんごめん。先程は簡単に見つかったからね。そのお返しにやっただけだから」
気配には敏感な雛乃だが、不意を突かれると上手く反応出来ない。それが悔しかったのか不満そうに唇を尖らせる雛乃を見て、楠は可笑しそうに目を細めた。
そんな二人を交互に見つめた後、井上は楠に声を掛ける。
「そうかそうか。楠君、雛ちゃんを頼むね。雛ちゃんは油断すると迷子になっちゃう子だから」
「ちょ、源さん!」
井上の言葉に、楠はたまらず吹き出した。
「ま、迷子……! その年齢で迷子……!! でも、似合うというか、妙に納得できるというか……ぶふっ!」
楠は笑いを隠すように口に片手を当てているが、全くと言って良い程に隠せていない。小刻みに震える肩と時折此方を見る視線が、全てを物語っていた。
「……笑うなら、堂々と笑ってよ。そんな態度されると余計に傷つく」
「あははっ、ごめんごめん。いやぁ、本当に面白いよね。雛乃は」
気が済んだのか、楠は笑い過ぎて滲んだ涙を拭うと雛乃の頭にポンッと片手を置く。井上と同様に楠に頭を撫でられた雛乃は、不機嫌そうに眉を寄せるが、暫くすると諦めたように息を吐いた。
(……どうせ、指摘したって駄目だし。皆、何かと頭を撫でたがるんだもん……)
浪士組の皆は雛乃を女中としてより、妹のように扱う事が多い。恐らく幼い外見と日頃の鈍臭さが原因だろう。隊士達曰く、自然と構いたくなるらしい。
「楠さん、もう行こうっ!」
「はいはい。じゃあ、行って参ります」
「気を付けて行くんだよ」
雛乃と楠は、井上に返事代わりに会釈をすると足早に土間を後にした。
◇◇◇
雛乃と楠の二人は雑踏に混ざり、市中を足早に歩いていた。
楠は雛乃の二,三歩先を歩いてはいるが、目的地は未だに知らされておらず何処に向かえば分かっていない。だが、楠には何処に向かうべきか何となく察しがついていた。
歩く速度を緩める事なく、楠は雛乃へと視線を向ける。
「で? 結局、祇園と藤森邸どちらを選択したの?」
楠の問いに雛乃は思わず動きを止め、楠を凝視した。
「……気付いてたんだ」
「はははっ、そりゃあね。それなりの経験は積んできてるし、何より芹沢派の事は俺も警戒してたから」
楠は十七歳という若さと整った顔立ち。女性のように高い柔らかな声。一見すれば優男見えてしまうが、実力も兼ね添えた浪人だった。
その一つが観察能力の高さ。その能力は、時として山崎を凌ぐ程だという。本人は必要以上に実力を出さない為、殆どの者が楠の能力を知らずにいる。
「やっぱり、楠さんって、ある意味佐伯さんよりも質悪いような気がする……」
「えー? それ、どういう意味? 俺は至って、素直で真面目な良い奴なんだけど」
間者という立場にいる時点で“素直で真面目”という自己評価は通らないと思うのだが。
間者は偽りの人生を送る事が多い。こうやって朗らかに笑っている楠も、裏の顔かもしれないと思うと何とも複雑な気分になる。
雛乃は胡乱げに楠を見つめた後、小さく息を吐けば目的地である方角を指差した。
「土方さん達よりも早く祇園に着きたいの。どうしたら良い?」
「うん、無謀だね。どう考えても、副長らより先に着ける筈がないでしょ」
予想通り、雛乃の意見はバッサリと切り捨てられた。やはり何も出来ずに後手に回ってしまうのか、と雛乃の表情が次第に曇っていく。
「一般論では無理だろうけど……まぁ、可能だよ。あの通路と藤森の忍を使えば」
「ッ、出来るの!?」
思いがけない楠の言葉に雛乃は声を上げた。突然響いた雛乃の声に、何事かと市中を歩く人々が此方を見ている。
その視線に気付いた雛乃は再び歩き出す。恥ずかしさから、顔は緋色に染まっていた。
それに楠は笑みを溢しながら、雛乃の横に並ぶと耳打ちをする。
「あはは。まぁ、付いてくれば分かるよ。逸れないようにね」
そう言って、楠は進路を東から北へと変えた――




