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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【陸】

寝耳に水とはこういう事を言うのだろう。一瞬、場を切り抜ける為の冗談かとも思ったが、一琉の表情を見る限りそれはないようだ。

雛乃は芹沢の肩から身を乗り出し、一琉へ向けて声を上げた。


「ちょ、一琉さん! 私、そんな話、一言も聞いてない!」


「そりゃそうだ。初めて口にしたからな」


「そうじゃなくて、本家からの書簡の事よ! 只の定期連絡だ、とか言って笑ってたのは嘘だったのね!?」


本家から書簡が届いたのは、雛乃が藤森邸での療養を始めた頃。屋敷内が妙に騒ついていたのを雛乃は不審に思っていたが、一琉から定期連絡だと説明され、深く追求する事をしなかった。


当時を思い返して見れば、女中達が何かと熱い視線を送っていたような。恐らく書簡の内容を知っての行動だったのかもしれない。


不満げに声を漏らす雛乃に、一琉は小さく笑みを浮かべ軽く手を振った。


「そう怒るなって。全部が全部、嘘って訳じゃねぇんだぜ? 定期連絡なのは事実だし、ただそれが本家からじゃなく、じい様が独自に送ってきた書簡だったってだけで」


「一琉さんのお祖父様って……」


雛乃は表情を強張らせた。一琉の祖父と言えば藤森家の最高権力者。藤森の全て、裏社会を統括していると言っても過言ではない人物である。


現代でも藤森は各界に多大な影響力を持っているが、幕末における藤森の権力は最強を誇る。


その最高権力者からの書簡。一体何と書いてあったのか。雛乃が不安に思うのも無理なかった。


「じい様は千里眼持ってんじゃねぇかってぐらい、かなりの情報網持ってんだ。隠し通せるとは……まぁ、思ってなかったけど。俺が思ってた以上にバレんのは早かったな……」



頭をガリガリと掻く一琉にも、微かに動揺が見える。

雛乃が思ってる以上に一琉もこの話題を口にしたくなかったのかもしれない。だが、沖田を誤魔化す為にも別の話題は必要だった。


何とも言えない雰囲気が漂う廊下。暫し沈黙が流れる。


「……その書簡の内容は一体何だったんです?」


無表情のまま、沖田は一琉を見据え口を開いた。何も知らされていなかった沖田にとって、この件も腹立たしい事に違いない。


だが、聞かない訳にはいかなかった。


「内容? んな気にするようなモンじゃねぇよ。本家に早く顔を出しやがれっていう軽い脅迫文と、俺への定期連絡だけで」


「いや、それ、明らかに笑顔でサラッと言える内容じゃないでしょ……」


雛乃の指摘に芹沢や沖田も同意を示すかのように、頷きを返す。


「本気か否かは分からんが、不穏な事柄であるのは間違いないな」


「そうですよ。何より雛乃ちゃんが藤森に、という事自体、約束が違うのではありませんか?」


一斉に向けられる非難の目。脅迫を、と言う事は藤森は動き出そうとしているのではないか。


そんな声を受け一琉は、自分への警戒を益々強ませる沖田と芹沢に未だ担がれたままの雛乃、そして何がを見透かしたような芹沢を交互に見つめ軽く手を振った。


「大丈夫さ。こんくらい大した事じゃねぇんだよ。本家が本気で来る気なら、書簡など生温い事はしねぇ。気付いた時は既に藤森に捕まっちまってるさ」


並の組織力では適わない、圧倒的な力と行動力を持つ藤森家。敵に回せば、確実に滅ぼされると言われる所以も其処にある。


「書簡って事は、じい様にとっては様子見なんだろ。まだ、な」


雛乃は芹沢の肩で、顔を隠しながら小さく息を吐いた。


一琉の話から読み取ると、藤森は自分をどうしようか迷い兼ねているようにも見える。先の時代から来た事までは突き止めていないようだが、それも時間の問題だろう。


(……うう、芹沢さんだけの事ばかり考えていたからなぁ。藤森を敵に回すのだけは避けたいけど、本家にだけは行きたくないし……)



頭の痛い問題が増え、雛乃は思わず頭を抱えた。条件を呑んでやってきたものの、この流れでいけば、どちらにしろ浪士組を離れる事に為り兼ねない。


打開策を考えなければ、と雛乃が頭を下ろした時だった。


「……やっぱり八木邸(こっち)に来てやがったか」


木の軋む音と共に、姿を見せたのは土方だった。不機嫌そうに刻まれた眉間の皺が、今の彼の感情を物語っている。


そんな土方を見るなり、沖田は満面の笑顔を見せた。


「あ、土方さん。おはようございます。いやぁ、今日は良い天気ですねぇ」


「総司、てめぇ……」


土方の口端がヒクリと上がる。どうやら、土方の怒りは沖田に向いているらしい。一体、沖田は何を為出かしたのだろうか。


沖田を睨んでいた土方だったが、芹沢に担ぎ上げられている雛乃の存在に直ぐ気付き、更に眉間の皺を深くした。


「連絡無しでの帰屯たぁ、良い度胸してんじゃねぇか」


「すっ、すみません」


反論する暇も無く、雛乃は素直に頭を下げた。土方から放たれる殺気が、余りにも酷かった為である。


それなのに沖田は平然とした様子で、土方を見据えていた。この状況下で笑顔でいられる余裕はある意味凄い。


「土方さん、余り睨まないで下さいよー。雛乃ちゃんが恐がってるじゃないですか。そんなんだから“血も涙もない鬼副長”だって内外から言われちゃうんですよ」


「はっ、その原因の一つである、てめぇが言う台詞じゃねぇな。いいから総司、早く戻――」


「そんな事より、雛乃ちゃんが大変なんですっ」


「ッ、総司……」


話の腰を折られ、土方の苛々は益々募っていく。だが、それは次の沖田の言葉で払拭される事になる。


「藤森本家が、雛乃ちゃんを引き取ろうとしてるらしいんですよ!」


「……何だと?」


先程とは違った意味で眉を寄せる土方は、近くにいた一琉へ視線を移した。


「どういう事か説明してもらおうか」


「説明ぐらい構わねぇが、先ずは場所を移動しねぇか? お前ぇら、藤森藤森連呼し過ぎなんだよ。俺が周知しないよう、采配した意味が無くなんだろ」


雛乃が藤森の姫だという事は、浪士組に伝わってはいない。雛乃が藤森の姫だと知るのは芹沢筆頭局長以下、数名。幹部の面々と監察の山崎のみ。


雛乃が藤森の者だと知られれば、大なり小なり混乱を招く。組織として、まだ未熟な浪士組としては余計な問題を発生させたくはない。何より、雛乃の自由を守る為にも口外する事は出来なかった。


一琉と雛乃が屯所に着いてから四半刻経つ。早朝という事もあり、人気は少ないが、誰かに聞かれて無いとも限らない。早々に廊下から移動した方が良いだろう。


一琉からの指摘に土方は苛立ちを内に秘めると、踵を返す。


「……チッ、着いて来い。近藤さんの部屋で聞いてやる。総司、逃げんな。てめぇもだ」


沖田は情報という餌を使い土方を追い出し、このまま雛乃の傍に居座る予定だったのだが、土方にはそれは通用しなかったようだ。


「はいはい。……あ、でも雛乃ちゃんはどうするんです?」


沖田の言葉に土方は後ろを振り返った。


雛乃は芹沢の肩に担ぎ上げられたまま、身動きが取れない状態で此方を見つめている。


芹沢の肩に移動した経緯は分からないが、それは恐らく、雛乃を逃がさないよう留めておく意図もあるようだ。その証拠に芹沢が雛乃を離す様子は見られない。


土方は人知れず小さく舌打ちをする。


会津からの密命の事もあり、雛乃を余り芹沢派と接触させたくないのが土方の本音だ。


かといって、露骨に芹沢派との接触を断絶させると怪しまれるだろう。雛乃は先の時代から来た。この件を知らない筈はない。


雛乃を一瞥し、土方は芹沢へ視線を移すと口を開いた。


「後で迎えを寄越す。それまで八木邸で休んでろ。……芹沢局長、それで構いませんね?」


「ああ。丁度、雛乃を休ませるつもりだったからな。都合が良い」


芹沢はそう言うと、肩に抱えた雛乃の頭を撫でた。


芹沢と土方の目が交差する――。


互いに腹の探り合いをするが、何も掴む事は出来ない。ただ、二人の間を冷たい風が通り過ぎていく。


芹沢は口端を微かに上げ踵を返すと、雛乃を抱え足早に自室へ戻って行った。


芹沢に続き野口や梅の姿が無くなると、土方は苛立ちを発散するように頭をガジガシと掻いた。


「……何を考えてやがる」


以前に比べ大人しくなった芹沢の行動に、土方は不信感を露にしていた。


法度も予想に反し一つ返事で認め、一切の職務に口出しする事も無い。尻拭いをしてきた土方達にとっては願ってもない事だったが、逆に何か企んでいるのではないかと、身構えてしまう。


そんな土方と沖田の心情を察した一琉は、くつくつと喉を鳴らした。


「そう構えんな。芹沢は、何も企んじゃいねぇよ」


「どういう事だ」


怪訝そうに自分を見つめる土方と沖田を軽く手であしらうと、口端を上げ笑みを深くする。


「奴は今も昔も、自分の道だけを進んでやがるのさ――」

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