局中法度【参】
「なかなか手厳しいね。ま、当然の反応だと思うよ。逆の立場なら、僕も君を拷問にかけてるだろうし」
自分を睨み、警戒し続ける沖田の言葉に吉田は同意を示す。だが、詳細を話す気などさらさら無かった。
吉田の今、一番の目的は雛乃を完全に取り戻す事。幕府を潰す事も重要だが、吉田にとってこれも外せない重要な件だ。
吉田が現在、浪士組に関わっている要因も雛乃の居場所となっていたからに過ぎない。組を潰す事自体、二の次となっている。
今回の挑発も只の挑発ではなく、浪士組を試してみようと揺さ振りを掛けたものだ。彼等はどう反応し、且つどう動くのか。どんな状況下でも雛乃を信じ守り切れるのか。
それを知る為に、吉田は嘘も交えた話を続けている。
「そうだね……。ある人物から相談を受けた、とでも言っておこうか」
「相談?」
些細な情報を得たとばかりに声に力を入れる沖田に、吉田は笑みを深めた。
「誰かは言わないよ。知りたいんなら、君達で調べれば? 浪士組には優秀な監察がいるんでしょ。……ま、どうせ調べる事すら出来ないだろうけどね」
藤森には不干渉。安易に調べられる事は先ず無い。その為、吉田は既に手を回し浪士組にいる間者に“ある噂”を流すよう指示を出していた。
その噂と今回の話を結び付け彼等は何を思うのか。
「そうですね。調べれば嘘か真か、直ぐに分かります」
沖田は吉田の表情から何かを察したのか、そう返すと口を閉ざした。
吉田が発した言葉の意味を考えているのか、それとも吉田自身を探っているのか。どちらにしろ何も掴む事は出来ないだろう。
彼等が暗殺を実行に移す限り、それを受け入れる事すら不可能なのだ。
刀の柄から手を離し廊下に上がると、沖田は吉田を見据え再び口を開く。
「一つ、忠告しといてあげます」
「……何?」
「貴方のように、壬生の狼をそうやって嘗めていると、いつか確実に噛み殺されますよ。気をつけて下さいね」
沖田の視線を真っ直ぐに受け止めた吉田は、笑みを消し目を細めた。
今直ぐ斬れるものなら斬ってしまいたい、互いに思う事は同じのようだ。
「ふぅん。随分、威勢が良いんだね」
吉田は再び笑顔を顔に張り付け、沖田に向けるとその場を後にした。
僅かばかりの、怒りを携えて。
――その日の夜。
雛乃はとある座敷で、吉田と一琉の二人と対峙するように座り、ある主張を繰り返し訴えていた。
自分を真っ直ぐに見つめ頑な態度を取り続ける雛乃に、吉田は小さく息を吐く。
「……もう一度、言ってくれる?」
「ですから、近日中に壬生に戻りたいんです」
「理由は?」
「け、怪我が治ったからです!」
壬生に、浪士組に戻りたいと繰り返す雛乃に一琉は眉間に皺を刻んだ。
確かに腹部の傷は塞がり熱も下がった。睡眠をよく取るようになったお陰で顔色も比較的良好である。しかし、まだ完治と言えない。動き回れば傷が開く可能性が高く、安静にしておくべき状態だ。
あと一月、いや二月はこの藤森の屋敷で療養してもらう。そう、壬生の騒動が滞りなく済んでしまう迄、雛乃には不自由を強いるつもりだった。
だが、こうなった以上難しい方法に思える。雛乃が受け入れる可能性は限りなく零に近いのだから。
雛乃がこうまで頑なに壬生への帰屯を望むのは、やはり芹沢の件が原因だろう。
雛乃は先の時代から来たのだ。芹沢の末路を知らない筈が無い。
雛乃は芹沢を父親のように慕っていた。何とかしようと動き出すのは仕方ない事なのかもしれない。
かと言って、素直に行かせる訳にはいかなかった。行き先は血に塗れた狼の戦場。鉄の掟も出来、状況を覆す事は不可能に近い。
女中である雛乃に牙を向く事はないだろうが、雛乃が傷付くのは目に見えていた。
一琉は胡座を掻き直すと黙ってしまった吉田を一瞥し、静かに口を開く。
「怪我が治っただけじゃねぇだろ。他にやるべき事があるから戻りたいんじゃねぇのか?」
「それは……」
言葉を濁し雛乃は小さく首を振る。知られてはならないという思いが強いのか、掌は裾をきつく握り締めていた。
「あー、大丈夫だ。別に隠す必要はねぇよ。藤森は裏事情には全て通じてる。会津公とも旧知の仲でな。俺も吉田も、芹沢の件を把握済みだ」
雛乃の瞳が揺れ動く。驚きと悲しみが混ざった表情を一琉に見せ、目線を下に落とした。
やはり、一琉の読み通り雛乃は芹沢を思って壬生に帰ろうとしていたらしい。壬生に帰って一体何をするつもりなのだろうか。
「芹沢を、助けたいの?」
吉田は雛乃を見つめポツリと呟いた。
吉田の問いに雛乃は顔を上げると、横に首を振った。
「……暗殺を止める事は出来ません。組の為に命を使う、そう言った芹沢さんの意志を無視する事になりますから」
「じゃあ、何の為に?」
「芹沢さんに文句を言う為、ですっ!」
予想外の答えに吉田は驚き目を瞬かせる。一琉も驚きを隠せなかったようで、飲もうとしていたお茶を掴み損ね畳に溢してしまった。
「うぁちっ!」
「何やってんのさ……」
懐に入れていた手拭いで、濡れた掌と畳を無造作に拭く一琉に、吉田は呆れた表情を向ける。
それを見て雛乃も笑みを溢していた。先程まで、座敷を包んでいた張り詰めていた空気が一気に緩む。一通り一琉が濡れた部位を拭き終わると、吉田は雛乃へ目を向けた。
「ねぇ、雛。文句を言うってどういう事?」
二人の視線を受け雛乃は再び口を開く。
「えっと……芹沢さんが、言ったんです。文句あるなら壬生に帰ってこいって。芹沢さんに言いたい事や伝えたい事、色々あるんです。だから……」
「だから、壬生に帰る訳ね。何をする訳でもなく芹沢に会う為に」
「そうです。後悔、したくありませんから。何も出来なくても、私は何もしない傍観者ではいたくないんです」
暗殺を止める訳でもなく、芹沢の命を救う訳でもない。雛乃は“今”を生きる為にこの道を選んだ。
歴史を変えるだなんて、大それた事は出来ない。でも守りたい人がいる。生きて欲しい人がいる。どうしようもない葛藤の中で今出来る事を精一杯しようと決めた。
助ける事も止める事も、先を知る者の上から目線に過ぎない。此処は“平成”ではない“幕末の世”なのだ。歴史書の文字を書き換えるように、簡単に覆せない時の流れがあった。
「……理由は分かった。雛らしい選択だと思うよ。でも、僕は賛成出来ないね。危険過ぎる」
吉田は雛乃の決断に理解を示しつつも、首を縦には振らなかった。駄目だと言わんばかりに眉間に皺を寄せている。
吉田がこのような態度を取るのは、雛乃の心身を心配しているからだ。壬生に戻れば雛乃が傷付くのは目に見えている。それも尋常じゃない程に、雛乃は悲しみに沈むだろう。
――あの時と同じように。
「楽しい思い出は後に辛い思い出に変わる。傷付き、絶望を知るかもしれない。忌まわしい記憶が蘇る可能性もあるんだよ。それでも行くの?」
吉田の言葉に雛乃は微かに動揺を見せた。
可能性ではない。確実に過去を思い出してしまうだろうと、雛乃も予測はしている。
芹沢の死に様、暗殺という単語、血に染まる光景――。
全てが十年以上前の、あの事件を連想させる。きっと冷静ではいられない。感情的になってしまうかもしれない。それでも、前に進む為に一歩を踏み出すと決めた。覚悟ならとうに出来ている。
雛乃は小さく頷くと、吉田を真っ直ぐ見据えた。
「行きます。どうしても行かなきゃ、駄目なんです」
揺るぎない強い瞳。雛乃の決意は強固なものだと察し吉田は息を吐いた。
だが、吉田の表情は相も変わらず不機嫌なまま。説得が俄然難しくなった状況で一体どうするつもりなのかと、一琉は吉田にソッと耳打ちする。
「……おい、吉田。どうすんだ?」
「どうするも何も、断固阻止したい気は変わらないんだけど。でも、普段我儘を言わない分、雛は一度言い出したら、なかなか聞かないからね……」
雛乃の様子を見るからに説得は無理だろう。強硬手段に出るのが一番の策に思えるが、雛乃に嫌われる可能性が非常に高い。雛乃至上主義の吉田にとって、それだけは避けたかった。
アレでもないコレでもない、と全ての選択肢を消していくと、やはり雛乃の意見を受け入れるのが望ましいように思える。
「……行かせてやりゃいいんじゃねぇの。人生はいつ何が起きるか分からねぇんだ。やりたい時にやっとかねぇとな、後悔すっし」
「藤森の若当主としては、それで良い訳?」
「んー、まぁ、裏の歴史を見届けるのも藤森の役目だしな。血に慣れさせるっていう点では、異議無し」
「……それが一番危険なんだけど」
雛乃の境遇を知る吉田にとって、あまり雛乃を戦場に触れさせたくなかった。誰よりも死を恐れ、血を嫌い、争い事を苦手とする。そんな雛乃が再び身近な死を目の当たりにした時、冷静でいられるのだろうか。
答えは否。芹沢の最期まで見守るつもりなら、記憶が蘇ってしまうかもしれない。
雛乃の記憶が戻れば、雛乃は確実に此方寄りになる。良い機会と見るべきなのかもしれないが、雛乃が傷付き得る好機と思うと、何とも気分が悪い。
それでも、雛乃を壬生狼から遠ざけるという意味では良い案かもしれない。
かの芹沢は、雛乃の父親代わりとも言える存在だ。父親を二度も“暗殺”されれば――……
雛乃の心は、確実に変わる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。それでも雛乃が、自分を意識してくれるようになるのならば、良い方法とも言えるのだろう。
吉田は目を閉じ、決めた。
「……ああ、もう。仕方ないね。壬生に戻る事、許可してあげる」
「ッ、本当ですか!」
許可されないと思っていたのだろう。雛乃は喜びを表すように満面の笑顔を見せた。
雛乃の壬生に戻る思いの強さを感じ取り、吉田は一瞬眉間に皺を寄せるが、直ぐに表情を戻し口を開く。
「但し、条件がある」
「……条件、ですか?」
「そんなに身構えなくて良いよ。簡単なものだから」
先程の笑顔は何処へやら。不安げに眉をひそめる雛乃に軽く手を振り、一琉を一瞥すると吉田は笑みを浮かべた。
「過去の記憶が戻れば藤森に身を置く。そして、壬生浪士組とは今後一切関わらない。それが、条件だよ」




