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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【肆】





――日付は変わり早朝。



雛乃は一琉と共に、壬生浪士組の屯所である八木邸前に来ていた。


冷たい風に吹かれながら此処まで歩いてきたが、足取りは鉛のように重い。

これからの事を思うと、雛乃の態度は当然と言えば当然なのだが、一琉はそんな雛乃の様子が気に入らなかった。


「なーに、しけた面してやがんだ。お前は」


「あいたっ!」


一琉は、思考の波に埋もれていた雛乃を救い上げるように雛乃の頭上へ拳骨を落とす。手加減されたと言え痛みは伴う。ズキズキと鈍い痛みを放つ頭を擦り、雛乃は息を吐いた。


「……ちょっと、考え事してただけなのに……」


不満そうに頬を膨らませ自分を睨む雛乃に、一琉はヒラヒラと軽く手を振る。


「わりぃな。不細工な顔で横に居られちゃ、こっちまで辛気臭くなるからよ」


「え。私、そんなに不細工な顔してたの?」


「おぅ、眉間に皺が寄りまくってたぞ。あの鬼副長みてぇにな」


「嘘っ!?」


慌てて額に手を当て眉間を隠すが、皺の有無が分かる筈もなく。それでも、必死に皺を無くそうと雛乃は手を動かしていた。


そんな雛乃の様子に一琉は肩を揺らし笑っていた。一琉の笑い声に雛乃は気付くと額から手を離し、一琉を睨み付ける。


「一琉さん!」


「おーおー、そんなに怒りなさんなって。はははっ。少しは気が紛れただろ?」


一琉の言葉に雛乃は目をしばたたかせる。先程のは単なる悪戯ではなく一琉なりの気遣いだったらしい。そう知った雛乃は小さく笑みを溢した。


雛乃は吉田の出した条件を呑み、壬生へと帰って来た。望んでいた浪士組のへ帰って来たというのに、雛乃の心は晴れないまま。


吉田から出された条件は至極簡単なもの。思い出さなければ良いだけの話に聞こえる。だが、雛乃の記憶は今危うい状況にあった。


毎夜見る過去と思われる夢。白黒ではない、血に染まる世界。

些細な出来事で、蘇ってしまう程に雛乃の記憶の波は不安定を示している。父と同じ殺害方法で亡くなる芹沢、血に染まるであろう部屋にいれば、恐らく――


条件は不利なように見えて、圧倒的に吉田が有利のものだった。


「……馬鹿な条件を呑んだ阿呆な奴、とか思ってない?」


雛乃は笑顔を一瞬にして消し、荷物を持ち直すと一琉を真っ直ぐに見据えた。


欠伸をしようとしていた一琉は欠伸を噛み殺し、頭をガリガリと掻く。前方に広がる八木邸の門扉を一瞥すると笑みを浮かべた。


「そりゃ、馬鹿だなぁとは思ったさ。どっちに運んでも、壬生には居られないような条件だろ? 何もせずに藤森(うち)で療養してた方が幸せだったろうに」


藤森であのまま療養していれば、制限はあっても浪士組と関われていただろう。

少なくとも、縁が切れる事はなかった筈だ。だが、雛乃は安全圏ではなく敢えて危険な賭けを取った。


吉田はそれを分かった上で、条件を出したのかもしれない。確実に雛乃を、此方に戻す為にあの条件を提示した。そのお陰で雛乃は厳しい状況に置かれている。片時も気が抜けない状態だ。


「行動的で悪かったですね。だって、この機会を逃せば――」


「でも、時にそんな馬鹿な選択も必要じゃねぇかって思う。男であろうが女であろうが、後悔するくらいなら何でもやってみた方が良いさ。じゃねぇと、後になって苦しむ事になる。……俺の様にな」


「――え?」


声を上げようとした雛乃を遮るように、一琉はそう口にすると悲しげな表情を見せる。


だが、それは一瞬の事で一琉は笑顔を繕い表情を直ぐ様変えた。そして何事も無かったかのように、雛乃の頭をわしゃわしゃと撫で始める。


「えっ? あっ、ちょっ! 何で話を逸らすの……って! 髪、ぐちゃぐちゃにしないでよぅっ!!」


「別に良いじゃねぇか。減るもんじゃねぇし。うーん……。しっかし、芹沢や吉田が言ってた通り、見事に撫でやすい頭だな」


「何それ!? もう、子供扱いしないでっ!」


雛乃と一琉は頭一つ分以上の身長差があった。一琉が手を下ろせば、自然と雛乃の頭上に当たる。一琉にとって雛乃の頭を撫でるのは自然の流れだった。


しかし、一琉の乱暴な撫で方によって一つに結っていた黒髪は乱れ、結っている意味すら無くなっている。雛乃は一琉から慌てて離れると、結っていた髪紐を取り素早く髪を整え始めた。


「……ああ、もう、また結わなくちゃいけないじゃない……」


誤魔化すように繕った笑顔と雛乃への対応。何かがあったのは確かだろうが、一琉の様子を見る限り今は聞かない方が良いのかもしれない。


雛乃はそう悟り、再び尋ねる事はしなかった。


雛乃が髪を簡単に紐で一つに結い上げていると屯所の門扉が開き、一人の青年が姿を見せた。


「さっきから門前で騒いでるのは誰だ――って、雛乃っ!?」


「あ、野口さん!」


青年は芹沢派の一人、野口だった。稽古上がりなのか道着を着ている。肩に掛けていた手拭いを取り、懐にしまうと一琉と雛乃を交互に見て目を瞬かせた。


「えぇ? 何で雛乃が此処に? 大怪我を負って、療養してたんじゃなかったっけ」


「あ、えっと……今日から壬生に帰れる事になって……」


野口が驚くのも無理は無い。実を言うと雛乃が帰屯する旨は、浪士組に知らされていなかった。筆頭局長である芹沢にも、組織を纏めている土方にも伝えられていない。


これは、雛乃と藤森の若君である一琉が判断して決めた事だった。


雛乃に問おうとする野口を手で制し、一琉は一歩前へと出る。先程までの戯けた表情は何処にもない。格式ある武士の姿が其処にあった。


「早朝から申し訳ない。急遽、この娘御を帰らせざる得ない事情が出来たんでね」


着崩した着物に整っていないボサボサの髪。風体を見るからに浪人のようだが、そうと断言出来ない気迫が一琉から漂っていた。


野口は気圧されそうになりながらも、素性の知れない一琉へ警戒心を露にする。


「……貴方は?」


「一琉、と伝えれば局長方には通じる筈だ。完治したとは言え、怪我人にこの気温は身体に障る。一先ず中に通してもらえないか?」


当たり障り無く野口の問いを笑顔で受け流すと、一琉は雛乃へ視線を向けた。


まだ残暑が続くとは言え、初秋の朝は冷える。先日まで床で過ごしていた雛乃にとっては辛いだろう。


せっかく帰ってきた雛乃が体調を崩しては、元も子もない。野口は沸き上がる疑問に蓋をし、芹沢へ報告をする事を選ぶ事にした。


門扉を二人以上通れるように開くと、野口は門前にいた雛乃と一琉を中へ促す。


「どうぞ。……あ、雛乃は先に座敷に上がっててくれる? 俺はこの人を芹沢局長の元に連れて行くから」


「え」


野口と一琉。明らかに剣呑な空気が漂っており、二人で行動させていいのかと雛乃は不安が過る。


そんな雛乃の不安を察したのか、一琉は目元を細め雛乃の頭を軽く叩いた。


「大丈夫だ。相手が手を出さない限り、俺は何もしねぇよ。こう見えてかなり温厚なんだぜ?」


「何処が?」


普段の言動や行動を見る限り、お世辞でも一琉は温厚だとは言えない。雛乃は呆れた視線を一琉に向ける。それを一琉は笑顔で躱すと雛乃の耳に顔を寄せた。


「まぁ、大丈夫だ。無闇やたらに権力を振り回したりはしねぇよ。知り合いに迷惑掛かるからな」


「そう……」


ボソリと耳元で囁かれた小さな言葉。一琉の言う仲間とは、浪士組内部に居る間者の事を指している。吉田や桂に仕える数人の部下が募集の際に紛れ込み、一隊士として日々を過ごしていた。


かつては佐伯も、その一人だったのだが余りにも違い過ぎる危険思想故に、自滅する運命を辿ってしまった。


「行きますよ」


「あー、おう。じゃあ、後でな」


野口の声に了解の意を返すと、一琉は雛乃の頭を再び叩いて野口の元へと歩いていった。

野口と一琉の姿が見えなくなると、雛乃は気持ちを切り替える為に小さく息を吐く。


「さて、と……。先ずは土方さんに挨拶するのが先かなぁ……って事で、案内してもらえます? 山崎さん」


「……気付いとったんかい」


雛乃が立つ近くの植木が揺れる。黒い影が動いたかと思えば、それは忍装束を着た山崎だった。


闇に溶け込む色合いの服装からして、恐らく任務上がりなのだろう。山崎は顔を隠していた布を取り外すとその表情を歪めた。


「朝早ぅからアンタの顔、見る羽目になるとはなぁ……。今日は厄日やな」


「失礼ですね。早く女中業に復帰しようと、急いで帰って来たのに」


雛乃は手に持っていた荷物を胸に抱き、不機嫌そうな山崎を真っ直ぐに見据える。


「それとも、私が帰って来て不味い事でもあるんですか?」


山崎はピタリ、と動きを止め雛乃の視線を受け止めた。表情は心無しか固い。


「……何で、そう思うん」


「山崎さんがいつも以上に機嫌悪いので、何かあるのかなぁと」


違います?と首を傾ける雛乃に山崎は答える事無く踵を返す。


「あ、ちょっと!」


足早に屋敷の方へ歩いていく山崎を雛乃は慌てて追い掛ける。


雛乃の問いに山崎は表情を変える事はしなかった。だが、会話の端々に動揺が見え隠れしているように思える。


(……芹沢さんの前に、先ず新見さんに手を出す筈だから、その予兆が掴めれば、と思ってたんだけど……)


雛乃の予想は当たっていたようだ。


――近々、何かが起きる。

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