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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【伍】

山崎の後を追い屋敷に上がるが、既に山崎の姿は其処から消えていた。流石、浪士組一の監察方。逃げ足も早い。


(……山崎さんめ、土方さんに報告しに行ったのね。前回の仕返しも兼ねて、土方さんを“脅し”に行こうと思ってたのに)


雛乃は不服そうに頬を膨らませると、歩いて来た廊下を引き返し始める。片手に荷物、もう片手には履いていた草履を持つと雛乃は庭の方へ、歩いて行く。


「雛ちゃんんんん!」


だが、それを遮るような自分を呼ぶ声が廊下に響いた。振り返ると其処には、見知った女性が此方に駆けて来ている。


それはもう、凄まじい勢いで、だ。


「ふぇっ!? う、梅姉っ!?」


追突したら一溜まりもない、と慌てて距離を取ろうとするが、その速さに勝てず雛乃は梅に捕獲されてしまう。


「雛ちゃん! ほんまに雛ちゃんやね!! ああ、ようやく雛ちゃんと一緒に過ごせるんやなぁ。うち、ほんまにほんまに、寂しゅうて……!!」


腕の力を緩める事なく、梅は雛乃の頬に自分の頬をすり寄せた。雛乃は梅の迫力に圧倒され、苦笑いを浮かべるしかない。


梅に会えたのは雛乃にとっても喜ばしい事なのだが、如何せん身体がついていかない。病み上がりな上に傷口を開かないようにと、気を張っている所為だろうか。


「う、梅姉……、ちょっと苦し……」


もう限界だと片手で梅の背中を叩けば、梅は漸く我に返り慌てて雛乃から離れる。


梅の腕から解放された雛乃は、勢い良く引き離された反動で廊下の床に座り込んだ。ぐるぐると回る視界に頭を押さえると、雛乃は息を吐く。


「……雛ちゃん、堪忍な? 一琉はんが来はって、雛ちゃんが帰ってきたんやって思うたら、先に、身体が動いてしもてん。病み上がりやいうのに、ほんま堪忍な……」


梅も雛乃から離れた場所に腰を下ろすと、小さく頭を下げた。明るい表情から一変、眉を寄せ今にも泣き出しそうに瞳は潤んでいる。


梅の愛情表現は豪快だ。だけども、愛されているんだという実感は誰よりも伝わる。息苦しい思いはしたが、梅を非難する理由など何処にも無い。


「梅姉ばかりが悪い訳じゃないよ。何も連絡しなかった、私も悪いんだから」


「雛ちゃん……!!」


優しい雛乃の言葉に梅は瞼の奥が熱くなる。感情のままに再び雛乃を抱き締めようとしたが、ドタドタと数人の足音が廊下に響き梅と雛乃は顔を上げた。


「……何だ。雛乃は儂に挨拶もなく、こんな所で道草を食っていたのか」


威厳ある声だが何処となく優しさを感じる。其処にいたのは、着流し姿で扇子を手に歩く芹沢と、簡単な挨拶を終えて戻ってきた一琉、野口の三人だった。


雛乃は芹沢に挨拶しようと立ち上がるが、まだ目眩が残っていたのだろう。身体が横に傾き廊下に転倒しそうになる。だが、それを早くに察知した芹沢の動きにより雛乃は事無きを得た。


「ふむ、顔色が少し悪いな。またお梅にやられたか」


「あははは……」


芹沢に支えられながら、体勢を立て直すと雛乃は苦笑いを浮かべた。梅の暴走は雛乃がいる屯所では当たり前の光景だっただけに、何があったのか芹沢は直ぐに理解したようだ。


「えと、芹沢さん。挨拶が遅れてすみません……」


「何、構わん。大体の事情は一琉から聞いておる。朝早くから大変だったな」


芹沢は雛乃の頭を優しく叩く。その手付きに雛乃は思わず目を瞬かせた。


芹沢の雰囲気は日に日に祖父に似てきている。横暴だ非情だと言われても、雛乃は芹沢を慕い続けるだろう。彼の不器用な優しさを知った以上、史実のように死なせたくはなかった。


雛乃は失いたくないとの気持ちばかりが大きくなり、反射的に芹沢の着物を強く握り締める。


それを芹沢は感情の読めない瞳で見つめ、手にしていた扇子をパチンと閉じた。


「お梅。雛乃を部屋へ連れて行き休ませてやれ。見たところ、全快ではないようだ」


「うっ……」


痛いところを突かれ、雛乃は身を縮こませる。その様子に芹沢は笑みを浮かべ、扇子を再び開き、ゆらゆらと動かしていく。


芹沢の指摘に梅や野口も驚きを見せていた。反応を見せないのは、事情を知っていた一琉だけである。


「……芹沢には誤魔化しはきかないか」


「ちょ、一琉はん! 雛ちゃん、まだ治ってなかったん!?」


梅は噛み付くように一琉に問い掛けた。焦った様子の梅を一瞥し、一琉は小さく息を吐く。


「殆どは治ってるが……。まぁ、五分五分ってとこだな。無理しなけりゃ治ったも同然。だが、下手すりゃ傷口も開くってこった」




「そんな……。せやったら、うちがした事は……」



梅は立ち上がり両手で頬を押さえた。梅が青ざめるのも無理はない。先程の抱擁で雛乃の回復を妨げてしまった可能性もあるのだ。自然と反省の色は濃くなっていく。


そんな梅を見て、雛乃は首を軽く横に振った。


「あ、あの! 私は大丈夫だから、梅姉がそんなに気に病む必要は――」


「雛乃の“大丈夫”は信用ならん。一琉、休ませるが異論は無いな?」


芹沢は雛乃の言葉を遮ると、雛乃が逃げないよう雛乃の身体を自分の肩に担ぎ上げた。じたばたと抵抗する暇も無い、素早い芹沢の動きに雛乃は唖然とする。


「ああ。むしろ休ませてやってくれ。俺が何言っても聞きやしねぇ、姫さんだからよ」


「一琉さん!?」


自分の意見など全く無視で、話を進めている二人に、雛乃は驚きを隠せない。事態を打開する為に早く戻ってきたというのに、これでは何も出来ないではないか。


芹沢の気遣いに、嬉しさと煩わしさが混在した複雑な感情が滲み出る。


「大丈夫って、言ってるのに……」


不満げに雛乃が呟けば、芹沢はくつくつと喉を鳴らし笑った。


雛乃が全力で拒否を示せば、芹沢から離れる事も可能だろう。だが、敢えてそれをしないのは、芹沢と少しでも長く居たいと思っている証なのかもしれない。


芹沢と雛乃のやり取りを目を細め眺めていた一琉は、此方に向かってくる気配を感じ取り、更に口端を微かに上げた。


「雛乃、もう一人の保護者がやってきたようだぜ」


「保護者?」


雛乃が首を傾げると同時に、散らばった落ち葉を踏み締める音が雛乃の耳にも届く。

足音を隠す事なく、勢い良く八木邸へ足を踏み入れたのは


「雛乃ちゃん!!」


沖田だった。


先程まで稽古をしていたのだろう。汗を流したのか髪は濡れていた。手拭いも何も手にしていない事から、急いで来た事が窺える。


「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて……」


「どうしたもこうしたも、雛乃ちゃんが帰って来たと聞いてやってきたんですよ!」


沖田が雛乃の帰屯を知ったのは、つい先刻。土方の部屋へ行った所、山崎の報告を耳にし着のみ着のままで八木邸へ来たという。


「全く、何で知らせてくれなかったんですか。山崎さんから聞いて、本当に驚きましたよ」


眉間に皺を寄せ不機嫌さを醸し出す沖田を見て、雛乃は苦笑を浮かべた。


「えっと、その、色々と事情があって……」


「事情、ですか?」


聞き返す沖田に雛乃はそうだと頷く。


壬生浪士組の流れを知る為に、暗殺の一手を先に掴む為に来たとは言えない。

雛乃にとって沖田は、幕末の世で数少ない心許せる人物の一人。浪士組で暮らしていた頃は、よく沖田に色々と話していた。


だが、この件に関しては何も話す事は出来ない。沖田も計画に関わる以上、下手に情報を開示すれば屯所での自由を制限される可能性がある。


何より雛乃の過去を知る沖田は、雛乃が芹沢暗殺に関わろうとする事を阻止しようとするだろう。


誰にも知られず事を運ぶ為にも、此処で話す訳にはいかなかった。

首を振るだけで何も理由を話さない雛乃に、沖田は何かを感じ取り更に眉を寄せた。


「……雛乃ちゃん、事情とは何です? 何かを企んでたりはしてませんよね?」


「えっ、いや、そんな事は……」


沖田の鋭い指摘に、雛乃は内心ドキリとした。雛乃の保護者と自負するだけあって、沖田は雛乃の行動には何かと敏感である。


下手な言い訳では沖田は納得しないだろう。此方の領域に踏み込めない強い力がない限り、追求し続けるに違いない。そう感じた雛乃は一琉へと視線を向ける。


視線を受けた一琉は雛乃の意図を察知し、頭をガリガリと掻くと仕方ねぇとばかりに口を開いた。


「沖田。コイツに聞いても何も話しゃしねぇよ。事情っつーのは、ちょいと藤森の内情に関わっていてな」


「……藤森の?」


雛乃から目線を外し、一琉を見る沖田の目は何処となく鋭い。未だに一琉を警戒している事がよく分かる。


沖田が雛乃に再会しても尚、不機嫌な理由は、雛乃の付き添いが一琉だった事も起因しているのかもしれない。


そんな事を思いながら、一琉は話を続ける。


「ああ。雛乃の待遇、そして本家との顔合わせについての書簡が届いてな。コイツを本家に連れて行こうと訪ねて来る伯母上達に気付かれないよう、来る必要があったんだ。そんで、人気の無い早朝に出て、連絡も何もせずに此処にやって来たって訳だ」


分かったか?と尋ねる一琉の言葉に、誰も反応も示さない。驚きを見せたのは沖田だけではなく雛乃も同様で、驚愕の表情を一琉に向けていた。

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