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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【漆】

ゆらゆらと歩く振動によって身体が揺れる。


雛乃は芹沢の肩に担がれたまま、屋敷内を移動していた。どうにかして降りたいと思うのだが、芹沢がしっかりと力を入れ自分の身体を留めている。これは断りを入れて降りるしかなないようだ。



「あ、あの! 芹沢さん――」


「雛乃。何故こんなにも早く戻ってきた?」


「――え?」


雛乃の声を遮り芹沢は口を開いたが、足を止める事は無い。床が軋む音が響き渡る。


「法度を見ただろう。直に、血生臭い事が起きる。悪い事は言わん。直ぐ様、藤森に戻れ」


芹沢は雛乃の顔を見る事無く、突き放すように冷たく言い放つ。先程と打って変わって情を見せない芹沢に、雛乃は思わず身体をビクリと震わせた。


流石は浪士組の筆頭局長。何もしていないのに雰囲気に呑まれそうになる。子供ならば泣き出して逃げてしまう程のピリピリした空気に、雛乃は眉を寄せた。


芹沢の言うように、今迄の生温い生活は無いだろう。法度の該当者――芹沢派の面々が処断されていくに違いない。


存在が近ければ近い程、傷付くのは確実に大きくなる。立ち直る事が出来ない絶望が押し寄せるかもしれない――。


(……芹沢さん、それは百も承知なんです。私は過去を乗り越える為に、一歩を踏み出すと決めたの――)


自分を思っての厳しい言葉だが、それを受け入れる気など雛乃は全く無かった。


「嫌です」


雛乃は芹沢の横顔を見つめながら、きっぱりと拒否を示した。




「芹沢さんも自分の思うように行動してるじゃないですか。そんな芹沢さんに、私のやりたい事を止める権利は無い筈です」



身体を上げ芹沢の肩口を押し、雛乃は芹沢から無理矢理飛び降りた。それにより、芹沢は足を止める羽目になる。芹沢の行く手を遮るように立ち、雛乃は芹沢を真っ直ぐに見据えた。


「芹沢さんに譲れないものがあるように、私にも譲れない思いがあります。どんなに反対されても、私は此処に残ります」


――後悔だけは、したくないから。


初めて会った時から変わらない強い眼差し。自分より遥かに小さな娘に、適わないとばかりに芹沢は薄く笑みを浮かべた。


「……成程。やはり、一琉の読み通りか」


「へっ?」


「すまんな。少し試してみたくなったのだ。お主の覚悟が、如何程のものなのかをな」


頭にポンと乗せられた掌から伝わる温もり。雛乃は事態が上手く飲み込めないのか、首を傾げ続けている。


芹沢は一琉から雛乃の決意を既に聞かされていた。雛乃の出自までは知らされておらず、芹沢の行く末を案じての帰還と説明を受けている。


危険を顧みず、自分の元に帰ってきた雛乃に嬉しさを感じつつも芹沢は、不安も感じずにはいられなかった。


雛乃は多少の流血沙汰になっても動じる事はないだろう。だが、抱えている過去(もの)が多過ぎる。


その過去が今回、雛乃の運命さえも握っていた。一琉からの話によれば、雛乃は条件を呑んで此処に戻ってきたという。


雛乃を苦しめる過去の記憶――。それが僅かでも戻れば、雛乃は二度と壬生の地を踏めないという、とてつもない重い条件。


それを呑んででも守りたいものが雛乃にはあり、その対象者に自分達がいると聞き芹沢は驚きを隠せなかった。


大和屋に放火した際、覚悟を決めた。もう生きる道には戻らないと。だが、自分を慕い笑顔を見せる雛乃を犠牲にする気は全く無い。

自分達の為に、居場所を削る真似はしてほしくなかった。


その為、雛乃を冷たくあしらったのだが効果は見ての通り。雛乃の決意は想像以上に固かった。


「……すまんな」


芹沢は様々な感情を込めて詫びを入れる。どちらに事が運んでも、雛乃を泣かせてしまうに違いないだろうから。


頭から伝わる芹沢の不器用な優しさ。雛乃は微かに目を細めると、首を横に振った。


「……芹沢さんが謝らないで下さいよ。私が決めて、選んだ道なんですから」


守られた過去がある。

何も出来なかった過去がある。

芹沢が散りゆく姿を、最期を見守りたいと思うのは、自然な流れだったのかもしれない。


どうしても“あの日”の父の姿と重なる――。


雛乃は思わず芹沢の着物に手を伸ばす。


「雛乃、どうした?」


「――ッ、何でも、何でもない、です……」


目が霞むと同時にツキン、と頭が痛む。恐れていた記憶の片鱗。これ以上思い出さないようにと、着物から手を離し視線も逸らした。


「……そうか」


雛乃の行動に眉をひそめながらも、芹沢は口にする事無く進行方向へと足先を戻す。


「何にせよ、詳しい話は自室で聞いた方が良いな。歩けるか?」


「私は、そこまで重病人じゃありませんよっ」


深く深く揺れる網の目のような記憶の波に蓋をし、雛乃は勢い良く振り返った。そのまま芹沢を見据え頬を膨らませるその姿は、やはり年相応には見えず幼い女子に見える。


思わず出る笑いを咳払いで隠せば、芹沢は静かに歩き出した。その後を、雛乃は慌てて付いていく。


「……あ。そういえば、新見さんはお元気ですか?」


さり気ない問いだが、含まれる意味は大きい。芹沢は笑みを消し息を軽く吐くと、推し量るような瞳で雛乃を見据える。


「何故、新見を気にする?」


「えっ、と……その、副長に降格されたと総司さんから聞いたものですから……」


新見錦は先日、局長から副長へ事実上の降格を受けた。


新見が降格された原因は様々あるだろうが、理由の一つに佐伯との関係が挙げられる。


佐伯は長州の間者だった、と事件発覚後一月も経たない内に、浪士組全体に知れ渡っていた。

そんな佐伯と新見は旧知の仲で、佐伯を浪士組へ招き入れたのも新見だと言われている。


(……一琉さんの話だと、新見さんは佐伯の動きやすい環境を作っていた、いわば共犯者的な立ち位置だって言ってた。つまり、それって……)


「雛乃よ」


「はい? ッ、わぷ!」


突然立ち塞がる大きな壁。それが芹沢の背中と気付いた時には、避ける事も出来ず顔面からぶつかってしまった。


「お主は知っているのだな。何も伝えずとも、新見がこれからどうなるのか」


「……ッ、」


雛乃の心臓が大きく跳ねる。息を吐く事が出来ない錯覚に陥り、強く掌を握り締めた。


新見だけではない。芹沢派の行く末を知っている。最初に粛清対象になるのが新見だった。今日、動きが無くとも近日中に確実に事は起きるだろう。


手を出さずに見届けると決めた。芹沢の行く末を知っていたとしても何も公言しないと。


だが、この場合、口にしても良いのだろうか。思いを伝えて良いのだろうか。


「芹沢さん……わた、私は、」


言えない。言える訳がない。

口にすれば余計な事まで話してしまう。自分の感情全てを吐露してしまいそうで、雛乃は開きかけた口を直ぐに閉じた。


自身の背後にいる小さな女子。芹沢は吃り続ける雛乃を肩越しに一瞥すると、小さく息を吐く。


「……成程。その答えは簡単に口に出来るものではないようだ。分かった。ならば質問を変えよう。雛乃は何故新見の名を口にした?」


「何故って、」


特に意識はしていなかった。新見の名を口にして、雛乃は自分の感情に気付いたくらいだ。


新見の行方を聞いて、雛乃は新見の元へ向かおうとしていた。


出来る事なら止めたいと思った。生きて欲しいと願った。でもそれは、見届けると決めた時点で仕舞うべき思いだ。


次第に滲んでいく視界。言葉にならず、涙が瞳に溜まっていく。


粛清を止めたい。


たった一言だが、それを口にするのは躊躇われた。芹沢の覚悟を思えば、どうしても出来なかった。


「……前にも言った筈だな。我慢するのは童のする事ではないと」


顔を上げれば芹沢の胸元が目の前にあった。抱き締められているのだと気付いた時には、涙は頬を伝い芹沢の着物を濡らしていく。


冷たい感触と小さな温もり。最初の頃より感情をよく見せるようになった雛乃に目を細め、芹沢は雛乃の背中に手を当てた。


「優し過ぎるな、お主は。儂等の事など捨て置いて行けば良いものを」


「……ごめ……なさい……ごめん、なさい……」


優しく背中を撫でられながら雛乃は謝る事しか出来なかった。


この温もりも後僅かで、無くなってしまう――


そう思うと、涙は止めどなく溢れてくる。


許される限り芹沢の傍にいたい。

雛乃は悲観に暮れながらも、芹沢の腕の中で新たな決意を固めるのだった。

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